Sansho-dayu 山椒大夫3

The mother was happy that she met a kind man.
She wanted to pay for the room and food, but the man said it was not necessary.
Instead he said,
“I’ll keep your wallet for you.
You don’t want to drop it in the ocean.”
The next morning, the man took the travelers to the  sea.

*ここは森鴎外の作品と少し違うところがある。

夜が明けかかると、大夫は主従四人を急き立てて家を出た。そのとき子供らの母は小さいふくろから金を出して、宿賃を払おうとした。太夫は留めて、宿賃はもらわぬ、しかし金の入れてある大切なふくろは預かっておこうと言った。なんでも大切な品は、宿に着けば宿のあるじに、舟に乗れば舟の主に預けるものだというのである。・・・・、
母親は余儀ないことをするような心持ちで船に乗った。子供らは凪いだ海の、青いかもを敷いたような面を見て、物珍しさに胸おどらせて乗った。ただ、うばたけが顔には、きのう橋の下を立ち去ったときから、今舟にのるときまで、不安の色が消え失せなかった。

Then two boats appeared.
Tha man told the mother and servant to get into one boat, and the children into the other one.
Then he said,
“Have a good day!”
And he left quickly.

山岡大夫はしばらく岸に沿うて南へ、越中坂の方角へ漕いでいく。もやは見る見る消えて、波が日にかがやく。人家のない岩陰に、波が砂を洗って、海松や荒布を打ち上げているところがあった。そこに舟が二艘止まっている。
・・・・・・
「さあ、お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西國への便船じゃ。舟足というものは、重過ぎては走りが悪い」二人の子供は宮崎が舟へ、母親とうばたけとは佐渡が舟へ、大夫がてをとって乗り移らせた。
・・・・
「あの、主にお預けなされたふくろは」と、うばたけが主の袖を引くとき、山岡大夫は空船をつと押し出した。
「わしはこれでお暇をする。たしかな手からたしかな手へ渡すまでがわしの役じゃ。ご機嫌ようお越しなされ」
ろの音が忙しく響きて、山岡大夫の舟は見る見る遠ざかって行く

The boats started to go in different directions. The mother’s boat headed north and children’s boat headed south. The boy calls out to his mother, but it was too late. The mother shouted to her children. “Goodbye, my dearest children. Anju, never loss your Buddhist statue. Zushio, take care of your father’s knife. Promise me you will stay together!”

*Buddhist statue; 仏像

二人の船頭はそれきり黙って船を出した。佐渡の二郎は北へ漕ぐ。宮崎の三郎は南へ漕ぐ。「あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり行くばかりである。
母親は物狂おしげに舷に手をかけて伸び上がった。「もうしかたがない。これが別れだよ。安寿は守本尊の地蔵様を大切におし。厨子王はお父さまの下さった護り刀を大切におし。どうぞ二人がはなれぬように」安寿は姉娘、厨子王は弟の名である。

The waves took away the cries of the children and their mother under the cold sky.

安寿と厨子王は親の形見を持っている。
Enjoy Simple English では安寿はお地蔵様の仏像。厨子王は父の形見の護り刀。
しかし本によってそれが違う。

「安寿と厨子王 『京の絵本刊行委員会』では、安寿は地蔵菩薩、厨子王は由緒書。

「安寿姫と厨子王丸 新・講談社の絵本」では、安寿姫は「お地蔵さまの像」、厨子王は持っていない。

「日本伝説 あんじゅとずし王 偕成社」では、どちらも何も持っていない。

「アンジュと頭獅王 吉田修一・作 小学館」では、アンジュは「地蔵菩薩」、頭獅王は「奥州54郡の系図の巻物」

このように出版社によって二人の持ち物は違っている。
私自身の記憶には、地蔵菩薩もなかったし系図もない。
それは私自身が本の記述を忘れているのかも知れないし、読んだ本がそうだったのかどうか確かめようがない。