アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 4

二日目 ボストン市内観光その3

ポール・リビアの騎行 Paul Revere's Ride  その2

上の写真は、私が買った本「PAUL REVERE’S RIDE」から。ポール・リビアが教会の塔に二つの灯りを見る場面。二つの灯りを見て、ポール・リビアは馬を走らせる。

アメリカでは、どんなふうにこの「ポール・リビアの騎行」を学んでいるのだろうか。日本に帰ってから左のような本を調べてみた。

そこにはこんな記述があった。

The Shot Heard ‘Round the World

In April of 1775, British troops were sent to the town of Concord, Massachusetts, to capture the weapons the colonists had stored there. The colonists were warned of their approach, though, when Paul Revere made his famous ride through Massachusetts countryside. He called out “The British are comping!”

日本語訳には、

「世界中に鳴りひびいた銃声
1775年4月,植民地人たちが貯蔵していた武器を取り上げるために、イギリスの軍隊がマサチューセッツの町、コンコードに派遣されました。しかし、有名な話ですが、ボール・リビアがマサチューセッツの田舎道を馬で走って、植民地人たちにイギリス軍の接近をふれてまわりました。彼は「イギリス軍が来たぞ」と叫んだのです。

なおこの本の囲み記事として「ポール・リビア」が次のように紹介されている。

アメリカ独立戦争最初のヒーローとなった工芸職人。
フランス系の移民の子で、熱心な愛国派だった。
民兵士官でもあり、ボストン茶会事件にも参加した。
 1775年4月18日、英軍の動きを見張っていたリビアは、英軍のコンコードへの進撃を知ると、ボストンからレキシントン、さらにはコンコードまで馬を駆って暗く寒い夜道を飛ばし、英軍の進撃を触れ回った。700人の英軍をレキシントンで待ち構えていたのは、わずか77人の植民地の民兵(ミニットマン)で、夜明けの空に銃声が響き、これが独立戦争の始まりとなった。
この英雄的行為はロングフェローの物語詩「Paul Revere’s Ride」によって描かれ、建国神話の一つとなった。

この記事の内容が、一般的な「ポール・リビアの真夜中の騎行」の理解だろうと思われる。 しかし、この囲み記事の内容も正確とはいえない。
たとてば、ポール・リビアは本当に「英国軍が来た」と言ったのか?
またボール・リビアはコンコードまで馬を走らせたのか?

さてその疑問はまた考えることにして、
「ポール・リビアの真夜中の騎行」がどのようにアメリカの子どもたちに知られているのかを調べていると、図書館に次のような子ども向けの本があった。

「ジュデイ・モードとなかまたち」シリーズである。
その第6巻は、主人公のジュデイが家族旅行でボストンに行き、アメリカの独立や自由について学んでくるのがテーマになっている。
ボストンの、ポール・リビアの家に行き、「真夜中の騎行」についての資料を手に入れる。そして旅行から帰ってから、学校でその内容を紹介する場面がある。

「今日は、ジュディがボストン旅行で買ってきたパラパラマンガを読むことにしよう。マンガに書いてある文章は、『ポール・リビアの走り』という詩で、物語にもなっているんだ」

「あたし、リビアの家を見ました。かべ紙も、入れ歯も、みーんな!」
ジュディが口をはさみましたが、トッド先生は話をつづけました。
「この詩は、こどものころ、先生のお気に入りだった。学校でおぼえさせられたし、そらでいえないといけなかったんだよ。作者は、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー。アメリカがイギリスから独立するとき、3人の男たちが真夜中に馬を走らせたという有名な話をもとにしている。その3人のうちのひとりが、ポール・リビアだったんだ」
「3人のなかには、お医者さんもいたんですよね!」
ジュディは手をあげて、みんなにおしえました。
「しーっ!」ジェシカが注意しました。
 トッド先生は声を落として、ささやくように朗読をはじめました。3年T組は、しずまり返りました。
「『よくききなさい 子どもたちよ ポール・リビアの真夜中の走りを・・・』」
 詩のなかみは、ポール・リビアが真夜中に馬を走らせ、どうやってイギリス軍が攻めてくることを農場や町の人びとに知らせたか、というものでした。
 ジュディはまた手をあげました。
「先生!、先生! 『古き教会』って、オールド・ノース教会のことですよね。あたし、見てきました! ほんとです! 『ひとつなら陸から、ふたつなら海から』の意味も知ってます! ポール・リビアが友だちに言ったんですよね。イギリス軍が陸から攻めてきたらランプを一つ、海から攻めてきたらランプを二つ教会にさげるようにって」・・・・(略)・・・
「ポール・リビアは、二人の重要人物に危険を知らせて逃したんだよ。サミュエル・アダムスと、ジョン・ハンコックにね。しかし、みんなに知らせる前にイギリス兵に止められて、馬をうばわれてしまった」
「でも、(3人のうちの1人の)お医者さんが逃げて、みんなに知らせたんですよね!」とジュディ。
「そのとおり。それに、ポール・リビアのように馬を走らせた有名な女の子もいたんだ。名前は、シビル・ルディントン」
・・・・・・・

物語はまだ続く。
この本、「ジュディ・モードの独立宣言」は2005年に出版されている。日本語に翻訳されて出版されたのは2007年3月26日。

10年ぐらい前のアメリカの小学校の先生たちの世代の人達は、小学校の時に、ロングフェローの「Paul Revere’s Ride」の詩を習っていたことがこの本から想像できる。
そして暗唱できるようになるまで練習していたこともわかる。ロングフェロー邸のパークレンジャーさんもそうだったのだろう。

さて、ポール・リビアの1775年4月18日の行動をまとめてみると、下の地図のようになる。この地図は私がロングフェロー邸で買った本の表紙裏にあったもの。

①ポール・リビアは以前から馬で伝令のような役目をしていた。友人で保安委員会委員長のウォレンから、レキシントンに滞在しているハンコックとアダムズに、ボストン駐留のイギリス軍が軍事行動を起こし始めていること、イギリス軍が二人を逮捕しようしていること、コンコードの武器貯蔵庫爆破の計画があることを知らせるように頼まれる。
②このメッセージを、ポール・リビアとウィリアム・ドースの二人が別路で伝えることになる。(上の地図の青い線がリビア、緑の線がドーズ)
③リビアは前から友人と秘密の合図を決めていた。それがクライスト教会(オールド・ノース教会)の塔の上の合図(一つなら陸路、二つなら海路)である。
④リビアは友人とボートでチャールズ川を渡り、ボストン対岸のチャールズタウンに着く。ランタンの合図が二つだったことを知り、真夜中の疾駆をはじめる。夜の11時頃である。
④零時から零時半ごろにレキシントンの牧師館に到着し、ハンコックとアダムズにウォレンの警告を伝える。レキシントンに到着するまでの途中、大声で家々に警告を発し、それが「イギリス兵が来たぞ!」と言ったとして伝わっている。しかし当時の植民地の人達は自分たちはイギリス人と考えていたので、「イギリス兵」ではなく、「正規軍がやってくる」ではないかという説が有力である。

⑤ポール・リビアの到着した約30分後にウィリアム・ドーズが到着する。二人は直ちにコンコードへ警告のために馬を走らせる。
⑥途中、コンコード在住の医師サミュエル・プレスコットに出会い、3人でコンコードをめざす。
⑦数マイルほど駆けたところでイギリス兵に見つかる。リビアは捕まり、ドースは脱出し、プレスコットだけがうまく逃げ出し、コンコードに到着し、警告を伝えた。

これは、「記録と記憶のアメリカ」(和田光弘著 名古屋大学出版会)という本をもとにして、私の理解のできるところでまとめたものである。

コンコードに到着したのは、「ジュディ・モードの独立宣言」の小説に書かれているように、ウィリアム・ドースであり、ポール・リビアはコンコードには到着していなかった。
しかし彼の行動は、ロングフェローの詩「Paul Revere’s Ride 」によって広く知られることになった。ロングフェローは3人の中でポール・リビアに一番の功労者としての位置づけをしたのである。それは他の2人くらべて、ポール・リビアのこの事件までの活動や、事件後の生き方が影響しているのかもしれない。

そしてロングフェローの筆の力が、アメリカ中の人が知っている歴史的な話として今も語り継がれるものとなったのだと思う。
これ以上のことは私の力量を超えているのでここまでとしておく。先に上げた本、「記録と記憶のアメリカ」にはそれらのことについて、詳しく記述されている。

一番最後の写真は、この後見学したボストン美術館にある、「ポール・リビアの肖像」。(ポール・リビアをネット検索するとかならず見つかるこの肖像画は、ボストン美術館にあることがわかった)

 

 

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