ハイジとドレミの旅 6

ハイジの小屋

ここはハイジの小屋、ハイジハウスHeidhaus,「アルプスの少女ハイジ」のアニメに登場する「デルフリ村」のモデルとなったオーバーフローフェルス村がここ(「地球を歩く」から引用)。古い農家に手を加えてハイジの時代の生活を再現している。現在は博物館となっている。

ハイジとペーターがくつろいだ姿で迎えてくれる。

外国人の若いお母さんが、二人の娘とハイジの小屋にある小さなベッドのそばで話している。ハイジのお話をしているのだろうか。

ハイジとクララの寝たわらのベット。映画でもこのような場面があった。 この人は「おんじ」かな?

クララの使っていた車椅子はこんな車椅子だったのだろう。

台所のそばにある倉庫。スイスの冬は寒いそうだ。越冬のための準備もするのだろうなあ。

家の中にはマキがたくさん積みか重ねられている。

キッチンは明るい。こんなお皿でハイジはミルクを飲んだのかもしれない。

少し上から見たハイジの小屋。山々に囲まれている村なのだ。

ハイジハウスのそばにあるハイジショップ。
ハイキングの準備がてらに、ここで買い物をしたり、おやつを買ったり、トイレ休憩をする。右側の壁にある黄色いボックスは郵便ポスト。スイスの街ではこの黄色い郵便ポストがよく目に入ってきた。山の上まで郵便物を運んでいるのが想像される。
さあハイキングに出発だ。

 

 

 

ハイジとドレミの旅 5

マイエンフェルト

レストランの途中で寄ったのが、マイエンフェルトにある「ハイジの泉」。
(場所は下の地図を参照)

この街にはぶどう園がたくさんある。スイスは知る人ぞ知るワインの名産地なのだそうだ。ほとんどが大手の会社に買い取られ、一般に出回ることがないと言われるワイン産地なのだとか。スイスのワインが飲みたければ、スイスに来て買うしかない、ネットで買うしかないなどとガイドさんからの説明があった。ワイン好きの人にはたまらないのだろうと思う。

やってきたのがレストラン。「ハイジオフ」、本業はホテル。ここで昼食。

スイスのハイジ。ちょっと日本のジブリのハイジと違って野生的な感じ。

中国人の団体が先に食事をしていた。この人達は私達のようなハイキングの計画はなかったようだ。食べ終わるとバスに乗って移動していった。

私達にお馴染みのジブリのハイジがこのお店で登場。
ガイドさんの話によると、ジブリのハイジはスイスでは放映されていないそうだ。
スイス以外の国では放映されている。その理由の一つに宗教色がまったく消されているということだそうだ。たしかに「アルプスの少女ハイジ」は、キリスト教文学のひとつなのだ。あらためて読んでみると、キリスト教の教えが反映されていることがよく分かる。それからヨーゼフというセント・バーナード犬はジブリのアニメにしか登場しない。原作にもないし、セント・バーナード犬はスイス原産の犬でもない。
ただ現在ではスイスの人たちも、ジブリのハイジで有名になっているし、セント・バーナード犬のおかげでますますスイスが有名になっているということで、笑いながら見逃しているということらしい。スイスは観光立国だからそこからの判断だと思う。

昼食の後、ハイキング気分でハイジの小屋に向かって歩きはじめる。 ここはどのへんかというと、下の地図のように 、ハイジホフが昼食のホテル・レストラン。
私達はそこからハイジの家に歩いて行き、おんじの小屋までのハイキングをめざしている。下の地図の、行ったり来たりしている青い線がハイキングのルート。

カラン、カランと軽い鈴の音が響いている。牛の首につけられた鈴の音だ。暑さを忘れさせるような軽やかで涼し気な音色だ。 ここに来てはじめて、ハイジの世界が目の前に迫ったくるのを実感する。
下の写真がハイジの小屋として知られている小屋。「アルプスの少女ハイジ」のハイジの小屋のモデルなんだろうと思う。
まずはハイジの小屋の見学から始めよう。

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 4

シュピリさんの通った学校を訪ねて

ここは「アルプスの少女ハイジ」の作者ヨハンナ・シュピリさんが通った学校。
現在はヨハンナ博物館となっている。

机などが置かれ、当時の雰囲気を伝えている。改修もあり、ここに置かれているのがシュピリさんが使った机というわけではない。

二回にも展示があり、これはヨハンナ・シュピリさんが執筆に使ったといわれている机。

世界中で翻訳されている「アルプスの少女ハイジ」。そのいくつかが展示されていた。もちろん日本語の本もあった。

この本はここで買ったハイジの絵本。
絵・マルグリット・ロリー 文・ユルグ・ウィンクラー 訳・シュトラッサー・節子 ホーテンホイズラー出発社 シュテファ・スイス と書かれている。

私達が知っているのはジブリのハイジ。スイスの絵本のハイジはちょっと印象が違う。スイスの旅でいろんなハイジを見ることができたのが面白かった。
ハイジの髪の色もいろいろだった。ただ共通しているのはもじゃもじゃ頭だということ。ガイドさんが「山の子をあらわしているんでしょうね」と言っていたがどうだろう。

正面の大きな木の右にある家が、ヨハンナ・シュピリさんの家だった。かつての家よりも右側に増築がされているそうだ。もちろん今は他の人のものになっている。

家の正面。指差す壁に掲示板のようなものがある。
そこに「ヨハンナ・シュピリさんが住んでいた」という内容のものが書かれているそうだ。

ここで買ったハイジの本に、ヨハンナ・シュピリさんの年表がのっていた。そこから一部省略しながら引用すると、
「1827年6月12日、チューリッヒ州ヒルツェルに生まれる。本名はヨハンナ・ルイーゼ・ホイサー。父ヨハン・ヤコブ・ホイサー(外科医及び精神科医)と母メタ・シュヴァイアー(ヒルツェルの牧師の娘で、賛美歌の作者及び『ハウスクロニク』の著者)の6児の4人目として誕生・・・・。」

ヨハンナ・シュピリさんの家の近くにある教会。

教会の敷地内にはヨハンナさんの家族のお墓があった。

松本侑子さんは「私の青春文学紀行」にヒルツェルことをこのように書いている。 「ヒルツェルは、丘に古い木組みの家々が集まり、すそ野にかけて緑のまき場がなだらかに広がり、ぽつんぽつんとリンゴの木が植わっている。農村の平和な静けさに守られ、はるか遠くには白い雪を頂くアルプスを望む。
 青空に屹然とそびえる高い山を見上げていると、人間をこえた崇高なものを思わずにはいられない。もし土地に精霊が宿るなら、それは父母のもと、この村で少女時代をすごしたヨハンナにすこやかな体と清い心を授けたにちがいない。」

私達はお昼を「ハイジの家」の近くのレストランで食べるため、この美しいヒルツェルを出発した。

 

 

 

 

 

ハイジとドレミの旅 3

ヨハンナ・シュピリさん縁の地を訪ねて

一日目のホテルのレストラン。
ここはどこかといえば、

スイス・チューリッヒ。チューリッヒはここにある。地図にある小さな写真は一枚目の写真のホテルのレストラン。私達の泊まったホテルはこの写真のところにある。こうしてみるとスイスはヨーロッパの真ん中にあるのだなあと感じる。

ここは「アルプスの少女ハイジ」の作者、ヨハンナ・シュピリ(Johanna Spyri、1827年6月12日 – 1901年7月7日)さんのお墓があるジールフェルト(Sihlfeld)墓地。私達の泊まったホテルから歩いて行けるところにある。いいかえればこの墓地のそばのホテルに泊まったということだ。

ここがシュピリさんの眠るお墓。バラの花がさき、花々にはハチなどの昆虫が蜜を求めて飛び回っていた。手入れも行き届いている。

徒歩でホテルに戻る。サイレンの音、ここチューリッヒの救急車だ。

スイスの郵便は黄色。黄色ボックスが郵便ポスト。
国によって色が違うのが面白い。

これは地下水、湧き水の湧き出しているところ。スイスには写真のような湧き水を利用した噴水が多いらしい。スイスの暑い夏には涼を求める、一つの方法なのかもしれない。

バスに乗ってヨハンナ・シュピリさんの生まれ故郷であるヒルツェルへ向かう。

 

お天気も良く、スイスってこんなところなんだなあ、と一人で納得しそうな景色。

この風景の中で、アルプスの少女ハイジを書いたヨハンナ・シュピリは育ったのだ。このあとシュピリさんの通った学校(今は記念館)や教会、生家を訪れた。

 

 

 

ハイジとドレミの旅 2

 ZURICH(チューリッヒ)へ

ここはフランスのパリ・シャルル・ドゴール空港。

ここで飛行機の乗り換え。

目的地はチューリッヒ。 待ち時間があるので空港内をぶらぶら。
ハイネケンのビールを買う。

本場のマカロンを買う。搭乗券を見せて、といわれるので見せると割り引いてくれた。なるほど、おいしい。本場のものは現地で食べるのが一番。

この飛行機はエアバス。少し小型。背中のテレビ画面もない。

チューリッヒに到着。ここで荷物を受け取る。バスに乗ってホテルへ。

ホテルは、CROWNE PLAZA ZURICH
夜の9時に近いのに明るい。さすが緯度が北海道よりも高いところ。

ホテルの前のお店に白い牛が。明日の朝に牛と一緒に写真を撮ろうと想うが、翌日の朝、出発するころにはなかった。宣伝用の看板みたいなものだったらしい。

部屋でコーヒーでもと思うが、ウェルカムドリンクがなかったので、添乗員さんに水道の水は飲めるかをたずねる。 お腹の弱い人はやめたほうがいいというので、街に出て水を買うことにした。
ホテルの前は路面電車が走っていた。10時近いのでどの店もしまっている。
ハンバーガーのお店らしいところで水のボトルを買う。
10時をすぎるとさすがに暗くなってきた。治安の善し悪しを聞いていなかったけれど、街の中心部みたいなので心配はないと思いながらも急ぎ足でホテルに帰る。