都七福神めぐり6

ここは六道の辻。
「六道の辻 地蔵尊
桂光山 西福寺」
の看板がある。
地蔵尊の角には大きな石柱があり「六道の辻」と刻まれている。このあたりについて、京都市のホームページの記事を引用すると、

 「六道とは,仏語で衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち,地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。
六道の辻は,六道へ通じる道の分かれる所の意で,
一般的に珍皇寺の門前のことをいい,松原通の轆轤町と新シ町の間を南に至る丁字路をさす。珍皇寺ゆかりの小野篁(802~52)が冥府との往復を果たしたという伝説から,六道の辻と称された。
この地西福寺は,空海(774~835)が鳥辺野の無常所の入口にあたる地に地蔵堂を建て,自作の土仏地蔵尊を祀ったことに始まると伝える。六道の地蔵尊と称される。寺宝に「六道十界図」がある。この石標は六道の辻を示すものである。」
生と死の境にある辻、という連想につながる所だなあと思う。

地図の右上に「六道珍皇寺」がある。ほぼ中央に「西福寺」がある。その角に上の写真にある「地蔵尊」があり「六道の辻」という石柱がある。
そこからほぼ隣と言っていいぐらいのところに「六波羅蜜寺」がある。
六波羅蜜寺は951年(天暦5年)、後醍醐天皇第二皇子である空也上人により開創された西国17番の札所。

六道の辻の石柱の直ぐ側にあるのは学校の施設。
「東山開晴館 第二教育施設 六原学舎 京都市立開晴小中学校」とある。
京都も小中学校の統合が進み、ここもその結果誕生した小中学校。しかしその施設は立派だ。大阪の小中学校もこれくらいにお金をかけてほしいと思う。

六波羅蜜寺の弁財天は金ピカに輝いている。
しかもこれまでの寺社とちがって大変オープン。お姿が道路から拝むことができる。

本殿の賽銭箱にある紋は桔梗紋。弁財天の紋が桔梗という話を聞いたことが有るが真偽の程は不明。
京都にゆかりのある明智光秀も桔梗紋だったなあと思い出す。
お守りを買い、「銭洗い弁財天」で硬貨を洗いお守りに包む。

六波羅蜜寺の宝物展には左の写真にある「空也上人立像」があることで有名。
添乗員さんの配慮で宝物殿を見学することができた。

空也上人立像はあちこちの美術館や博物館等に貸し出されることが多く、来月には東京の博物館で展示されると聞き、いいタイミングで見学することができたと喜ぶ。

南無阿弥陀仏と六字名号をとなえると、口から六体の阿弥陀仏が現れたという伝承を仏像にしたもの。
以前に奈良の美術館か博物館に貸し出された空也上人像を見た記憶があるが、このリアリズムには何度見ても感動する。
鎌倉時代の作といわれているが、その当時ではユニークで大胆でしかも写実的な仏像にびっくりした人も多かったと思う。

平清盛像も空也上人像のすぐそばにあった。
NHKの大河ドラマの宣伝・案内にこの平清盛像がよく使われている。眼光鋭い、何を考えているのかわからないような表情をした画面になっているが、実際はそうではなかった。
説明文にあるように、「経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全く無く、仏者としての気品を覚える」。NHKの「13人の鎌倉殿」の宣伝に使われている清盛像は、ライトの当て方、カメラの角度で全く違った感じを与えている。やはり何事も本物に当たらなくてはいけない、と確信する。

ところで「弁財天」とは?
パンフレットによると
「七福神」で唯一の女神。 水を神格化したものであり、言語や音楽の神として尊信されています。また金運・財運の神として福徳自在のご利益とされています。」 とある。

ネットのマイナビニュースによると、
「弁財天(べんざいてん)は、仏教における守護神の1人で、七福神の中の1人でもあります。もともとはヒンドゥー教の女神であり、「サラスヴァティ―」と呼ばれるインドの聖なる川をモチーフにしているそうです。このことから水に関連する神様だと考えられていますが、現在ではあらゆることにご利益がある縁起物としても考えられているようです。

日本の弁財天は、仏教を守護する天部のさまざまな神の一面を吸収しているため、インドや中国で言い伝えられている弁財天とは少し異なります。

神仏習合思想のひとつ「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という考え方では、弁財天は日本神話に登場する市杵島姫命(いちきしまひめ)と同一視されることが多いです。そのため、古くから弁財天を祀っている神社などでは、市杵島姫命を祀っている所も多くあります。」

https://news.mynavi.jp/article/20210529-1880540/

弁財天をお参りし、次の目的は東寺。東寺の毘沙門天を目指す。

 

 

都七福神めぐり5

次にお参りしたのが「ゑびす神社」。パンフレットには次のように書かれている。
「南座横の大和大路を南へ5分ほど歩くと、「京のゑびっさん」として京都の人々から親しまれているゑびす神社があります。 鎌倉時代初期に建仁寺の鎮守社として創建されたもので、「商売繁盛」の守り神として1月の十日ゑびすは沢山の人たちで賑わいます。 また、栄西禅師が無事中国から帰朝し、お祀りになったという故事から「旅ゑびす」ともいわれ、交通安全の神としても信仰を集めています。」

ビニル越しにお神楽が奉納されているのが見える。
大阪の今宮戎ではお神楽の舞を境内から見ることはできなかった。
今宮戎と比べると少し小ぶりの境内だが、その分アットホームな感じがする神社だ。
ここで七福神にゆかりのあるお守りを買うことにした。

この日は1月10日を過ぎているので、それほど大入り満員という感じではなかったけれど、十日ゑびすは大混雑だっただろうなあと予想できる。

本殿左横に「横参り」という掲示があった。 ネットで調べてみると、下の写真のように板壁がある。
私達が行ったときには、そこには白い布がかぶしてあり、
「新型コロナ対策のため、本殿横の横参りを 中止させていただきます」とかかれた掲示板が置かれていた。

横参りというのは、下の写真によると「ゑびす様のお肩をたたくお参りです。
ノックをされるように優しくお願いいたします」という注意書きが書かれている。

ゑびす様は耳が遠いので、「お参りに来ましたよ」と肩をたたいてお知らせするというお参りの仕方だそうだ。
大阪の今宮戎の本殿裏にある「ドラ」と同じようなものだと思う。
布が貼られていない写真はネットの
https://bqspot.com/kansai/kyoto/7782

より引用したもの。

えびす神という神様の由来はなかなか奥が深い。
京都では「ゑびす神社」、大阪の「今宮戎」、書き表し方もちがう。

ウィキペディアによると、
「えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドまたは中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神、さらには商いの神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須、恵美寿などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。・・・
「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。
少数であるが、えびすを少彦名神(すくなひこなのかみ)や彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)とすることもある。
また、外来の神とされることもあり、「えびす」を「戎」や「夷」と書くことは、中央政府が地方の民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、「戎」や「夷」と書いたのと同様で、異邦の者を意味する。
このように多種多様の側面があるため、えびすを祀る神社でも祭神が異なることがある。」

「えびす」にかかわる伝説は多そうだ。私は小野不由美さんのゴーストハントシリーズ「海からくるもの」で蛭子伝説とえびす信仰の関係を知ったことを思い出した。

「ゑびす神社」でお参りを済ませた私達がつぎにむかったのが「六道の辻」。
えびす伝説を考えていた私にとっては、ちょっとゾクッとする感覚。

 

 

 

都七福神めぐり4

午後に最初に訪れたのは、「西国第19番札所 革堂 行願寺」。
「革堂」は「こうどう」とも「かくどう」とも呼ばれているそうだ。
市バス「河原町丸太町」の停留所が最寄りのバス停。

もらったパンフレットには、
「平安初期、行円上人によって開かれたもので、観音霊場、西国33箇所の19番札所です。 開基当時、一条通にあったものを、「天下泰平福寿円満」を祈る太閤秀吉により、現所に移築されました。 本尊である寿老神を御真言を、一日三回唱えると福寿吉運が授かると言われており、長寿を願うたくさんの善男善女が初詣や月参りにおとずれています。」とある。

「革堂観音」と書かれた大きな提灯がぶらさがっている。

ここが寿老神が祀られている寿老神堂。

ご本尊の寿老神の姿を見ることができないので、ウィキペディアにあった七福神の像の写真を引用する。右から布袋尊、福禄寿神、寿老神となる。
寿老神は鹿を連れているのが特徴。

革堂行願寺のホームページに、由来が書いてあった。

「霊麀山行願寺と号する天台宗の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十九番札所です。
寛弘元年(1004)に行円上人によって、一条小川(上京区)に創建されました。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮をまとって鹿を憐れみ、人々から皮聖と呼ばれていたことから、革堂と呼ばれるようになりました。
以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、当地に移されました。
現在の本堂は、文化十二年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝えられる本尊千手観音像を安置しています。
境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、加茂明神塔などがあります。」

寿老神はどういう神様なのだろう。パンフレットによると、
「中国の老子が天に昇ってなったという仙人の姿。三千年の長寿を保つ玄鹿を従え、人々の難を払う団扇を持っていたことから、福財・子宝・諸病平癒・長寿の功徳ありといわれています。」と書かれている。

さあ、次は10日が賑やかだっただろうなと想像する「ゑびす神社」に向かう。