奥の細道を英語で、番外編2

松尾芭蕉終焉の地を訪れる

ここは御堂筋。 南御堂のすぐ近く。
地下鉄心斎橋駅と本町駅の間にある。
難波に向かって立つと、左側の緑地帯にある。 
上の写真は本町駅方面を向いて撮影している。
写真の石碑は難波に向かって、文字が読めるように建っている。
そこには「此附近芭蕉翁終焉ノ地」と彫られている。
この文字の面の右側面には「昭和九年三月建立」とある。

ウィキペディアによると、松尾芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日に南御堂の門前にある(現在の南久太郎町6丁目附近)花屋仁左衛門の屋敷で亡くなっている。
そして翌日の13日に滋賀県の義仲寺にはこばれ、木曽義仲の墓の隣に葬られたという。
写真にある石碑附近に、花屋仁左衛門の屋敷があったらしい。
御堂筋の拡張工事などで現在のような姿になったのだろう。

道路を渡って南御堂の中に入ってみよう。 左側に鐘と立て札・石碑が見える。

「史蹟 芭蕉翁句碑」という石碑がある。 立て札には、
「芭蕉句碑  旅に病んで ゆめは枯野をかけまはる   ばせを
この句は芭蕉の臨終の句の一つで、この大阪の地で吟ぜられたものである。   
芭蕉は元禄七年(1694)秋 伊賀から門人達に迎えられて 大阪に着いたが滞在中に病気になり 養生のかいもなく十月十二日にこの南御堂前で花を商う花屋仁左衛門の屋敷で 五十一歳を一期として 旅の生涯を閉じた。   
この句碑は後世 天保の俳人達によって建てられたものである。   
当南御堂では 芭蕉を偲んで毎年芭蕉忌が勤修され 法要の後盛大に句会が催されている               南御堂 難波別院   」 とある。

松尾芭蕉は伊賀で生まれ、東京深川に住み、全国に俳句を広め、「奥の細道」を書いた。というのが私のこれまでの理解だったが、Enjoy Simple English を聞き続けて新しく学ぶことが多かった。
それにしてもこの大阪が、しかも御堂筋が終焉の地とは知らなかった。
南御堂は私が時々落語の寄席で訪れる「難波神社」のすぐそばにある。
そして難波神社には人形浄瑠璃文楽座跡の石碑がある。
この付近は大阪、いや全国の芸能・芸術にゆかりのある地であることをあらためて知った。

松尾芭蕉の句碑がある緑地帯に、のんびりと日向ぼっこをしている猫。
夢は枯野を巡っているのか、気持ちよさそうだった。