くまのプーさん2

「くまのプーさん」を英語で読み直す

左の写真は、ハルカスでの「くまのプーさん展」のショップコーナーでのもの。たくさんの「プーさん」の本が並んでいた。
私が気に入ったのは左の本。

The Christopher Robin Collection というもので、「くまのプーさん』の全訳ではない。コレクション、という名の通り、エピソードを選んで本にしたもの。少し高い本だったけれど、ここでしか買えないだろうと思って買うことにした。
絵も大きくて見やすく、なによりも活字の工夫がたのしかった。そのことはあとで紹介するつもり。

以前に左の本、「『くまのプーさん』を英語で読み直す」という本を買っていた。
その時、原文を読もうと思って買ったのが上の右の本。

CHAPTER 1 はこのようにして始まっていた。

Here is Edward Bear, coming downstairs now, bump, bump, bump, on the back of  his head, behind Christopher Robin.

さて、この bump, bump,  bump, on the back of his head, behind Christopher Robin って、どんな意味だろう? ドン、ドン、ドンと彼の頭の後ろの上に・・・これはどいう意味だ? ここで詰まってしまった。

「『くまのプーさん』を英語で読み直す」の本を見てみると、こんな説明があった。

「頭を下にして、仰向けにドン、ドン、ドン」・・・bump, bump, bump の b が頭韻を踏んで、この一節がことさら目立って、リズムを生み出し、その結果ユーモラスな感じがでることとなる。」

なるほど、「頭を下にして、仰向けに」という表現だったのか。

講談社英語文庫の「くまのプーさん」の本を手に入れた。
この本は注がたくさんついていて、辞書をひくことなしに本の内容がわかるようにと工夫されている。

第1章の注にこの「bump,  bump, bump , on the back of his head 」があった。
そこには「ドスン、ドスン、ドスンと床に頭のうしろをぶつけながら」と書かれていた。

岩波少年文庫の「くまのプーさん(石井桃子訳)」を見てみると、

「バタン・バタン、バタン・バタン、頭を階段にぶつけながら」と書かれていた。

原作の本の挿絵をみると、階段をクリストファーに引きずられて、プーさんの頭の後ろが階段の段にぶつかっているのがわかる。それもプーさんは上を向いた状態で。
そうすると「頭を下にして仰向けになって」という様子がわかってくる。

これはハルカスで買った「The Christopher Robin Collection」の最初のページ。

ミルンの書いた原作とはフォントの選び方が違っている。

bump, bump, bump

が、原作では横一文で書いてあるのだが、この本は写真のように「階段をぶつかりながら落ちている」雰囲気がわかるようなフォントの配置にしている。
最近はこういった形で「くまのプーさん」の魅力をつ立てる工夫もされているようだ。

さてミルンの書いた「くまのプーさん」は、文章はとても工夫されていると言われている。
また挿絵をかいたアーネスト・ハワード・シェパードとは、何回も打ち合わせをしながら本を作り上げていったと学芸員さんは言っていた。

階段をプーさんを引きずりながら降りていくクリストファー、その様子をユーモアを感じさせる文章と、それを絵でさらに説明している、これが「くまのプーさん」の大ヒットの秘密らしい。

 

 

 

くまのプーさん

あべのハルカスで「くまのプーさん」展

 

開館の1時間前に、学芸員さんによる説明付きのツアーがあったので参加した。

30人の限定だったが、応募にあたりゆっくりと、説明を聞きながらこの展示会を観ることができた。

もらったパンフレットによると、

「児童文学「クマのプーさん」は1926年、著者アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne)と、挿絵を担当したアーネスト・ハワード・シェパード(Ernest Howard Shepard)によってイギリスで出版。以来、50以上の言語に翻訳され、全世界で5,000万部以上のシリーズ本が出版されるなど、現在も世界中の人々を魅了し続けている。

 同展では、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が世界最大規模で所蔵するシェパードの鉛筆ドローイングなどが展示される。」

とあった。この「くまのプーさん展」は世界巡回中で、日本では東京と大阪だけ。そして大阪での展示が終わるとロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に帰り、今後10年間は国外には出ないという大変レアな展示会なのだ。

何箇所かの撮影スポットが設けられているのがよかった。

日本の美術館では、カメラやビデオの禁止、撮影禁止というところがほんとんど。
たまに場所を指定して、ここでの撮影はしてもよろしい、という取り組みをする美術館が増えてきているのも事実だ。
あべのハルカスの美術館はその傾向にある。

左は、プーさんとコブタが木の周りを歩いた場面を再現したもの。本の挿絵のとおりに足跡を再現したと学芸員さんが言っていた。これもそういった話を聞いていないと、せっかくの足跡も簡単に見過ごされてしまう。

拡大した挿絵も見応え充分だ。

挿絵の中に入ってしまう体験の場所もあった。

これは「くまのプーさん」シリーズの「The House at Pooh Corner」(ブー横丁にたった家)の場面。

「くまのプーさん」の作者ミルンは、プーさんシリーズを4冊書いている。たった4冊?という印象を持つ人が多いと思う。
ディズニーのアニメで世界中に知られているし、たくさんのプーさんの絵本や本が出ているので、ミルンはきっとたくさんのプーさんシリーズを書いたに違いない、と私は思っていたが、そうではなかった。ミルン自身は児童文学作家と思われることを嫌っていたらしい、というのは学芸員さんの話。

ロビンとプーさんとコブタが橋の下を流れる川を見ているところ。

プーさんの大きさ、コブタの大きさがリアルでわかる。
コブタが少し怖いのか左手をプーさんに添えている。プーさんはそれを知っているのに知らんふりをして支えてやっている。そんな暖かな心の動きがわかるような絵だ。

今回の「くまのプーさん展」は、作家のミルンよりも挿絵作家のアーネスト・ハワード・シェパードに焦点を当てているように感じた。
鉛筆画の挿絵は、素朴なイメージを与えるが、そのデッサン力は素晴らしく、丁寧に書かれた線は「くまのプーさん」の作品の雰囲気を上手に伝えている。拡大しても不自然さを感じないのは、それだけよく考えられたものだからだろう。

ショップには「くまのプーさん」にかかわる多様なグッズが置かれていて、多くの人が何かを買って帰ろうという雰囲気がいっぱいだった。
ここでしか買えないものを、このチャンスに購入しよう、私もそんな気になって本やお菓子やしおりなどのグッズに手を伸ばした。私が買ったのは上のブックカバー。
そもそも「くまのプーさん」の原画は白黒だったそうだ。後年になってカラー版が販売されたそうだ(これも学芸員さんの話)。その雰囲気が伝わるカラーでない白黒のデッサンのブックカバーを買った。

 今回は「くまのプーさん展」の概要をブログに書いた。もう少し「プーさん」について次回に書いてみたい。

 

 

 

 

 

能「夕顔」

源氏物語と能

ここは谷町4丁目にある大槻能楽堂。

久々に能を見に行くことにした。 源氏物語に関係する能なので見に行きたくなったからだ。といっても、能はほんとにむずかしい。(私にとっては)

源氏物語に関係する「葵上」「夕顔」「野宮」の三つである。三つとも見たかったが「夕顔」のチケットが手に入った。 会場はほぼ満席。
500円プラスすると指定性になるらしいが私は自由席。しかし会場の殆どは指定席の人だった。自由席のほうが圧倒的に少ない。
お能だいすき、の人が多いのにあらためてびっくりした。
パンフレットにある紹介を引用すると、

「九州から来た旅の僧が、夕闇暮れの都・五条あたりのあばら家の軒先で、和歌を吟ずる女の声を耳にする。この地こそ『源氏物語』の夕顔の女が鬼に命を取られた『なにがしの院』であり、昔、源融の大臣が住んだ河原院だと教え、夕顔の女の儚い運命を物語って消え失せた。
 その夜、僧が夕顔の女を弔おうと法華経を手向けていると、山の端から月が見え始めた頃、夕顔の女の霊が現れるー。
その儚さ故に美しい夕顔の女。大槻文藏(人間国宝・文化功労者)のシテに、近年東京から故郷・大阪に拠点を移した実力者浅井文義の地頭という絶好の顔合わせだ。」

さてさて地頭(じがしら)というのはどういう意味だろう。こんなこともわからない。ネットで調べてみると(「能のさそい」というホームページから)

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地謡(じうたい)とは、コーラスグループです。
8人から10人で構成され、2列に並んで座ります。

能は、すべてのセリフが「謡(うたい)」となっています。
そのため、地謡は、主人公と共に謡ったり、主人公の心の中を謡ったりします。

地謡は、シテ方が務めます。
地謡には、地頭(じがしら)という、コーラスリーダーがいます。

地頭は、座る位置が決まっています。
観世(かんぜ)、金剛(こんごう)、喜多(きた)流では、後列の左から2番目。宝生(ほうしょう)、金春(こんぱる)流では、後列の右から2番目となります。

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浅井さんは観世流だから後列の左から2番めだった、とあとからわかる。
やっぱり能は最初にいろんな知識がいるとまたまた再確認。

開演の前。ほとんどの人が入り口でもらった資料に目を通している。(白いカバーのついた椅子がすべて指定席。)
能の公演の前にお話があるからだ。能の舞台にも演台とマイクがある。
「花の隠喩/夕顔の笑みの眉」と題して村上湛(むらかみたたう)さんが話された。

夕顔の笑みの眉ー笑みの眉って不思議な言葉だなあ、と私は思いながら能を拝見することになった。

能楽堂でもらったパンフレットには「作者 不詳、素材 源氏物語第四帖『夕顔』、場所 京都・五条あたり、季節 秋」とあった。

能の公演中は撮影禁止。どんな様子かあとから思い出すために図書館で本を借りた。

「源氏物語と能 ー 雅から幽玄の世界へ」(馬場あき子文・掘上謙写真 婦人画報社)

解説の最初に、「十九の若さではかなく散った『夕顔』の女の悲しみ 甘美な恋は一瞬にして敗れ去り、急死する不運を負った女の悲哀。能は中世的な仏教観で、女に救いの手をさしのべます。」とある。

(この本にあった『夕顔』の写真の一部を引用)

左上の写真は「不運な身の上を憂い、悲しみの涙に暮れる夕顔と思しき人、前シテ・関根祥六)」、
右上の写真は「光源氏に深く愛されながら、哀れな死をとげた夕顔の霊(後シテ・豊嶋訓三)が「来世こそ幸せになりたい」と合掌しながら仏の恵みを請い願う」と説明がある。

優婆塞が 行ふ道をしるべにて 来ん世も深き 契り絶えすな

これは源氏物語「夕顔」のなかで、光源氏が夕顔に詠む歌から来ている。
「優婆塞が 行ふ道をしるべにて 来ん世も深き 契りたがうな」
最後の句「たがうな」が「絶えすな」に変えられている。

来世も深い契りの絶えないように、という意味なのだろう。
夕顔は僧のお経によって解脱し、成仏を遂げる、という解説があった。
源氏物語をよく読んでいる人にはなるほどとうなづく展開なのだろう。

「笑みの眉」というのは「喜び」の意味を表すらしい。
「花のつぼみが開く」という意味があり、「にこにこする、笑顔になる」という意味になるそうだ。そうすると夕顔が喜んでいる様子が浮かび上がってくるような表現だということがわかる。
原本となる源氏物語「夕顔」の中に、夕顔の花のようすを表す表現として、

「白き花ぞ、をのれひとり笑(ゑ)みの眉(まゆ)ひらけたる。」

という一節がある。源氏物語をよく読んでいる人は、こんなところにも惹きつけられるのかと思う。しかし私は後から解説を読んで、なるほどと感心するばかり。

切り捨てた自分の魂が鎮められる

能を見ているとなぜか眠たくなる。
こんなんでいいのかなあ、と思っていたら、「100分で名著 平家物語」で、能楽師の安田登さんがこんなことを書いていた。

「・・・私たちは、いまを生きるために過去の自分をどんどん切り捨てています。切って、捨てて、殺した自分がいる。その切った自分、捨てた自分が、能を観ているときにふっと出てくるのです。その衝撃が激しすぎる場合に、おそらく起きていることが不可能になって、寝てしまいます。よく言われる、能を観ると眠くなるという現象が起こる。その場合は寝てしまっていいと思うのです。そして、目が覚めると不思議にスッキリしている。これは、切り捨てた自分の魂が鎮められたのではないか。これこそ現代における鎮魂なのではないか。現代人が能を観る意味のひとつがそこにある、そう思いました。」

なるほど、これを読んで罪悪感が少なくなった。魂が鎮められるのか、でも事前に勉強しておくことも大事ななあ、とあらためて思った。

*能「夕顔」については、下記のブログを参照されたし。私と同じ時に同じ能を観た人の専門的な解説があるのを発見した。

https://note.mu/yamas/n/nebfb6eed8621