愛蘭土紀行 その12

サイレントバレー山岳公園

上の地図にある「カーリングフォード湾」は北アイルランドとアイルランド共和国の国境線になっている。船に乗って国境をこえる、というのも一興だった。

松本侑子さんのお話によると、ここは「ナルニア国」の雰囲気がいっぱいあるところだそうだ。この公園の入口につくまでの街道から見える風景が特にそうだとおっしゃていた。

司馬遼太郎さんの「愛蘭土紀行2」によると、「氷河期のおわりごろ、氷河が移動するとき、島の西部では土壌がこすりとられて、岩盤が白骨のように露出するにいたったが、ダブリンのある東部では土壌が肥沃に堆積しているのだという(P8)」

「この沿道は湖がないかわりに、小丘陵が多い。このような細長い長方形の小丘陵のことを、アイルランドでは太鼓を連想して、『ドラム』という。あるいは地質学の用語として『ドラムリン(drumlin)という。低地もドラムリンも、見わたすかぎり緑でおおわれている(P19〜20)」

このドラムリンの風景がナルニア国を連想させると松本侑子さんは言う。

「畑には当然ながら土壌があるのだが、まことに量が少ない。その薄らとした土壌が風に吹き飛ばされないように、ニギリコブシから羊の頭大の不ぞろいな石を積んで石垣にし、畑をかこっている(P23)」
上の文章は司馬遼太郎さんがアイルランドの西にあるゴールウェイでの風景について書かれたものだが、たぶん上の写真のようなものだったと思う。

サイレントバレーはベルファストへ水を供給するために造られたダム湖。

上の写真は貯水量が多い時に水が流れ込むダム穴。そのときはさぞかし迫力のある光景になると思う。

ダム湖の見学の後、森の中のネイチャートレイルを散策する。ここは休みになると家族連れや学校の団体で賑わうところらしい。しかし私達が行った時は数組の家族連れだけだった。

森の中は美しい花がたくさん咲いていた。左の花は花弁の中に紫色の花芯があって不思議な花だった。名前を聞いたが・・忘れてしまった。

お昼は各自で後の中にあるレストラン?喫茶?で食事をとる。
下の写真の右側の煙突のある建物がそのレストラン。右側の建物はschoolという表示があったが、誰もいなかった。

食事の後、バスに乗って国境を渡るため、カーリングフォード湾に向かう。

 

 

 

愛蘭土紀行 その11

聖マーク教会

ここは昨日行って、外観だけ見た「聖マーク教会」。
C.S.ルイスが洗礼を受けた教会。
この教会についても、現地ガイドのナオコさんのブログに詳しく書かれている。
そこから引用してみると

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1873~1878年建立の聖マーク教会。ビクトリア時代の英国の著名な建築家、ウィリアム・バターフィールド(William Butterfield)設計。ロンドン一高い塔を持つAll Saints Margaret Streetや、オックスフォードの Keble Collegeを手がけたバターフィールドが、アイルランドでの唯一手がけた建造物です

ルイスを洗礼した祖父のトーマス・ロバート・ハミルトン牧師(Rev. Thomas Robert Hamilton)は、聖マーク教会の初代牧師でした。ルイスの両親が結婚式を挙げたのもこの教会ですし、少年時代のルイスが家族とともに礼拝に参列したのもここ、ルイス一家とは切っても切り離せない縁の深い場所です。

http://naokoguide.com/blog-entry-2224.html

この日は日曜日だったので、朝のミサがすんだあと、中を見学させてもらった。
紫のお手製のショールを羽織っているのは、松本侑子さん。

教会の天井は布でおおわれている。
白く見えるところがリネン。リネン産業で豊かだった時にこの教会が建てられたそうだ。
ところでリネンってどんな布だったのだろう?
ウィキペディアによると、

リネン: linen)または亜麻布(あまぬの)とは、亜麻繊維を原料とした織物の総称。フランス語ではリンネル (linière) 。広義で麻繊維に含まれ、麻特有のカラッとした風合いがある。中近東では肌着として使われてきており、エジプトのミイラを巻くのにも使われた。

また、リネンはその材質からシーツなどの寝具を指すこともある。「リネン室」とは、宿泊設備のある建物で、慣例的にシーツ、枕カバーなどを保管する部屋をこう呼ぶことも多いが、現代では必ずしもシーツ類にリネン製品が使われているわけではない・・・(後略)。

日本では北海道で栽培されていたが、化学繊維の台頭で1960年以降衰退していったそうだ。海外旅行で教会を訪れたことは何回かあったが、天井の内張りが布のリネンというのははじめてだった。清潔そうで明るい雰囲気だった。

左はC.S.ルイスが洗礼を受けた洗礼盤。今でも使われているそうだが、私はキリスト教徒ではないので、これがどのように使われているのかよくわからない。

この他にルイス兄弟が寄贈したステンドグラスが美しかった。

私達が見学していたとき、女性の司祭さんがやってこられて色々と説明してくださった。なんと前日まで日本の広島のミサに行っていたというのだからびっくり。日本とアイルランドとのつながりがあっておどろいた。

ナオコさんのブログにアスランについて書かれているところがあった。キリスト教と「ナルニア国物語」とこの「聖マーク教会」は深いつながりがあることがよくわかるので、ここで紹介しておく。

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『ナルニア国物語』に詳しい方はご存知かと思いますが、物語に登場するライオンのアスランは、物語をキリスト教的視点で捕えた場合、神(イエス・キリスト)と見立てられます。14歳でキリスト教の信仰を捨て無神論者となったルイスは、31歳で再び信心し、その後は信徒伝道者としてさまざまなキリスト教関連の著作を著しています。
一度は信仰に挫折したものの、ルイスのキリスト教徒としての人生はこの聖マーク教会から始まったのです。それを思うと聖マークの象徴であるライオンがアスラン(=神)として物語に登場するのは合点がいき、ルイス自身のパーソナルな体験や想いがそこに込められている思えてなりません。
要するにここが、キリスト教徒としてのC.S.ルイスの原点なのでした。

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聖マーク教会の見学を終えて再びバスに乗る。
牛、羊の群れが牧草のあちこちで気持ちよさそうにしていた。


次は「ナルニア国」を思わせるサイレントバレー山岳公園に向かう。

 

 

 

 

愛蘭土紀行 その10

ソーダブレッド

松本侑子さんのお話を聞くと、アイルランドのパンはソーダパン。 アイルランドに来たからにはそれを食べておかなくてはと、朝食でゲットする。
お皿の真ん中の三角状のパンである。

上の本は、ジャイアンツ・コーズウェーの売店で見つけたレシピ本。
そこにソーダパンのレシピが載っていた。

レシピによると、
450gの薄力粉、小さじ1の塩、小さじ1のソーダ(重曹)、400gのバターミルクが必要なようだ。

バターミルクは初めて聞くものだったので調べてみると、クリームから牛乳を作った後の液体のことで、その代用としては「牛乳に酢、あるいはレモン汁をいれて」作ったものだそうだ。

私は最初に「牛乳+レモン」でやってみたが、どれが最適な状態かわからないので、パンが仕上がってもこれでいいのかどうか不安だった。
日本ではバターミルクのかわりにプレーンヨーグルトをつかうという記事があったのでそれでやってみた。分量のアイルランドで買ったレシピ本の半分の量で作った。

小麦粉に、塩、重曹をいれる。 プレーンヨーグルトを入れて混ぜる。ヨーグルトは何回かに分けて入れて、混ぜながら適当な固さになるようにする。これは本当に適当だった。入れすぎるとゆるくなって形が作れない。少ないと固くたまざらないなど、何回か経験で適当な固さを学ぶしかなかった。

小麦粉を敷いたボードの上に生地を取り出し、高さ5センチぐらいに成形する。

天板にクッキングシートを敷き、そこに生地をうつし、ナイフで十字に切れ目を深く入れる。 「230度のオープンで30分程度」というのがアイルランドのレシピだったが、日本のレシピは200度ぐらいで温度が低い。 最初だから230度でやってみると少し焼き過ぎ? という感じだった。

中身はしっとりと焼き上がっていた。 軽くトーストしてバターをつけるとアイルランドの味がした?
アイルランドに炭酸水素ナトリウム(重曹)がやってきたのは、1840年頃だそうだ。アイルランドで取れる小麦は日本の強力粉ではなく、薄力粉にちかいそうだ。そういうことからソーダブレッドが定着したのかもしれない。

朝食の後、街を散歩した。 北アイルランドの郵便ポストの色は赤。形はいろいろとあり、日本のように統一されていないなかなあ、と思った。

コンビニにある乳製品はバラエティに富んでいた。

さて、今日は昨日に行ったセント・マークス教会の見学がスタートだ。