愛蘭土紀行 23

聖パトリック教会

聖パトリック教会は工事中だったが、中を見学することはできた。

司馬遼太郎さんは聖パトリック教会について、「カトリックの教会だと思っていたら、英国国教会だった」と驚きのニュアンスで「愛蘭土紀行1」で書いている。
聖パトリック教会は1191年創設と言われている。最初はケルト系教会だったが、イングランドの宗教改革の影響で英国国教会系となった。「愛蘭土紀行1」には、

「教会に、カトリックの聖人の名がついているじゃないか、と思った。
聖人というのは、ローマ・カトリックの神学とながい習慣によってできたものである。新教(プロテスタント)には聖人崇拝がなく、その後、新教の影響を強くうけた英国国教会においても聖人崇拝があるはずもないと私は思っていた。
・・・・略・・・・なにしろ英国国教会は16世紀、ヘンリー8世が王妃と離婚したいがために教会をローマから独立させ、英国国教会として出発させた宗教だから、諸事、鷹揚あるいはぬえのようにできている。
 初期にはカトリックに揺れたり、プロテスタントになったり、じぐざぐをくりかえしたが、やがて中道を行くということにおちついた。たとえば儀式はカトリック、教義は新教、聖教者のスタイルは結婚生活が許されるということで、新教の牧師じみている。」

この「中道を行く」までに大きな悲劇がアイルランドにはあった。
司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行1」には次のようなことが書かれている。

「ただし、アイルランド人は、いまもクロムウェルを許さない。
 1649年夏、クロムウェルは”共和国軍”2万をひきいてアイルランドに押しわたり、かれらがカトリックだというだけで、大虐殺をやった。聖職者、修道女、女子供をえらばなかった。
 ドロヘダでは4千人を虐殺して、ウエックスフォードでは二千人を虐殺した。働き盛りの男をみつけると、アメリカ大陸へ奴隷(年季奉公人)として売りとばした。
「プロテスタント」という言葉が、アイルランドにおいては、悪魔もしくはそれ以上のイメージになったのは、このときからだった。
 宗教は、水か空気のようである場合はいいが、宗教的正義というもっとも悪質なものに変化するとき、人間は簡単に悪魔になる。」

聖パトリック教会の中には、美しいステンドグラスがたくさんあった。
そこはプロテスタントの教会的ではない。キリストやマリア像はないが、カトリックの教会の雰囲気がある。

司馬遼太郎さんは言う。

「つまりはいい意味でいいかげんであるため、カトリックの専売特許であるはずの”聖人”の称号をそのまま英国国教会で無断借用して、”聖パトリック教会”と名づけているのである」

私にはキリスト教のことはよくわからないが、歴史の中で右往左往させられてきたアイルランドのことを思うと、素直にはその「いいかげんさ」では理解できない部分がある。

聖パトリック教会の前庭には、美しい花壇があり花を咲かせている。子どもの遊具などもあって、楽しく明るい空気がある。
こんな風景がいつまでも続いてほしいと思う。

この聖パトリック教会には、私の見たいものがあった。
それは「ガリバー旅行記」を書いたスイフトの墓だ。