古墳は人の手で造られた。

左は堺市博物館の前に掲示されている大仙古墳(仁徳天皇陵)のパネル写真。

世界遺産に指定されてから、この古墳の見学や博物館の見学、大仙公園の利用が大変多くなったように感じる。

こんな巨大な古墳はどのようにして造られたのだろうか。 NHKのユーチューブ(NHK for School )に上左の写真のような説明がなされている。

https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005402274_00000

設計から建設、埴輪や巨石を運ぶための修羅の説明もされている。
修羅を使って巨石を運んでいるのは多くの人だ。

藤井寺市立図書館に写真のようなジオラマがあるそうだ。
古墳づくりの様子が模型を使って説明されている。
巨石を運ぶ修羅の実物大の展示もある。
人の大きさと比べられるようになっている。これらはNHK  for  School の内容と同じだが、立体模型なのでよくわかる。
藤井寺市には多くの古墳があり、その中でも仲津山古墳(仲津媛陵)は長さは286mあり、全国で9番目の大きさである。ほかに岡ミサンザイ古墳(仲哀陵)は238mあり全国で17位である。藤井寺市・羽曳野市には200mクラスの古墳が存在する。

左は堺博物館にある馬の埴輪。
とても立派な馬の埴輪がいくつも並べてある。
馬の埴輪の展示の後ろには、古墳づくりの様子のパネルが貼られている。
ここで疑問が出てくる。
古墳に馬の埴輪がたくさんあるということは、この時代には馬が日本にいたということだ。
では「古墳づくりに馬は使われなかったのだろうか?」という疑問が出てくる。

ウィキペディアなどを見ると、日本に馬が伝えられたのは五世紀ごろといわれているそうだ。日本在来の馬がいたという説もあるそうだが、現代につながる馬の伝来は5世紀頃と考えていいようだ。そして同時期に牛や稲作も伝わってきたようだ。
古墳が多く作られたため古墳時代と言われているのは、三世紀から七世紀の間を言うようだ。前方後円墳で有名な大仙古墳(仁徳天皇陵)が造られたのは五世紀後半と考えられている。

馬の伝来が5世紀の中頃と考えられているから、ちょうど大仙古墳とかさなってくる。また多くの古墳から馬の埴輪が発見されているので、馬が古墳建設に利用されたのではないか? と考えるのも不自然ではないと思う。
そんな事を考えて、すこし調べてみたことを次回に書いてみたい。

堺市のホームページに大仙古墳(仁徳天皇陵)の埴輪が紹介されていた。

ここにも馬の埴輪が紹介されていた。