興福寺 東金堂と中金堂②

中金堂の東にあるから東金堂と呼ばれているそうだ。
5度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は応永22年(1415)に再建された。室町時代のものだ。正面25.6メートル、側面14.1メートルの大きさ。
中金堂の大きさが36.2メートル ✕ 23メートルだから、東金堂の大きさは中金堂の一回りも、二回りも小さい。しかしその佇まいは風情がある。

ここに安置されているのは、銅造薬師如来坐像と銅造日光・月光菩薩像だ。
薬師如来坐像は15世紀初期・室町時代のもの、日光・月光菩薩像は7世紀末白鳳時代のもの。600年代に銅を使って仏像を作る技術があったことにおどろく。
日光・月光菩薩像は3メートルほどの大きな菩薩像。写真が写せないのでパンフレットの写真を添付しておく。
日光菩薩は「にっこうぼさつ」とよぶ。月光菩薩は「がっこうぼさつ」とよぶ。私が金堂内を見学している時に「げっこうぼさつぞう」という声が聞こえたが、それは間違い。日本人でも間違ってよんでいる人がなんと多いことか。(チコちゃんにしかられますよ)

東金堂においてあった英語のパンフレットにも、Gakko Bosatsu , Nikko Bosastu とローマ字で書いてある。
周りには中金堂と同じように、四天王が安置されている。

同じ四天王でも中金堂の四天王と、東金堂の四天王とでは違って見える。
上の写真左が中金堂の四天王で、鎌倉時代の作と言われている。
右の四天王は東金堂の四天王で、9世紀平安時代のものと言われている。

四天王に囲まれているように見える仏像群が、十二神将立像。
13世紀鎌倉時代のものと言われている。作られた当時は鮮やかな色に彩色されていたそうだ。十二神将立像といえば、私の中では「新薬師寺の十二神将立像」を思い出す。

http://www.shinyakushiji.or.jp/junisinsho/

上の写真は「新薬師寺」のホームページからの引用。
私のお気に入りは「伐折羅大将(バザラたいしょう)」。
東金堂の十二神将立像でいえば、写真下側、右から二人目の像がそれ。
出来上がった当時は、それは美しかったに違いない。

写真は東金堂から中金堂を見たところ。

古くから残っているものと、新しく再建された2つの金堂。
もともとは中金堂の西側には西金堂という金堂があったそうだ。
西、中、東と3つの金堂があったそうだ。それは壮麗で壮観な眺めであったにちがいないと思う。興福寺というのは巨大な寺院だったのだ。現在ではその敷地のほとんどは奈良公園となっている。

さて、次は国立博物館の見学に行こう。