カズオ・イシグロ作 「日の名残り」
二冊目の本は「日の名残り」。
「品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら、様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々ー 過ぎ去りし想い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作(1989年)。
「浮き世の画家」出版から3年後の作品である。
さてこの本を読むきっかけになったのは、アンソニー・ホプキンスが主演した映画「日の名残り」を見たからである。
「日の名残り」の原作は
The Remains of the Day
である。
remain ・・・ 名詞(複数形で)「残り物」「残骸」「異物」「遺跡」(weblio英和辞書より)とある。
「日の名残り」と翻訳するなんて、私にはできない。
DVDに録画したものを見始めて、「これは先に原作を読んだほうがいい」「小説を読んでからビデオをみよう」と思い立って、図書館で本を借りてきた。
このブログを書くにあたって、ネットでこれらの作品(小説、映画)について調べてみると、たくさんの記事があった。その中で、タイトルについて書かれているものを引用すると、
小説になったときの『日の名残り』という日本語タイトルは実に名訳だと思いますが(土屋政雄訳、早川書房)、“the Remains of the Day”とは「日が暮れる前のひととき、一日で最も素晴らしい時間」を意味するといいます。
https://www.otsuma-tama.ed.jp/principal/20377/
なるほど、そういった意味もあるのか。前作の「浮き世の画家」のタイトルと同じように「多義的な意味」をもたせたタイトルのようだ。
小説と映画の違いを論じたブログや、この小説の持つパロディ性、ブラックジョークについて解説したものなど、さすがノーベル賞受賞の作家による作品となると多くの分析や評論があるものだ。
私が関心を持ったのは貴族の生活だった。大邸宅、執事やメイドのいる生活はどんなものなのだろう。身分が世襲制だった日本の武士の生活と似ているのだろうか。
上の写真は映画の最初の方にある「狐狩り」の出発シーン。ヨーロッパの小説に出てくる「狐狩り」ってこんなのかー、と感心したり、
暖炉のマキの用意をする使用人。昨年ウィーンに行ったとき、宮殿の見学をしたときに現地のガイドさんが言っていたことを思い出した。
「各部屋にデザインの違った立派な暖炉があります。この暖炉の火を絶やさないように壁の裏側の部屋でマキを燃やしているのですよ。ほら、あそこに隠しドアの隙間が見えるでしょ。ウィーンでは、壁の裏側でマキを燃やすような人間にはなるな、という言い伝えがあるそうです。」 それくらい身分の低い者のする仕事という意味らしい。
この映画では、隠し扉や台所の調理場面が出てきた。ああ、これがそうか、と小説の説明が映画となると、私にはよくわかった。
上の場面は最後の部分。桟橋に座っていると、日暮れとともに桟橋の街灯が一斉に着く。小説と映画の違うところは、原作は執事のスティーブンスただ一人だったが、映画ではメイド頭のミス・ケントン(結婚してミセス・ベン)と二人でその様子を見ている。
小説の背景には第一次世界大戦、ナチス・ドイツの台頭、イギリス貴族階級の没落が描かれている。ご主人のダーリントン卿の判断がすべて正しいと受けとめ行動してきた執事のスティーブンス、ミス・ケントンへの好意を表面に出すことを拒んできた執事のスティーブンス、その生き方は戦後に大きな変換をもたらす。自分の父親の年代になって何ができるだろう。新しい主人のもとで何ができるだろう。時代は第二次世界大戦が終わった頃だが、戦後70年たった今でも人間は同じことを思う。
この小説でも、主人公スティーブンスの一人語りで話は進む。そして彼の記憶が本当に正しいのか、記憶違いがないのか、「浮き世の画家」と同じような組み立てになっている。人間の一生は、そういうものだ、と作者のカズオ・イシグロさんは言っているような気がする。
映画ではミス・ケントンが「夕暮れが一日で一番いい時間だそうですわ」と言っている。
小説ではスティーブンスのそばにすわった60代の男が言う。
「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方が一番いい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一日で一番いい時期だって言うよ」
原文はこうなっている。
The evening’s the best part of the day.
小説はこのあとスティーブンスの独白が続く。
「真実が含まれている」ととるのか、「いやそうではない」ととるのか、大きく分かれるところ。
原文はこうなっている。
for a great many people, the evening is the most enjoyable part of the day.
Perhaps, then, there is something to his advice that I should cease looking back so much, that I should adopt a more positive outlook and try to make the best of what remains of my day.
私は「真実が含まれている」と読み取りたい。
旅を終えたスティーブンスはどんな生き方をするのだろうか。
小説では「ユーモアを勉強してご主人をびっくりさせよう」と考える。
映画は、屋敷に迷い込んだ鳩をご主人が窓から逃がすのを見てなにか考えている。そして屋敷に新しいメイドやメイド頭を雇うことをご主人に提案する。
どちらも新しい世界に進もうとしているところでおわる。と私は捉えた。
文学や映画の受け止めは人様々だ。これが正解、というものはないと思う。
早川書房版の翻訳「日の名残り」には丸谷才一さんの解説がある。そこにはスティーブンスのミス・ケントンへの思いについて書いてあるが、私とは違っていた。
ネットを見ていると「書評カズオ・イシグロ『日の名残り』 (2)ミス・ケントンへの思い」というのを発見した。その意見は私にとってはとてもおもしろかった。
https://ameblo.jp/morohi/entry-12082825330.html
*原文ではなんて書いてあるのだろう?と思うことがあって、図書館で英文の The Remains of the Day を借りたが、やっぱり難しい。とても全文を読み通すことはできなかった。ただ最後の場面だけは日本語訳を参考にしながら調べたのが上の英文である。