アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 6

二日目 ボストン市内観光その5

ハーバード大学の見学と、生協でのお買い物を済ませ、お昼ごはんのレストランに向かう。建物にはなんとも不思議な、でも目を引かれる絵がかかれていた。

昼食はイタリア料理。ピザ生地に茄子を挟んだサンドイッチのようのもの。
サラダ、パンでお腹がいっぱいになってしまった。
一番上の写真の赤いバスが私たちの乗った観光バス。

昼食後ボストンを出発してコンコード、そうポール・リビアが真夜中に馬に乗って目指した場所へ向かう。
そこは「若草物語」の舞台である。

コンコードはボストンから30Kmぐらいはなれている。大阪市内から奈良市ぐらいまでの距離。
ポール・リビアは深夜に途中の村々に警戒を呼びかける大声を出しながら、コンコードに向かったわけだ。今は道が舗装されているが、1775年当時の道はどんなふうだったのだろう。灯りもなく、イギリス兵に見つからないかと警戒しながらの馬での疾走は大変だったろうなと、想像される。

コンコードは文学の街でもある。エマソン、ホーソン、オルコット、ソローに関係する建物がある。
これは旧牧師館(The Old Manse)。

ラルフ・エマソンが代表作の「自然」を書いたのがこの家。この家を建てたエマソンの祖父が牧師だったことから「The Old Mense」とよばれている。
ナサニエル・ホーソンも3年間ここで新婚生活をおくっている。代表作の「緋文字」を執筆したところと伝えられている。私たちは外からの見学のみで、中は見学していない。

旧牧師館(The Old Mense)のそばに、ミニットマンの像、オールド・ノース橋がある。実はここはアメリカ独立戦争が本格的に始まったところなのだ。
ポール・リビアたちの真夜中の疾駆で、イギリス軍が来ることお知っていた民兵(ミニットマン・・・招集されると1分で駆けつけると言う意味)たちの戦いがこのオールド・ノース橋で起こったと言う。

ラルフ・ウォルドー・エマーソンは
「コンコード賛歌」(1837年)という詩の中で、オールド・ノース・ブリッジでの出来事を不滅のものにした。

その詩の一節がこの「ミニットマンの像」の台座に彫られている。

By the rude bridge that arched the flood,
漲る川に架かる粗暴な橋の傍で 
Their flag to April’s breeze unfurled,
その旗は四月のそよ風にも靡かず

Here once the embattled farmers stood,ここに戦いに巻き込まれた農夫が立っていて

 And fired the shot heard round the world.
そして、1発の銃声が世界を変えた

The Shot Heard Round the World 一発の銃声が世界を変えた。

この言葉は「ポール・リビアの騎行」と同じようアメリカ人の中で語り伝えられた。

記念碑の後ろに曲線がきれいな橋が、オールド・ノース橋。木造のかなり大きな橋。

橋の上から写真を撮る。
カヌーの練習をしている。親子のようだ。
水と緑がとても綺麗。ここで戦いがあったとは信じられないくらい。

私たちが記念碑についてのガイドさんからの説明を聞いていると、突然左の写真のブルーのシャツを着た年配の人がよってきて、
「古池や〜」と言い始めた。
私たちがキョトンとしていると、
「春高楼の花の宴
 巡る杯影さして
 千代の松が枝分け出でし
 昔の光 今いずこ〜」と「荒城の月」の一節を歌うではないか。
私たちがびっくりして拍手をしている間に、その人は歩み去ってしまった。
現地ガイドさんの話によると、「ボストンは親日派の人たちが多く、日本語が分かる人も多いです。私が友人とボストンの電車に乗っていた時、可愛いアメリカ人の女の子を見つけて、日本語でその女の子の可愛さをはなしていました。駅に止まってその女の子が電車を降りる時、私たちに向かって『さようなら』と言ってびっくりしたことがありました。私たちが話していることがわかっていたのかと思うと恥ずかしくなりました。また、ボストンには教養のある人たちが多く、さっきの人のように日本の歌を歌える人もいます。」

へ〜ぇ、すごいなあと思う反面、日本の大阪城公園を観光見物しているアメリカ人の団体に、さっと近づいて、たとえば「ボール・リビアの騎行」の詩を暗唱する日本人っているだろうかと思うと、何か奇妙な不思議な体験をしたような気がした。

旧牧師館、ミニットマンの像、オールド・ノース橋などの見学をすませ、これから「若倉物語」ゆかりの家、「オーチャードハウス」に向かう

バスから見えたのはエマソンの家。

旧牧師館を建てたエマソンの祖父は、オールド・ノース橋での発砲を聞いていると言う。

左の建物は、エマソンが旧牧師館のあとに亡くなるまで住んでいた家。
エマソンの家(Ralph Waldo Emerson House)としてガイドブックにのっている。
バスの中からの写真のみ。慌てて撮ったので、完全にぶれている。

オーチャードハウス、ウェイサイド、エマソンの家、どれも近いところにある。住んでいる人たちの交流もあったことが想像できる。

 

 

 

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