ガリバーと踏み絵

ガリバーは踏み絵を踏んだのか

アイルランドへの旅行が決まったので、なにかアイルランドに関係する小説は?と探すと、スウィフト作の「ガリバー旅行記」があるではないか。
久々に「ガリバー旅行記」に目を通すことにした。
高校の時に「抄訳ではなくて全訳を」と思い読んだことがある。今回は左の岩波文庫と原民喜訳の「ガリバー旅行記」を読むことにした。

今回私の興味を引いたことの一つは、ガリバーが日本に立ち寄ったこと。このことは高校のときに気づいた。そして今回気がついたことは「ガリバーと踏み絵」の関係だ。
ガリバーが日本を訪れた時代は江戸時代。キリスト教が禁止されていた時代だ。岩波文庫(平井正穂訳)を見てみよう。

第三篇「ラピュータ、バルニバービ、ラグナダ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記」がある。その第十一章の最初に要約が書かれている。
『著者、ラグナダを後にして日本に航海する。その地からオランダ船に乗ってアムステルダムに帰り、ついでアムステルダムを後にしてイギリスに帰る。』とある。

1709年5月6日に、ガリバーはラグナダの国王から親書を預かり日本に向けて出発する。15日の航海の後に日本に到着する。親書を持っているガリバーは公式の使節として扱われ江戸に行くことになる。江戸についたガリバーは皇帝(将軍のこと)に拝謁する。将軍はラグナダ国王への信義を重んじて「願いがあればなんなりと申し出るがよい」と声をかけられる。
そこでガリバーが願い出たことは、自分はオランダの商人なので彼らがヨーロッパに帰るときに一緒に帰れるように長崎まで無事に送り届けてほしいことと、

私の庇護者であるラグナダ王との誼(よしみ)に免じて、オランダ人に課せられている例の儀式、つまりあの「踏絵」の儀式を行うことを私に対して免除するという、陛下の特別のご承諾があれば有難い、・・・

と言う。ここで「踏み絵」が登場してくる。
私は以前に読んだときはあまり気にすることもなく読んでいたと思いかえす。

ガリバーの願い事を聞いた将軍は、

この問題でそんなに気を揉むのはオランダ人の中でもお前が最初だと思う、正真正銘のオランダ人だかどうだかどうも怪しくなってきた、本当はクリスチャンではないのか、どうも心配だ、

と言うようになった。しかし親書を持ってきているのだからラグナダ国に恩を売っておこうと考えたのか、将軍はガリバーの要望に応じるが、次のように言っている。

事態の処理にはよほどの知恵を働かせなければならない、そこで、いわばついうっかりしたということにして、お前を見逃すようにと、役人には命じておこう、もしこの秘密がお前の同国人であるオランダ人たちに嗅ぎつけられると、航海中に彼らはお前の喉を搔ききらないとも限らない

踏み絵のことをここまでスウィフトは知ってガリバーを書いたのかと思った。
日本の「踏み絵」というのは、かなりヨーロッパに知られているのではないかと私は考えた。
このあとも踏み絵の話題は出てくる。

出帆の前のことだったが、2、3人の乗組員から、あの儀式(つまり前に述べた例のことだが)はもうちゃんとすませたのか、とうるさく訊ねられ、私は皇帝やその宮廷の人々の気のすむように万事滞りなくすませてきたとか何とか言って、質問をはぐらかしておいた。ところが一人の質(たち)の悪いボーイがいて、そいつが役人の所に出かけて、私だまだ「踏絵」に儀式をすませていないと訴え出たのだ。私を見逃すようにとかねてから指図を受けていた役人は、逆にその不届者に対して竹で肩を20回たたくという笞刑(ちけい)を申し渡した。このあと、私は二度とこういった問題で煩わされることはなかった。
 
こうしてガリバーは5年6ヶ月ぶりに祖国の土を踏むわけであった。
 
上の地図は岩波文庫「ガリバー旅行記」にあったもの。
 JAPANの文字と、Iedoという地名がある。これは江戸のことと思われる。
(赤字・赤丸等は私が記したもので、原図にはない)スウィフトが「ガリバー旅行記」を出版したのが1726年のことだから、江戸時代中頃にはヨーロッパにJAPANや江戸の名前が知られていたことがわかる。
 
ガリバー旅行記に「踏絵」のことが書かれていたことがわかったが、他の翻訳ではどうなっているのだろう?
原文でスウィフトはどのように書いているのだろうか?ということが気になってきたので調べてみよう。