日本語表記の歴史 3

音仮名(おんがな)と訓仮名(くんがな)

漢字が伝わってきた当初は、日本列島の人たちも中国語で漢字を読んでいたのだろうと想像される。 中国からの渡来人たちが漢字の読み方や使い方を指導したのだろう。また代々そうした人たちが漢字を使い、時の権力者と共に漢字の文化を発展させていったのだろう。
そして漢字を中国語のまま読み・理解する段階から、漢字の「音」を日本語(大和言葉)に当てはめて使う方法が工夫されるようになる。

 漢字は「音」と「意味」がセットになっている、という性質がある。 古代の日本に住む人達はそんな漢字の「音」を利用して、日本の言葉(大和言葉)を書き表わそうと考えたに違いない。 また、漢字の意味と対応する日本語を結びつけ、たとえば「山」という漢字を日本語の「やま」とむすびつけて、「山」を「やま」と読むようになってきた。 「人」には「ひと」、「木」には「き」という読みがあたえられるようになっていったのだろう。このように漢字の意味に対応する和語を「訓」とよぶ。

漢字の「音」を利用して日本語の発音をしめすのが「音仮名(おんがな)」。
たとえば「奈久母(ナクモ→鳴くも)」は漢字の音を利用して大和言葉の「鳴くも」を漢字を使って表した例。

音仮名の例

阿(あ),伊(い),宇(う),麻(ま),左(さ),知(ち),之(し)

これにたいして訓を用いて日本語の発音を示した「名雲(なくも→鳴くも)」は、「訓仮名(くんがな)」とよばれる。

訓仮名の例

裳(くもだにも),夏樫なつかし),名束敷(なつかしき),奈都(なつかしき

「音仮名」「訓仮名」という漢字を利用して大和言葉・和語をあらわそうとした努力は大変なものだったに違いない。

万葉仮名

これら「音仮名」「訓仮名」を総称して「万葉仮名」とよぶ。
「万葉集(783年)」が書かれる以前から、「音仮名」「訓仮名」の用法はあったが、「万葉集」に多く使われているため、「万葉仮名」という言い方のほうが定着したようだ。
 前回書いた「古事記(712年)」には、漢文だけでなく「音仮名の部分」と「訓仮名の部分」があるという。
「古事記」はすべて漢字で書かれているので、どこで切れるのかわかりにくい。後世の注釈書には、「こここらは音でよむ」「ここからここまでは訓でよむ」という注釈が付けられているそうだ」。

上の和歌は、漢字の音だけを利用して日本語の歌を表している。 万葉仮名という手法はもともと中国にあった方法だった。例えばサンスクリット語のnaraka(地獄の意味)は、中国では「奈落」とかかれる。Sakyaは「釈迦」。このように外国語を表すとき、同音もしくは類似音の漢字で表したのである。今でもパリを「巴黎」(日本では巴里)、ニューヨークを「紐約」(日本では紐育)と書き表している。この方法が日本に伝わったに違いない。(この解説は、ちくま新書「日本語全史」沖森卓也著」による)。
「音仮名」や「訓仮名」を利用して、漢字ではあるが、日本語を発音そのままに書く努力がすすめられた。その顕著な例が「万葉集」だと言える。

万葉仮名の一例。万葉集からのもの。和歌も万葉仮名でしか書きあらわすことができない時代があった。

この後、漢文を読む工夫から「カタカナ」の創造、和歌を書くために万葉仮名からより優雅な字体への変化を求めて「ひらかな」の創造とつながっていったようだ。

 

 

 

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