愛蘭土紀行 27

アイリッシュ・ダンス

夕食の会場に向かう途中にダニエル・オコンネルの像があった。上の写真の左。司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行1」にオコンネルのことが書かれている。

「かれが生まれた1775年のころは、すでに英国国教会が前前世紀に成立していて、アイルランドにおけるカトリック教徒がーつまりは庶民がーもっともみじめな時代だった。(P197〜)」。このあとアイルランドの悲惨な歴史が書かれている。たたえば「カトリック刑罰法」「結婚への制約」「カトリックはあらたに土地を購入できない」「収入の1/10を自分の教会でない英国国教会に税として収めなくてはならない」など「しめあげるようにしぼりとられた(P199)」。

「オコンネルが25歳のとき、イギリスはアイルランドを併合した(1800)。
ダブリンで法律家としていたオコンネルは、むろん併合に反対だった。ただかれは暴力的手段を嫌い、あくまでも”併合法を撤回せよ”とさけんだ。・・・・略・・・・
1843年8月15日、オコンネルは、
『タラの丘へ!』
と叫んで、ひとびとをその田園の丘陵の丘にあつめた。歴史的な大集会だった。
(P201〜P202)」

「タラの丘」とはブログ「愛蘭土紀行その17」で書いた、あの「タラ」である。
「タラ」というものが、アイルランド人にとってとても大切なものであることがわかる。スカーレット・オハラが「タラへ帰ろう」と思わず声が出たのもこういった歴史的な背景があるからだろう。

ダニエル・オコンネルの像の頭には、鳩がとまっていた。鳩にとってもここが安心な場所なのだろう。

ここは「アイリッシュダンス」を見ながら、夕食が食べられるレストラン。

ケルティック・ナイトショーが楽しめる場所。アイルランドの人のために、というよりも私達のような外国人の観光客向けの大きなレストランだった。

アイリッシュダンスの歴史を調べるとまたもやイギリスの圧政が登場する。ウィキペディアによると、

「16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊る事も禁止されて、窓を通して外から見られた時に、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンスが誕生した おそらくアイリッシュ・ダンスの伝統は、アイルランド伝統音楽との密接な関係の中で発展したものと思われる。誕生はキリスト教が伝わる前で、後に、大陸のダンス形式、とりわけカドリーユから強い影響を受けた。遅くとも1900年代の初めには、旅回りのダンス・マスター(ダンシング・マスター)がアイルランド中に教えて回っていた。」

ここに書かれているように上半身を動かさずにタップを踏むダンスとして有名だと思う。日本で知られいるダンスの団体では「トリニティ・アイリッシュ・ダンス」が有名だが最近は来ていない。ガイドさんの話によると中国で爆発的なブームになり、現在は中国各地をまわっているらしい。中国は広いからなあ、日本にはなかなか来ないだろうなあ、と思っていたら来年2020年6月に日本公演があるとネットで紹介されていた。大阪公演があれば、ぜひ見に行きたいものだ。

http://trinity-japantour.com/

私達は少し奥の席にいたので、写真がわかりにくいかもしれない。民族衣装を来た男女のダンスは迫力があり、アイルランドの音楽も楽しかった。
会場の半数以上はアメリカ人だった。私達のような日本人の団体は2組ほどきていたようだ。

食事もおいしく、アイルランドの最後の夜を楽しむことができた。
アイリッシュ・ダンスのように、伝統に息づく文化は、虐げられたり苦しんできた歴史を背景にしたとき、現在に伝えられている意義は大きいと思った。
そういった文化と歴史を学ぶことができるのが、このツアーだと思う。

さあ、いよいよ明日は日本に向けて出発だ。