ゴッホのひまわり

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

ここは地下鉄「肥後橋駅」が最寄りの駅となる「国立国際美術館」。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展がひらかれている。
大阪市立科学館の隣だ。
来年の1月31日までの公開だが、大阪市が新型コロナウイルス赤信号なので早めに行くことに決めた。
チケットは(当日券もあるそうだが)ローソンで日時指定で買わなければならない。
この日はお昼すぎだが人の出足はなかなかのものだった。

お目当てはもちろんゴッホのひまわり。
夏に大塚国際美術館でひまわりの絵を見てきたが、本物が大阪にやってきたので、これは見に行かなくてはならない。
左は館内のショップで買ったクリアホルダーの写真。
日本では美術館内の写真が撮れないところが多いのが残念だ。
日時指定のため館内は比較的すいている。
正倉院展のように1時間程度の見学時間。ずらっとならんで見ることもないのでゆっくりと絵を一枚一枚見ていくことができた。
「ひまわり」の絵は、展示の最後の部屋にあった。
大きさは92.1×73cm。
想像しているよりも大きい。上のパンフレットの写真のようにフェルメールとひまわりの絵が2つ並んでいると、実際の大きさがわからない。フェルメールは実際に見ると、思っているよりも小さく感じる。(フェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」の大きさは、51.5×45.5cm)
ひまわりの絵の前が大混雑、ということもなく、ゆっくりと取り囲んで自分の納得するまでみることができた。 

左はミュージアムショップで購入したミニのアルバム。大きなアルバムもあったが、小さい方を買った。
このアルバムの「ひまわり」の解説を引用する。

「ゴッホは南仏のアルルに移り住むと、ゴーガンとの共同生活を始めるにあたって、ひまわりの絵を7枚描きました。本作はゴーガンの寝室を飾るために描かれ、自らサインを記した、たった2枚の絵のうちの1枚です。ひまわりは伝統的に「忠誠」を表し、夢であった共同生活への忠誠を象徴していたとも考えられます。新たな環境で制作に没頭しようとしたゴッホの超人的なエネルギーや生命力が、厚く塗られて画面をうねる黄色の絵の具からほとばしるようです。」

1888年の作品だそうだ。120年あまり前の作品とは思えない、迫力のある絵だった。大塚国際美術館では7枚の「ひまわり」を見ることができ、それは素晴らしい展示だったが、やっぱり本物はいい。こんな機会がなければ本物の「ひまわり」を鑑賞することはできない。

パンフレットの写真にあるように、ルノアールの「劇場にて『初めてのお出かけ』」、
モネの「睡蓮の池」、
レンブラントの「自画像」
などのように中学校や高校の美術の教科書で見たような、有名な絵も展示されていて楽しい展覧会だった。
 ゴッホが共同生活を楽しみにしていたゴーガンの作品は
「花瓶の花」の一作だけだった。
ひまわりの黄色とちがって、ゴーガンの花束は紫のような青、赤、白の花が目に飛び込んできた。「ゴーガンはこんな絵を描くのだなあ」と思わずつぶやいた。ゴーガンの晩年、タヒチで描いた絵だそうだ。ゴッホとゴーガンの花の描き方の違いを知ることもできる展示だった。

帰りの電車の中でポプラ社のPR雑誌「asta アスタ」を読んでいた。ブレデイみかこさんが連載しているので書店で手にした本だ。
その中の山本幸久作「花屋さんが言うことには」を読んでいたときだ。
「ひまわりの花言葉」というところでびっくりしてしまった。
こんな話だ。

中学2年性の男子が花を買いに来た。
転校する幼馴染の女の子に花を贈りたいということだ。
迷った末にひまわりの花になった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「何本にします?」
「3本っ」作業台のむこうから李多が言った。「向日葵だったら3本がちょうどいいわ。3本になさいな」
                      ・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ3本か。
この小説によると向日葵の花言葉は本数で違うのだ。
 999本は(何度生まれ変わってもきみを愛する)
 108本は(結婚しよう)
 99本は(永遠の愛)
 11本は(最愛)
 7本は(ひそかな愛)
 1本だけは(一目惚れ)
そして3本は(愛の告白)ということだ。

この小説は寺山修司の短歌がテーマになっている。

 列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし

ゴッホの「ひまわり」が「花言葉」につながり、寺山修司の短歌にひろがっていくという楽しい探検をしているかのような一日となった。