古墳は人の手で造られた。3

馬は船に乗って海を渡ってきた。

上の図は前回紹介した「海を渡った交流の証ー遺物からみた五世紀の倭と朝鮮半島ー」からの引用。その部分の解説を下記にしるす。
「ここで注意しておきたいことがあります。日本列島には野生の現世馬はいなかったということです。そして、縄文時代以降ではあれば常に日本列島は周りを海で囲まれていますので、馬が単独で日本列島へ移動することは想定しにくいこと、すなわち人が船に乗せて来たとしか考えられないということです。つまり、日本列島においては、人の渡来が先で、馬の渡来が後という関係になります。」
「・・・縄文時代の船というのは基本的に一本の木をくり抜いた丸木舟です。船形埴輪や蔀屋北(しとみやきた)遺跡からも出土している船の部材などから、古墳時代には船底は丸木舟と同じですが、いろいろな部材を継ぎ足した準構造船が主流であったことがわかっています。遣唐使船のような構造船にはおよびませんが、丸木舟と比べれば積載量が大幅に増えます。この準構造船の登場する弥生時代までは、馬という大型動物を日本列島に輸送することは難しかったのではないか、というのが私の考えです。」(諫早直人)

左は「知られざる古墳ライフ」からの引用。
その部分の説明は次の通り。

「海を渡ってやってきた馬は、まずは河内平野、今の大阪府寝屋川市、四條畷市、東大阪市付近で馬飼の人たちと共に暮らすようになりました。
 当時の牧場を「牧(まき)」といいます。この牧で育てられた馬は体高が120cmから130cmほど。わたしたちが今、目にする、足がすらっとしたサラブレッドとは、まったく違う馬だったようです。」

サラブレッドの体高は平均して160数センチ、人の背の高さくらい。
左と下の写真はモンゴルで乗馬したときのもの。
モンゴルの馬は日本の乗馬クラブの馬(ほとんどがサラブレッド)と比べると小型だ。
弥生時代から古墳時代にやってきた馬はこれよりも小さかったと想像される。
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応神天皇陵古墳と呼ばれている「誉田山古墳(こんだやまこふん)」や百舌鳥・古市古墳群から騎馬用馬具・馬形埴輪が出土している。これらは五世紀前年代のものと考えられている。
日本列島における馬の本格的な渡来や定着というのは、百舌鳥・古市古墳群の築造期間内、古墳時代中期におきているというのが、この本の著者の一人諫早直人さんの説である。
そして「これまで出土した古墳時代馬具のほとんどが、騎馬用馬具です。このことから日本列島に運ばれた家畜馬の主たる用途は、騎馬であったと考えられます。」と説明されている。
つまり百舌鳥・古市古墳群が造られている時代に、馬がやってきた。そしてその当時の用途は騎馬であった、ということである。
そうすると「古墳を造成するときに馬を使ったかどうか?」という疑問にはどう答えたらいいのだろう。