隆祥館書店(セブンルール)

私のよく見るテレビ番組に「セブンルール」というのがある。
様々な分野で活躍している女性をとりあげた番組た。
つい最近書店を取り上げた放送がなされた。
その書店が「隆祥館書店」という本屋さんだ。
番組を見ていると、場所が谷町六丁目ということにびっくりした。
大阪城や大阪府警のちかくだ。また松屋町筋もそばにある。
こんなところに本屋さんがあったかなあ、と思いながら番組を見て、これは行ってみる価値はあると思った。

ビルの1階にある小さな本屋さん。 私の学生時代には家の近所や駅前にはいくつも本屋さんがあった。人との待ち合わせのときにでも「〇〇書店の中で」とか「△△堂の本屋さんの前で」とよく言ったものだ。
しかしこの数年の間に街の本屋さんの姿がどんどん消えていった。
駅前の本屋さんがなくなって、コンビニや弁当屋さんにかわって、びっくりしたことが何度もある。
ここ「隆祥館書店」はそんな昔の本屋さんの雰囲気があふれる書店だった。

この書店の歴史や背景は左の本によくまとめられている。
図書館にあったので、番組を見たあとすぐに借りて読んでみた。
1952年に開業して70年になる老舗の本屋さん。親子二代に渡る経営で地元に定着して、ファンも多いそうだ。
今の店主の二村知子さんは元シンクロナイズドスイミングの日本代表でもあり、オリンピックでメダルも獲得した経歴がある。
父親のあとをついで店主となり、独自の活動で読者層をふやす努力をされている。左の本には、その経過と努力が詳しく紹介さている。

独自の取り組みとして二つあるようだ。
その一つが「ママと赤ちゃんのための集い場〜絵本と遊びでこころを育む〜」という毎月第3水曜日のとりくみ。
そしてもう一つが、本の作者・著者とのトークイベント。このトークイベントは250回をこえている。最近は本の著者からのオファーあるそうだ。読者と作者のあいだの壁をこわし、溝を埋める作業はどちらの方からも望んでいるからだろう。

私が買おうと思っていたのが左の本。
新聞の朝刊にこの本の広告が載せられていたからだ。
関東大震災のあと憲兵に逮捕され虐殺されたといわれている伊藤野枝をモデルにした小説である。
隆祥館書店に来たときは、書籍名や著者のメモを持って行ってなかったので、「伊藤野枝の伝記が出版されたと新聞で見たので」と店主の二村知子さんにたずねた。
パソコンや関係する本で調べてくれるが、何分私が著者も言えないので申し訳ない。
私もスマホで検索して見つけることができた。
その画面を二村さんに見せると「ああーっ、この本、今朝二冊仕入れました!」と笑顔で本を取り出してくれた。
さっそく買ったのが上の写真の本。
「風よ あらしよ」村山由佳著(集英社)
これだな、本に対する愛情がなみなみならない。本を買いに来たお客さんに親身になって相談に乗ってくれる。これが70年におよぶ小さな本屋の真骨頂なのだと思った。

育休明けで仕事に復帰している知り合いの女性に、この隆祥館書店のことや「ママと赤ちゃんのための集いの場」のことを紹介すると、
「母が孫のプレゼントに本を買うとき、相談に行った本屋さんがこの本屋さんです。」と返事がかえってきた。
赤ちゃん用の本から関東大震災の本まで、読者のニーズに答えてきたのがこの隆祥館書店なのだ。
私の家からは遠い本屋さんだけど、谷町六丁目に行く用事があれば寄りたいお店ができた。しかもそれが本屋さん。ありがたいことだ。

 

 

 

 

なんばパークス

ここはなんばパークス。
案内標識にあまり目立たないが案内プレートが貼ってある。
「大阪球場
 メモリアルプレート
 ピッチャーズプレート約28m先
 ホームベース約10m先」と書かれている。

10m先にあるのがこれ。拡大してみよう。

タイルで作られたホームベースだ。
「1950 − 1998   
     大阪球場」
とかかれている。その下には南海ホークスの鷹のマークとHawks と刻まれている。

「南海ホークス」と言って分かる人は少なくなった。今では「福岡ソフトバンクホークス」だ。「南海ホークス」と言う名称は1938年から1988年までのものだ。
「南海ホークス」の球場が「大阪球場』であり、選手たちは「中百舌鳥球場」で練習をし、中百舌鳥には選手の寮があった。
今は「大阪球場」は1998年に営業を終え、グランドは住宅展示場などに使われていたが、2003年10月に「なんばパークス」に生まれ変わった。中百舌鳥にあった練習用の球場や選手寮はもっと以前に高層の公営住宅に変わっている。

左の写真はホームベースから約18mはなれたところにあるビッチャーズプレート。
こうしてみると、ピッチャーとバッターの距離というのはかなりあるもんだと実感する。

なんばパークスには何度もきているし、ここがかつては大阪球場だったことも知っている。しかし「ホームベース」と「ビッチャーズプレート」の記念碑があるとは気が付かなかった。ほとんどの人も気づかずに通り過ぎていた。
気が付かないかもしれないが、こういった記念碑は大切だと思う。
私のように、昔を懐かしむ人はいるに違いない。

4連休になんばパークスに来たが、人ではかなり多い。このホームベースとピチッチャーズプレートの写真を写すために、人通りの少ない時をまったが、ほぼコロナ前にもどってきたかのように思えた。違うのはほとんどの人がマスクをしているということ。何かの練習帰りのような体格のしっかりした男性たちが「マスクをしておこうか」と声をかけあっていたから、マスクは定着しているのかもしれない。

なんばパークスに面して「住宅展示場」がある。
そこで日曜日のイベントをやっていた。

バジルを摘み取って、ピザを作るというイベントだ。

薪ストーブを使ってピザを焼くという、キャンブ風の取り組みも面白かった。
たくさんの親子が来ていたが、ソーシャルディスタンス、マスク姿、そしてキャンプ風のイベント、新型コロナウイルス前と変わってきているところだろう。
しかし以前のような混雑ぶりがもどってくると、さてコロナの終焉はどうなるのだろうと心配する。2週間後の大阪の感染者は?と思うと不安感がでてくる。
大阪球場のプレートのように、教科書や記念碑に「新型コロナから学ぶ」という内容のものが残されるのかもしれないなあ。

 

 

 

 

消えた基準点

水準点めぐり 22

写真は電子基準点。
銅座幼稚園の前の公園。
地下鉄谷町4丁目が最寄りの駅。
この周辺には、大阪城公園や大阪府警、大阪府庁があるという、いわば大阪の中心地といっていいのかも。
この写真は2013年6月にとったもの。
私が初めて電子基準点を見たときのものだ。
2020年現在、全国に約1300の電子基準点が設置されているそうだ。
高さは約5メートルの金属の柱。
上空を飛ぶGPSの人工衛星からの信号をキャッチし、24時間の観測を行っているそうだ。

上の写真は2020年9月のもの。ない、電子基準点がない!

公園の中に入って、角度を変えて写真を撮る。
電子基準点があったところには木が植えられているように見える。
周りを見ても、電子基準点があった痕跡はまったくない。
どこかに移動したなどの表示もなかった。
三角点だけではなく、電子基準点も消えてしまうことがあるのだろうか。

国土地理院のホームページから、この付近の電子基準点はどうなったのかを調べてみた。
銅座幼稚園のそばにあった電子基準点は記載されていなかった。
かわりに真田山公園の中に新しい電子基準点が設置されていることがわかった。
さっそく写真を撮りに行くことにする。

ありました。ピカピカの電子基準点が公園の南側の入口付近に設置されていた。
近くには味原幼稚園があった。

「ここに建っているステンレス製の柱は、電子基準点といいます。 柱の先端部にはGPS等のGNSS(全世界的衛星測位システム)衛星からの電波信号を受信するアンテナが取り付けられており、柱の中には受信機本体と受信データを転送するための装置が入っていて、常時連続観測を行っています。
・・・略・・・・全国に設置し、各地で得られたデータを茨城県つくば市にある中央局に転送し、コンピュータで処理して電子基準点の位置を正確に求め、各種測量の基準として利用するとともに、地震予知に重要な地殻変動の監視もおこなっています。
国土交通省国土地理院・・・・」

ステンレス製の柱の足元には丸い金属板が埋め込まれている。
「電子基準点付属標   
 基本  
 国土地理院
 この測量標を移転毀損すると測量法により罰せられます」 の文字がみえる。
この付属標は水準測量にもつかわれることがあるそうで、二等水準点の役割を果たしているものもあるそうだ。

国土地理院のホームページのデータによると、この電子基準点は「2019年7月17日登録」、となっていたから、ごく最近の登録だ。

ここからは私の推測だが、銅座幼稚園そばにあった電子基準点がここに移動したのだろうと思う。銅座幼稚園も、真田山公園も上町台地にあって古い地盤の上にある。今後の地震予知には重要なデータを発信できる位置にあるのではないだろうか。
「電子基準点も消えるのか?」と思ったが、今回はどうも「電子基準点は移動した」というのが正解だろうと思う。
とにかく「電子基準点」があってよかった。