漢検漢字博物館・図書館

ここは八坂神社の直ぐ側にある、「漢検漢字博物館・図書館」

ホームページには次のように紹介されている。

『漢検 漢字博物館・図書館』(漢字ミュージアム)は、ただ漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す体験型ミュージアムです。日本の漢字文化を国内はもとより世界へと広く発信し、「漢字って面白い!」と感じる子どもや大人がたくさん増えるよう、これからの未来につながる知的“かんじ”好奇心をお届けします。

『漢検 漢字博物館・図書館』(漢字ミュージアム)は、平成23年に閉校した京都市元弥栄中学校跡地に建築しています。
京都には、地域教育の礎として全国に先駆けて小学校を創立した教育への熱い思いがあります。その小学校の卒業生たちがさらに学び続けた中学校が、新しく生まれかわり、京都市内のみならず全国すべての小中学生にとって漢字を学び集う場所になります。そして日本の漢字文化の拠点となり100年後の日本をささえる教育の拠点になりたいとの思いを込めています。

レブリカだけど、甲骨文字に直接触れるなんてことは今までなかったこと。

金属に掘られた古代の文字。どんなふうにして刻んだろうと考えてしまう。

右側の木簡の説明には、「湖北省荊門市(こほくしょうけいもんし)の郭店1号墓から出土した、紀元前3〜4世紀頃のもの。『老子』が書かれている。」とあった。紀元前300年ごろといえば、2000年以上前のもの。そんな昔から文字があり、しかも残されているなんて、すごいことだと思う。

壁面には日本語の歴史がパネルとして紹介されていた。そのパネルに書かれていることを紹介してみよう。

漢字を日本語風に使いこなしはじめた

1.漢字に日本語訳を与えて「訓」が生まれました。

日本人ははじめ、文章そのものは漢字で書き、地名や人名などの固有名詞は、感じの意味を捨てて音だけを借りて綴るという方法で文章を書いていました。こうして、頭の中で漢文を日本語として長年理解していくうちに、次第に漢字の意味と「やまとことば」とが結びついて、この漢字は日本語では皆がこう読むべきだ、という決まりができました。その決まった読み方を「訓」といいます。

2,漢字を表音文字として使う万葉仮名が生まれました。

漢字の意味を無視し、漢字の音読みや、訓読みだけを表音的に用いた文字が、万葉仮名です。例えば「夜麻登(ヤマト)」の「夜」「麻」「登」は音読みを使った万葉仮名、「夏樫(ナツカシ)」の「夏」「樫」は訓読みを使った万葉仮名です。奈良時代の「万葉集」で使われた仮名なので「万葉仮名」と呼ばれますが、「万葉集」が初めてつかったわけでも、「万葉集」がすべてこの仮名で書かれているわけでもありません。この呼び名は、奈良時代の仮名を象徴的に指す呼び方です。

3,漢字を使った日本独特の文章が生まれました。和歌漢文

漢文の文章様式でありながら、その中に日本語の要素が混ざっている文章のことを「和歌漢文」と呼びます。和歌漢文の見た目は純粋な漢文に似ていますが、語順や語彙などに日本語の影響があるため、漢文としては読めません。奈良時代から、日常的な文章や戸籍などを書くときに広く使われました。
10世紀ごろからは、貴族が和歌漢文で自分の日記を書くことが盛んになり、その後も手紙文などの文体として長く使われました。

左は古事記の最古の写本。1371年〜1372年頃のものと言われている。主に和歌漢文で推古天皇までの歴史がきされている。

 

4,漢文を日本語として読むためのしるし。訓読記号

漢文を日本語に置き換えて読むときにはさまざまな記号(符号)が使われました。中国語は日本語と語順が違うので、漢文を日本語として読む場合には、読む順番と書く必要があります。この時に使われる記号が「返り点」です。他に、助詞(て・に・を・は)などを補う必要もありますが、これは漢字の四隅や四辺の決まった場所に「、」を打つことで表しました。この点を「ヲコト点」と呼びます。このような記号は、墨だけではなく、角筆(かくひつ)という硬い棒の先によって、紙を凹ませることで記されることもありました。

5,漢字を使った日本独自の国字がうまれました。

日本で独自に作られた漢字を「国字」といいます。
中国大陸と日本とは生活環境や文化が異なるので、感性も異なりますし、日本にあるもの全てを漢字で表すことはできません。
そこで、奈良時代より少し前から、日本人は独自の漢字を作って使ってきました。
例えば「イワシ」は、「すぐに死んでしまう弱い魚」なので「鰯」。
サカキは「神に捧げる木」なので「榊」などです。
このように、国字は多くが会意(かいい 漢字の意味を組み合わせて一つの漢字を作る方法)によって作られました。

左の木簡は、
右は藤原宮跡出土のもの。今の山口県からの荷物につけた木の札(木簡もっかん)。万葉仮名で「伊委之(いわし)」と書かれている。
左は平城京跡出土のもの。「鰯(いわし)」四十隻(よんじっせき)を申請した時の木の札(木簡)。国字の「鰯(いわし)」が使われている。

この後、パネルは「カタカナ」「ひらがな」の発展が記されている。
以前、私は日本語のひらがな・カタカナの歴史を調べて、ブログにのせたことがあるが、この時にここの「漢字ミュージアム」を知っていたら、もっと短時間でできたのに、と思う。しかしなかなか楽しい博物館だ。