漢字ミュージアム2

西洋人が日本の漢字を知り、
      学習するようになった。

戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、キリスト教イェズス会の宣教師たちがに日本で布教活動を行いました。
その布教のため作られた文献を、「キリシタン資料」と呼びます。
例えば、1598年に長崎で作られた「落葉集」という辞書は、宣教師たちが日本語を勉強するために、西洋から持ち込んだ活版印刷という技法(一字一字のハンコのようなものを組み合わせて版を作る方式)で作られました。

*これを読むと、全く知らない外国語、ここでは日本語を勉強するために大変な努力をしたことがわかる。

*この「落葉集」の解説に大変面白いことが書かれていた。

「イェズス会の宣教師たちによって作られた辞書です。
現在と同じく「ぱの◯」という符号で半濁音を表しています。
「夫」「邊」のルビ「ぷ」「ぺん」がそれです。
(天理大学付属天理図書館所蔵)」

*私はこれをみて、半濁音の実物を見ることができたと思った。
ぱ・び・ぶ・べ・ぽ、という半濁音は1600年頃には使われていたのだ。さらに興味を引く事実がパネルで紹介されていた。

西洋からの外来語をカタカナで書く
     表記法が生まれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在一般に広く行われている「普通の言葉は漢字ひらがな交じり文で書き、その中の外来語などはカタカナで書く」という書き方は、新井白石の「西洋紀聞」(1715年)で初めて使われたものでした。

この書き方は、とくに外来語をよく使う蘭学者(西洋医学を学ぶ医者)たちに広く受け入れられ、外来語が大量にやってきた明治になって、一般人にもひろまりました。

*左の「西洋紀聞」についての解説は次のように書かれている。

「新井白石によって書かれた西洋の研究書で、写真は白石の自筆本です。左から2行目に「西洋イタリアの地名にて」と書かれています。現在と同じく、漢字ひらがな交じり文を基本として、外来語がカタカナで書かれています。(国立公文書館所蔵)」

*私の知りたかったことが、ここ「漢字ミュージアム」で解決できた、と思った。
長い時間をかけて、現在使われているように、漢字、カタカタ、ひらがなが自由につかえるようになったのだとよくわかった。

これは「駿河版銅活字(するがばんどうかつじ)」のレプリカ。
解説によると、徳川家康がつくらせた日本最初の銅製活字のこと。1606年から1616年にかけて11万余字がつくられ、この活字を使って「大蔵一覧集(だいぞういちらんしゅう)」と「群書治要(ぐんしょちよう)」とが刊行されたと書かれていた。
江戸時代初期に銅製の活字が作られたこと、その現物があることに驚いた。江戸時代ではかわら版や小説は木版画だったように記憶している。
金属活字ではなく、木版が一般的だったのは技術的なことからなのだろうか。またわからないことが出てきた。

このあと展示は、「変体仮名」から「現在・2010年11月の『改定常用漢字表(2136字)の告示」まで紹介されていた。
「変体仮名」については、ハンコまで作られていて、自分の名前を変体仮名で書いてみようなどの工夫がなされていた。
私は「変体仮名」についてはまだまだ知識がないので、もう少し勉強したいなぁと思いながら2階に上がった。