五日目 セントラルパーク
朝食は8階。受付のあるところ。朝食はごく控えめに。オムレツがおいしかった。
今日は終日フリーの日。午前中はオプションのセントラルパークとメトロポリタン美術館の見学に参加。
歩いて地下鉄の乗り場に向かう。初めてのニューヨーク地下鉄体験。添乗員さんが回数券を先に買っていたので、それを利用させてもらう。
The Dakota, Dakota Apartments
マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドにある高級集合住宅。
1980年12月8日、ここに住んでいたジョン・レノンが玄関前で射殺された場所として有名になった。
犯人のチャップマンは、現在も服役中とか。
入居基準が厳しく、これまでにビリー・ジョエル、マドンナ、など有名な人物が入居を拒否されていることでも有名らしい。
1972年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に選ばれ、1976年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されていることでも見ておく価値のある建物である。
セントラルパークは地図を見てわかるように大きい。1811年に開発計画がたてられ、1876年にほぼ現在の形に完成している。
南北4km、東西800mの都市公園。
野鳥が水を飲みに来る都会のオアシスである。
セントラルパークには沢山の記念物がある。ここはストロベリー・フィールズ。
ビートルズのジョン・レノンの記念に捧げられた造園された区画。写真はメモリアルモザイクのイマジン。
モザイクのイマジンの周りには世界中から来たのではないかと思うぐらい、多様な人達が集まってくる。ギターでイマジンを奏でる人もいた。ビートルズの人気の凄さがわかる。
セントラルパークはマンハッタン島にある。マンハッタン島は一枚の岩盤でできた島。マンハッタン片岩と言う雲母の結晶片岩。強度は高い。だから高層ビルが立ち並んでも平気なんだ。
噴水に池、シャボン玉に喜ぶ小さな子どもたち。なんとも和やかな光景。
「The Ugly Duckling 」、日本でもおなじみの「みにくいアヒルの子」だった。
続いて見えてきたのは、ルイス・キャロル作の「不思議の国のアリス」の像。
小さな子どもたちがこの象の上に乗って遊んでいた。
私は「セントラルパーク」に来るのをそれなりに楽しみにしていた。
というのは、「マジック・ツリーハウス」の第36巻「Blizzard of the Blue Moon」(日本語版は第22巻「ユニコーン奇跡の救出」)の舞台がニューヨークで、セントラルパークが最初に出てくるからだ。
左がその本。ペーパーバックで読んだが、表紙の左にある高層の建物が「エンパイア・ステート・ビルディング」。小説の舞台は1938年。
エンパイア・ステート・ビルディングは1931年4月11日が竣工の日だから歴史的事実とあっている。
この「マジック・ツリーハウス」はアメリカの歴史を子どもの視点で学ぶのに大変すぐれた本だ。
この本の挿絵には、
◯セントラルパークから見えるエンパイア・ステート・ビルディング、
◯犬のBaltoの像(ウィキペディアによる説明は以下の通り。「1925の冬、アラスカ北端のノーム市にジフテリアが発生し、血清を市に運ぶ必要があった。しかし低気圧の接近のため風速40mの猛吹雪がアメリカからアラスカの陸路を断っていた。救助隊は200頭のイヌぞりチームを作って16頭1チームで100kmをリレーする方法で、全行程1,100kmを輸送し、市民を伝染の危機から救った。困難を極めたこの行程の、最も困難であり、最も長距離の区間を走りぬいたのはリーダー犬トーゴーのチームであったが、そのチームから血清を受け継ぎ、最後の区間を輸送したチームのリーダー犬がシベリアン・ハスキー(犬種、アラスカンー・マラミュートという説もある)のバルトである。その功績を称え、現在ニューヨークのセントラルパークにバルトの銅像がある。)
◯気象観測所になっているBelvedere Castle(ベルベデーレ城)などを自分の目で見たかったけれど、時間的な余裕がなかったし、自分たちの歩いている場所がはじめてではわからない。セントラルパークは広い。ジャックとアニーが迷子になるのも当然だと思った。
「マジック・ツリーハウス」の本には、古い地下鉄の挿絵があった。
この小説の舞台は1938年。世界恐慌のあと、アメリカの「ルーズベルト恐慌」の年だった。当時の人達の様子がこのマジック・ツリーハウスでも書かれている。地下鉄に乗る人達の様子からも、不安げな雰囲気が伝わってくる。改札の方法も本と現在では違っていて、おもしろかった。
さあ、急ぎ足でやってきたのが、「メトロポリタン美術館」。