都七福神めぐり8

バスに乗って京都市から宇治市へ。
JR・京阪の「黄檗(おうばく)」駅がもよりの駅。

パンフレットによると、
「江戸初期、日本からのたび重なる招請を受けて来朝した中国僧の隠元禅師が創建された黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山です。
伽藍や仏像の配置など、ほぼ全てが中国明代の様式で、23棟が重文指定されています。
隠元禅師の来日は日本の仏教に新風を吹き込むと同時に、建築や仏教・書画などの様々な文化も同時に齎(もたら)しました。祀られている布袋尊は中国人仏師「范道生(はんどうせい)」作で、特に傑作と言われています。」
私達に身近なものとしては、インゲン豆、スイカ、レンコン、孟宗竹(たけのこ)、木魚なども隠元禅師由来のものと言われている。

大きなお寺だ。入り口の由緒には次のように書かれていた。
「中国福建省福州府の黄檗山萬福寺の住持であった隠元禅師がわが国に渡来したのは承応3年(1654)である。 万治2年(1659)4代将軍家綱公よりこの地を賜り、寛文元年(1661)新しい寺の建立を始め 元を忘れないため黄檗山萬福寺と命名した。 爾来黄檗宗の本山として黄檗禅挙揚の源となっている。歴代住持の内16人が中国僧であるのみならず山内到る処中国色濃厚な事を特色としている」

門には「都七福神巡り 布袋尊」の文字が見える。

立派な布袋さんだ。 横の壁にこの像の由来が書いてあった。その一部を紹介する。 「正面は弥勒菩薩 釈迦滅後56億7千万年後この世に現れ 釈迦の救済にもれた一切衆生を救うという使命をおびて待機している菩薩です。 布袋和尚は弥勒菩薩の化身であると申します。・・・・」
へーっ、そうなのか、布袋尊は弥勒菩薩の化身なのか。初めて知ることだった。
半跏思惟像の弥勒菩薩とユーモアたっぷりの布袋さんとは結びつかなかったが、硬軟合わせての姿が仏なのだろうと思った。
布袋尊のご利益は「不老長寿、無病息災、開運全般、良縁・子宝、夫婦円満・家庭円満、金運招福、人格上昇」だそうだ。さすが弥勒菩薩。

境内の風景は日本のお寺と雰囲気が違う。 布袋尊以外に韋駄天や四天王の仏像も拝見したが、仏像の姿も雰囲気が違う。これが中国のお寺の雰囲気なのだろうか。

そもそも七福神巡りの由来は何なのだろう。
ウィキペディアなどを見ると、さかのぼると室町時代らしい。

「布袋、福禄寿・寿老人なども中国から入ってきてそれぞれに知られるようになり、それらをまとめて七柱の神仏のセットができたのは室町時代末頃、近畿地方から始まったものである(上田正昭 『古代からの視点』 PHP 1978年 42 – 43頁、11行 – 15行。吉祥天やサルタヒコを入れる場合もあったが、定着しなかった。前同43頁)。・・・この絵(竹林七賢図)に見立てて、人々は別々に信仰されていた七つの福の神を集め、七福神とした。ただし、当初は必ずしもメンバーが一定していなかった。・・・
江戸時代にはにはほぼ現在の顔ぶれに定まったものの、その後もバリエーションが生み出されることがあった・・・・・」

そして今では全国に七福神巡りがあるようになったわけだ。

早いもので夕方になってきた。 そろそろ大阪に戻る時間。
今回の七福神巡りは、ガイドさんの言葉を借りると「どの寺社も貸切状態で、他の団体客はほとんどいませんでしたね。」という状態だった。
これもコロナの影響だろう。
大阪に帰る高速道路もスムーズだった。「いつもだったらこの時間帯だったら渋滞してもおかしくないのですがね」とガイドさん。
七福神巡りのご利益だろうか。
大きな事故も怪我もなく無事に都七福神を終えることができた。
さて今年はどんな年になるのだろう。