ハイジとドレミの歌 24

ベルヴェデーレ宮殿

 

ベルヴェデーレ宮殿とは? 今回もウィキペディアよりの参照。

「もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント(Johann Lukas von Hildebrandt)に、夏の離宮として造らせたものである[1]。1714から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、1720から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設された。プリンツ・オイゲンの死後1752年に、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。現在はオーストリア絵画館になっている。オーストリアで2番目に大きな美術館である。」

そう、美術館なのだ。

教科書で見た覚えがあるナポレオン像。 ジャック・ルイ・ダビッド作「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン」。なんでも5枚同じような絵があることを知ってびっくり。そのうちの1枚はベルサイユ宮殿にもあるらしい。

数ある名作の中で、ここベルヴェデーレ宮殿の宝といえば、クリムトの「接吻」だろう。国外には出すことはないといわれている作品。まさに至宝だ。

左は「ユディトはホロフェルネス」。神戸の展示会で見た覚えがあるが、実物だったのかレプリカだったのか?

ネットで検索してみると、グスタフ・クリムトは世紀末ウイーンを代表する帝政オーストラリアの画家だそうだ。(1862年7月14日〜1918年2月6日)
またその画風は、

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『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出している。

クリムトは、同時代の多くの芸術家同様、日本や東アジアの文化の影響を強く受けている。日本文化への深い傾倒は、甲冑や能面などの美術工芸品を含むプライベートコレクションからも明らかで、1900年分離派会館で開かれたジャポニズム展は、分離派とジャポニズムの接近を象徴するイベントであった。特に浮世絵や琳派の影響は、クリムトの諸作品の基調あるいは細部の随所に顕著に見て取れる。
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日本の影響がある、というだけで親しみがわき、じっと見入ってしまうのはちょっと安易かな?と思いながらも、やっぱり見てしまう。

上の作品は「フリッツアー・リードラー」。

この絵はだれのかわからない。説明を聞いていたが、日本に帰ってネットで調べれば思い出すだろうとおもっていた。 日本に帰ってインターネットで調べてみるが、現時点ではわからないまま。メモしておくんだった。

窓から見える庭もきれい。しかしこの庭を埋め尽くす国民が集まってことがあるとはしらなかった。それは、

美しい庭の見える大理石の間の床に金属板が埋め込まれている。 ガイドさんの説明によると、第二次世界大戦でドイツが降伏した時(1945年)、オーストリアはそれから10年間連合国に占領されたそうだ。 私はそういう歴史的事実を知らなかった。

オーストリアはイギリス・アメリカ・フランス・ソ連の四カ国によって分割統治された。そして10年後の1955年に、永世中立宣言を行い独立を回復した。
そのとき、このベルヴェデーレ宮殿で独立宣言が国民に向かってなされたそうだ。
宮殿の庭を埋め尽くしていた国民は大歓声をあげたと言う。

その記念碑が上の写真の金属板。オーストリア国家条約がかかれているようだが、ドイツ語が読めないのでこれ以上のことはわからない。

ベルヴェデーレ宮殿は、美術館になっているが、歴史の証人として存在している。
ハプスブルク家の繁栄、ヒットラーが生まれた国、そして美術と芸術の観光地となっても、戦争の悲劇と独立の喜びが刻まれているのだ。

家族連れの観光客がいる。小さな子どもたちが階段で遊んでいる。
平和を大切にしたいとあらためて思う。

さあ、ハイジとドレミの歌の旅もこのベルヴェデーレ宮殿が最後の場所となった。
ここから空港に向かう。
さらば、ベルヴェデーレ宮殿。