Enjoy Simple English の5月号は「山月記」がのっていた。
「山月記」は人間が虎になってしまった話だ、という記憶があった。
ラジオでこの小説を誰かが朗読して、解説しているのを聞いたような気もする。
後で調べてみると、「高校の現代国語の教科書にのっていた、それも全教科書会社の現代国語にとりあげられていた」、ということがわかった。しかし私は高校でこの小説を習った、という記憶は全く残っていない。現代国語の先生には申し訳ないが、、。
このへんのことは、またあとから詳しく書こうと思う。
著者の中島敦さんの文章は、漢文じみて正直ちよっと読みにくい。
出だしはこのように始まる。
(青空文庫より)
Enjoy Simple English では、次のように英訳されている。
英語で読めば、なるほどとわかる。
「山月記」での授業で、討論になるところが2つあるという。
一つは李徴の書いた詩について、友人の袁傪の抱いた感想についてである。
本文を見てみよう。
この部分はよくわかる。英語ではどのように書かれているだろう。
何が欠けているのか、何が missing なのか。
このことをテーマにして高校の現国の時間で話し合うことが多かったそうだ(「山月記」はなぜ国民教材となったのか」大修館書房 佐野幹著)が、私の記憶にはない。原文を読んでも直接的な答えが書かれていないのだから、話し合うことそのことに重点が置かれていたのかもしれない。
もう一つは、虎になった原因を考えるところ。
李徴は自分でこのように言っている。少し長いが青空文庫より引用する。
Enjoy Simple English の英訳は次のようにまとめている。
Not only that, I was not happy living with people.
I worried that I wasn’t good enough, so I never tried to improve my writing.
But at the same time, I half believed that I was good enough, so I couldn’t be happy living a normal life.
I had both cowardly pride and arrogant shame inside me. I have heard people say, “Each of us is an animal trainer. We train the animal within us. That animal is who we really are.”
My animal is a tiger. It made me a bad person and made me hurt my family and friends.
The tiger was inside of me, but now my inside and outside look the same.
I can no longer live as a human. And even if I could wirte a great poem now, there is no way for me to tell it to people anymore.
我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心
李徴の自分自身の分析によると、自分が虎になったのは「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」によるものだと言っている。
その部分の英語は cowardly pride and arrogant shame となっている。
cowardly は文字通り「臆病な」という意味の形容詞。
arrogant は「傲慢な、尊大な、横柄な」という意味の形容詞(どちらも Eゲイト英和辞典 ベネッセ による)
原文通りの形容詞を、英単語の形容詞から選んでかかれている。
「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」、これは日本語でも難解な言葉だと私は思う。
これについて高校の現国の授業の中で議論する指導がなされてきたそうだ(「山月記」はなぜ国民教材となったのか」より)。
議論することはできても、どこが終着点なのだろう? と私は思ってしまう。
高校の現代国語の時間に、1回だけ班で話し合いをしたことを覚えている。
たしか安部公房の作品だったことまで思い出すが、作品名は覚えていない。それぞれがなにか意見を言ったが、授業の最後に「現代社会の矛盾」という大きな概念でくくられてしまったかなあ、というぼんやりした記憶があるが、、、それ以上のことは覚えていない。
さて、そういった「文学論」とか「授業論」はまたの機会に考えることにして、「山月記」も原文と英訳文を比べながら詠むと、自分ではよくわかる気がする。
英訳した人の読みが確かなのだろう。原作をしっかり理解していなと、英語に翻訳するときに困るだろうと思う。日本や世界の名作を、私にとって読みやすい英語にしたものを詠むことは、両方の理解にとって役立つと思った。