愛蘭土紀行 25

ラフカディオ・ハーン 小泉八雲

ここはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が住んでいたところ。

小泉八雲・ラフカディオ・ハーンにゆかりのある家がアイルランドにあることは、私は想像もしていなかった。

司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行」に、ラフカディオ・ハーンことが書かれていた。

「教会尖塔を仰ぎながら 『パトリック』という、アイルランド人にしかない名前について考えた。小泉八雲(1850〜1904)のハーン家は、17世紀にはダブリンに存在していたといわれるが、八雲には二つの名前がある。一つは母方ギリシャの地名にちなんだラフカディオだが、もう一つは父方のアイルランドを代表するかのように、洗礼名がパトリックなのである。 アメリカの英文学者で、地名研究者でもあるG・R・スチュアート教授(1895〜1980)に『アメリカ人名辞典』(木村康男訳、北星堂書店刊)という著作がある。その Ptrick をひくと、アイルランド特有ともいうべき名で、すくなくともイングランドには普及せず、さらにはアメリカでも、ニューイングランドに移住した英国系の勢力が圧倒的だった時代にはこの名は希少だったそうである。すくなくとも、1820年以前には、ハーヴァード大学の学生名簿には一人も見当たらないらしい。  欧米世界ではさびしい名ながら、アイルランドにあっては、一国の精神的別称ともいえるほどに大きな名なのである。」

上の本は、島根県松江にある「小泉八雲記念館」で買った本である。伝記本だがマンガなのでとてもよくわかる。
最初に小泉八雲誕生のページがある。

「その名を”パトリキオス・レフカディオス・ヘルンと名づけられた」と書かれていて、欄外に「*英語名=パトリック・ラフカディオ・ハーン」と書かれている。
司馬遼太郎さんの言うのは、このことなのだろう。

1852年夏、ハーンは母ローザとアイルランドにある父の実家ダブリンに来る。
その家の様子がマンガでも表されている。わたしたちの見た家である。
マンガの取材も丁寧にされていることがよくわかる。

ハーンはこの家には少しの間だけ住んでいて、このあと母ローザとともに大叔母サラ・ブレナンの家に移り住むのだが、その家のことはわからない。

現在残されているハーンゆかりの写真の家は、第三者の手に渡り、人が住んでいる。玄関にラフカディオ・ハーンという表示はあるが中の見学はできなかった。

ラフカディオ・ハーンのことは、別の機会に書いてみたい。

ダブリンの町の住居の玄関ドアは、カラフルな色に塗られている。
ハーンゆかりの家は真っ赤なドア、写真のように鮮やかな黄色のドアや、緑、青など、観光客の目を楽しませるかのようだ。

午後からは自由散策の時間。
さて、どこに行こうか。