大仙古墳で古墳体験2

旗塚古墳

2つ目の世界遺産の古墳は「旗塚古墳」。 集まっている人の多さにびっくり。
ここも25人から30人のグループで約15分の解説、という説明があったが、この長い列では1時間は待たなくてはならないかもしれない。

ここでもらった古墳カード。 航空写真だから古墳の全容がよく分かる。
カードに描いてあるように「帆立貝形前方後円墳」のようすが把握できる。
カード裏に書いてあるデーターから引用すると、
「世界遺産 2019年7月6日登録
 時代 5世紀中頃
 墳丘長 57m
 後円部径 41.5m   前方部幅 24.7m
 盾形の周濠をもつ帆立貝形前方後円墳です。後円部は二段に築かれ・・・・
 周濠からは家形や盾形、草摺(くさずり)形、鶏形、石見型(いわみがた)埴輪などの形象埴輪が出土しました。」

*草摺形とは? ネットで調べてみると「古墳時代のよろいをかたどった埴輪の一部」のことで、「胸から腹を防御する部分を短甲(たんこう)といい、腰を護るスカート状のものを草摺(くさずり)」というそうだ。
https://www.occpa.or.jp/ikou/haniwa_gallery/ikou_01_05.html

*石見形埴輪は、儀式に使う杖を模したものと考えられている。

写真は後円部に立って、帆立貝形の方円部をみたところ。

方円部に立って履中天皇陵を見る。 真ん中に小高い丘、森のように見えるのが履中天皇陵の後円部分。

発掘された埴輪の一部。線の模様が見える。

これは鳩の頭の部分と人形埴輪の頭部の一部と見られている。

古墳の登頂と説明を待っている人の列がずらーと続く。
お天気も良いからだろうか、家族連れ、子供連れの人が目立つ。
さて次の古墳見学に移動しよう。

 

 

 

大仙古墳で古墳体験1

寺山南山古墳

左のようなポスターを見つけたので、古墳体験に行ってみようと思った。
ボスターには「世界遺産・百舌鳥古墳群 特別公開」とある。
「普段は入ることができない世界遺産の古墳に登る特別な体験ができます。学芸員の解説や出土品実物展示も」
 古墳の中に入れる体験はめったにない。以前に帝塚山古墳に入ったときも、「こんな体験はもうできないかも」と思っていたが、なんと世界遺産の百舌鳥古墳群の特別公開のチャンスにめぐりあえるとは。実際、世界遺産の古墳に入れるこんな機会は滅多に無いから絶対に行こう、と考える人は多かったようだ。

寺山南古墳は「履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)」のすぐそばにある。
堺市博物館で道順聞くと、日本庭園を超え、駐車場を抜けるとあるということだった。
この辺は何回か来ているところだったが、世界遺産に指定されているとはしらなかった。ふだんは網の柵で囲まれているため、網越しに眺めるだけだったので、それほど気にかけなかったのだ。

上の図は当日の説明で紹介されたもの。
履中天皇陵の直ぐ側にあったことがよく分かる。
下の写真は、上の図の左にある駐車場を古墳側から見たところ。
斜めに走る細い白い線は、ここまで環濠があったという印だそうだ。上の絵では堀は一つだが、その後の調査で二重の堀があったことがわかったそうだ。その外側の堀とこの寺山南山古墳の境がこの白い線というわけだ。

世界遺産の古墳の上に登る。 なんとここには民家が建っていたと言う。古墳の頂上に上がる道のような感じのところは、民家に続く道だったそうだ。
30人のグループで15分程度の説明。私は一番最初のグループで見学することができたが、そのあとにいくつものグループが見えた。
「こんなにも古墳好きの人がいたんだ!」とびっくりしてしまった。

上と右の写真はこの寺山南古墳から発見された埴輪。
一番右側の埴輪にある黒い焼け焦げたように見えるのは、この埴輪が窯で焼かれたのではなく、野焼きのような形で焼かれたからだと考えることができるそうだ。
ということは、かなり古い時代のものだと推定できるということだ。大仙古墳から発見される埴輪にはこのような焼け跡がなく、野焼きではなく工房のようなところで造られたー寺山南古墳より新しい、と考えることができるということだ。

これは参加者に配られた古墳カード。
発掘の時の様子がよく分かる写真だ。古墳全体に写真のような石が積み重ねて覆われていたそうだ。今のような土の木の茂った山ではなく、白く石で敷き詰められた方墳だということだ。
カードの裏にデータが書かれている。その一部を紹介する。
「世界遺産2019年7月6日登録。北東辺・南西辺 44.7m x 39.2m
時代 5世紀初頭。
墳丘は二段に築かれテラスには円筒埴輪列を巡らせています。・・・墳丘の形を復元すると墳丘の高さは5m弱と推定されます。履中天皇陵古墳の外壕に食い込む位置にあり、陪塚(ばいちょう)と考えられます。」

さて次の古墳に移動しょう。