アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 13

三日目 ハリエット・ビーチャー・ストウ2

上の写真はきれいに飾られたハリエット・ビーチャー・ストウの家の軒先と、本がたくさんある部屋。落ち着いた雰囲気が家全体をおおっている。

前回に書いたように、「若草物語」に「アンクル・トムの小屋」が登場する。
それは「若草物語」第4章に、ジョーの言葉のなかに「アンクル・トムの小屋」を引用した言葉が出てくるのである。

“We needed that lesson, and we won’t forget it. If we do so, you just say to us, as old Chloe did in Uncle Tom, ‘Tink ob yer marcies, chillen!’ ‘Tink ob yer marcies!'” added Jo, who could not, for the life of her, help getting a morsel of fun out of the little sermon, though she took it to heart as much as any of them.
(原文はゴチックではない)

岩波少年文庫の「若草物語」(海都洋子訳)では、次のように訳されている。

「わたしたちにはそういう教訓が必要だったんだ。みんな、忘れないようにしようね。もし、わたしたちが忘れているときには、お母さん、ちょっと一言、『アンクル・トムの小屋』に出てくるクローイばあやが言ったことをわたしたちに言ってね。『これ、おめえさんたちの受けているお恵みを考えなせえ。お恵みを考えなせえ』ってね」とジョーが言った。ジョーは、母のちょっとしたお説教にも、ちょっぴりでもおもしろさをつけ足さないと気がすまなかったのだ。もちろん、そのお説教を、ほかのきょうだいに劣らず身にしみて聞いていたのだが。」

ところで、引用符で囲まれている

‘Tink ob yer marcies, chillen!’ ‘Tink ob yer marcies!'” 

という言葉は、「アンクル・トムの小屋」のどこで使われているのだろう。
(mercy が本来の綴りだが、南部訛りなのだろうか marcy と綴られている)

「アンクル・トムの小屋」の原文をインターネットで検索してみると、「若草物語」で引用されている、上のような文章はなかった。
marcy 、mercy という言葉がいくつかヒットしたが、関係がありそうなのは「アンクル・トムの小屋」の第10章。たぶん次の文章をもとにして、「若草物語」の第4章が書かれているのだと思う。

“Let’s think on our marcies!” he added, tremulously, as if he was quite sure he needed to think on them very hard indeed.
Marcies!” said Aunt Chloe; “don’t see no marcy in ‘t! ‘tan’t right! tan’t right it should be so! Mas’r never ought ter left it so that ye could be took for his debts. Ye’ve arnt him all he gets for ye, twice over. He owed ye yer freedom, and ought ter gin ‘t to yer years ago. Mebbe he can’t help himself now, but I feel it’s wrong. Nothing can’t beat that ar out o’ me. Sich a faithful crittur as ye’ve been,—and allers sot his business ‘fore yer own every way,—and reckoned on him more than yer own wife and chil’en! Them as sells heart’s love and heart’s blood, to get out thar scrapes, de Lord’ll be up to ‘em!”
(原文にはゴチックで書かれていない)

これはどういう内容なのだろう。南部訛りらしい言葉で書かれているので、私には容易に読み取れない。 「アンクル・トムの小屋」の翻訳を見てみよう。

図書館で見つけた「アンクル・トムの小屋」の翻訳が2冊。
左が一番新しい完訳(2001年第2刷)。右が1993年初版で丸谷才一訳(抄訳)。大きさもだいぶ違う。完訳の本は15✕21.5✕4.5の分厚い本。
抄訳の本は11✕14.5✕2.5ぐらいのハンディな本。

まず完訳の本(小林憲二監訳)からその部分を引用する。
第10章「売り物として連れ去られる」は、売られていくTomとChloeとの最後の会話の部分。

「主のお慈悲を考えるんだ!」と、彼は震え声でつけ加えた。その様子は、神様のお慈悲に感謝の念を本当に捧げる必要があると確信しているかに見えた。
お慈悲だって!」とクロウおばは言った。「今度のことじゃ、そんなもの見いだせないよ! こんなこたあ間違っている! こんなんじゃおかしい! 旦那様も借金のためにあんたを売るなんてことをしちゃなんねえだ。あんたは、旦那様があんたにしてくれたことの二倍も働いてあげたじゃないか! 旦那様にはあんたに自由の借りがあるんだ。何年も前に自由にしてくれていなきゃならなかったんだ。いまはどうすることもできねえかもしんねえけど、そらあ間違っている。あたしはその考えを絶対に変える気はないね。あんたは、どんな場合でも自分のことより、いつも旦那様の仕事を優先してきたし、自分の女房や子どもたちよりも、旦那様のことを考えてきた! あんたはそんなふうにずっと忠実だった。なのに自分の難儀を切り抜けるのに、そんなふうに心を捧げてきたものの愛や血を売ろうなんて、神様はこんなことを見逃すはずがねえ!」

丸谷才一訳の本を見てみよう。

10 売られていくアンクル・トム

「・・・なあ、神さまのお恵みのことを、考えようじゃないか」
「神さまのお恵みなんて、わたしには、わからないよ。こんなことになるなんて、まちがっている! だんなさまはいままで、おまえさんのおかげで、二へんも命が助かっているじゃないか。何年も前に、解放して、自由な身にしてくれてよかったんだ。それなのに、借金のせいで、おまえさんを売るなんて、なんて恩知らずなことだろう。」

抄訳なので細かな部分は省かれているが、内容はよくわかる。

mercy, marcy、慈悲、お恵み、日本人の私にはよくわからないところ。
「若草物語」も「アンクル・トムの小屋」もキリスト教の考え方が背景にあり、「神の恵み」「主のお慈悲」という考え方が両方の小説に流れているように思える。
ルイーザ・メイ・オルコットは、「アンクル・トムの小屋」を読み、トムの言うmarcyに感応し、ジョーたち4姉妹の生き方に方向を与えるために、この言葉を引用したのかもしれない。
でも、これ以上のことは私の理解力では考えが及ばない。

このmarcyという言葉を調べていたら、映画「王様と私」に「アンクル・トムの小屋」が劇中劇で出てくるという記事にぶつかった。
「王様と私」といえば、最近ミュージカルで渡辺謙が演じていたと話題になっていた演目。

私は早速TSUTAYAでDVDを借りてきた。
そういえば何年か前にこの映画を、レンタルビデをで見たことがあることを思い出した。
でもその時は、アンクル・トムの小屋のことについて考えた記憶はない。

映画では、ビルマ王からの貢物としてタイに送られたタプティムが「アンクル・トムの小屋」をもとにして、Small House of Uncle Thomas という劇にアレンジする。

それはこんなふうにして、はじまる。

Your majesty,
and honorable guests

I beg to put before you
“Small House of Uncle Thomas”.

We beg to put before you
Small House of Uncle Thomas.
Written by a woman
Harriet Beecher Stowe

ビデオの字幕には
「・・・おめにかけますのは『アンクル・トムの小屋』
はじまりはじまり アンクル・トムの小屋
女流作家ストウ夫人が書いた物語・・・」
とある。

「王様と私」の映画では、ハリエット・ビーチャー・ストウ原作の「アンクル・トムの小屋」をもとにして、「アンクル・トーマスの小さな小屋」と翻案したことがわかるようになっている。ここでもハリエット・ビーチャー・ストウとはっきりと言っていて、Mrs. Stowe と言っていないことに気がついた。

アンクル・トムの最後の持ち主となり、アンクル・トムを死に至らしめたひどい主人を暴君サイモン・レグリ−としたり、逃亡した女性奴隷エライザが氷の上を逃げる場面をブッダによる奇跡として演出するなど、とてもわかりやすく構成されていた。

エバの優しさに感化されたトプシー(映画では、Mischief Maker, Topsyと紹介されている)の言葉がそっくり「アンクル・トムの小屋」から引用されていた。それは

Topsy glad the Simon die, Topsy dance for joy.
I tell you what Harriet Beecher Stowa say that Topsy say.

I specks I’se de wickedest critter in de world!

映画の字幕では、
「トプシーは王の死におおはしゃぎ
ちょっぴり反省して申しました。
『きっとあたし 世界一いけない子ね』」

となっている。映画では「ハリエット・ビーチャー・ストウが、これはトプシーの言った言葉と説明している」と紹介している。

この「I specks I’se de wickedest critter in de world!」と言う言葉は、「アンクル・トムの小屋」第20章「トプシー」の最後の方で、トプシー自身の言葉として出てくる。

 ・・・ but lor! ye an’t any on ye up to me. I ‘s so awful wicked there
can’t nobody do nothin’ with me. I used to keep old Missis a swarin’ at
me half de time. I spects I ‘s the wickedest critter in the world;” 

 完訳の「アンクル・トムの小屋」では次のように訳されている。

「でも、ええか、お前らのうちであたいほどの者はいないよ。あたいはおそろしく罰当たりだから、あたいにちょっかいだそうなんて人は誰もいやしないのさ。前の奥様は、いつもあたいのことを罵っていらした。あたいがそうさせていたのさ。この世でいちばん罰当たりな生き物は、たぶんあたいだって思うよ」

こうして「若草物語」や映画「王様と私」を見ていくと、「アンクル・トムの小屋」の物語やそこに出てくる表現やセリフなどが、アメリカ人の当たり前の知識として共有されていた、今も共有されていることに気づいた。

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 12

三日目 ハリエット・ビーチャー・ストウ

目的地はハートフォード。ボストンからバスで2時間半ほどの道のり。
「アンクル・トムの小屋」の作者、ハリエット・ビーチャー・ストウさんの家に向かう。

この女性が「アンクル・トムの小屋」の作者、ハリエット・ビーチャー・ストウさん。

「アンクル・トムの小屋」の作者はストー夫人、というのが常識的な答え方。しかしこの地に来てみて、どこにもMrs.Stowe という表示はない。すべて Harriet Beecher Stowe

である。あらためてゆっくり考えてみると、それはそうだろう。わざわざ夫の姓を全面に出して「ストウ夫人」と言う必要はない。「アンクル・トムの小屋」が書かれたころは、まだ女性の参政権も認められていない時代だった。女性の権利が十分に認められていなかったからかもしれない。日本でいうなら、藤原道綱母とか紫式部というようなものだろうか。
日本に帰ってきて、「アンクル・トムの小屋」の翻訳本さがしてみると、図書館で見つけた本には、著者名として「ストウ夫人」と書いてある本はなかった。

屋敷の案内は若い女性がしてくれた。ボランティアの人かもしれない。
「アンクル・トムの小屋」は、1851年〜52年にかけてハリエット・ビーチャー・ストウが、THE NATIONAL ERA という新聞に連載していたものが53年に本になって出版された。そして大ベストセラーになったという。ネットで調べてみると雑誌「ナショナル エラ(国民時代)」とか機関誌とかの説明があり、本のようなイメージだが、実際は写真のような新聞のような大きな印刷物。ベットに置くと下のような感じ。

部屋の壁一面に貼ってあるのは、「アンクル・トムの小屋」を絵にしたもの。日本流で言えば漫画版の「アンクル・トムの小屋」。舞台でも演じられ、各国で翻訳されたという。その当時の著作権についての考え方はわからないが、ハリエット・ビーチャー・ストウは、「アンクル・トムの小屋」がどのように使われても、広まるならかまわないという姿勢だったようだ。

世界各国で翻訳された「アンクル・トムの小屋」の本が展示されていた。日本語の本も展示されていた。

1862年、南北戦争中に、ハリエット・ビーチャー・ストウにあったリンカーン大統領が言った言葉として伝わっているのが上の言葉。
「あなたのような小柄な方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね。」という意味か。「アンクル・トムの小屋」という作品が、南北戦争、奴隷解放につながっていったということだろう。写真の上部にはリンカーン大統領の顔がある。

沢山の蔵書の中に、ルイーザ・メイ・オルコットの書いた「Jo’s Boys 」(第四若草物語)があることを松本先生が発見。

ハリエット・ビーチャー・ストウは1811年〜1896年。
ルイーザ・メイ・オルコットは1832年〜1888年。どちらも南北戦争をはさんで活動をしている。そして「Jo’s Boys」 は1886年出版だから、ハリエット・ビーチャー・ストウは、若草物語やこの作品を読んでいたに違いない。

これはヨーロッパに行った時に、奴隷反対の署名がこれほど集まった、というもの。しかも全て女性からの署名。女性に参政権がなかった時代だったのだ。

派手な装飾もない落ち着いた部屋。ハリエット・ビーチャー・ストウの人柄が伝わってくるかのよう。

ここは台所。現代のシステムキッチンの基礎を作ったのが、ハリエット・ビーチャー・ストウとその姉によるものだそうだ。家庭料理は使用人や奴隷に任せず、自分たちでつくる、そして作りやすい台所、という考え方のようだ。奴隷解放の視点が読み取れそう。

ここは「ハリエット・ビーチャー・ストウ ビジターセンター」。「アンクル・トムの小屋」関わる展示や書籍が販売されていた。

このビジターセンターで『アンクル・トムの小屋」の英語版の本を買う。

先にハリエット・ビーチャー・ストウは、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語」を読んでいたと推定されると書いたが、その逆のことがわかっている。

「若草物語」に「アンクル・トムの小屋」のことが出てくるのである。このことは次のブログに書く予定。

 

 

 

 

アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 11

三日目 ボストンの朝の散歩

ホテルの窓から見える朝のボストンの街。
今日は雨が振りそうなぐらいに曇っている。

朝は軽く。コーヒーはスタッフの人がポットごと持ってきてくれる。ミルクも。
この日は午前中は自由行動ができる日。街の散策と買い物の予定。
お昼のために、朝食のバナナやパンを確保しておいた(これも旅慣れてきたからかな)。

ここはボストン公共図書館(BOSTON PUBLIC LIBRALY )。ゆったりとしたスベース。明るい読書室。喫茶店もある。こんな図書館なら何時間でもおれそう。環境ってだいじだな、と思う。

トリニティ教会(1877年)。ただいま工事中。近くの近代的なガラス張りのビル(ジョン・ハンコック・タワー)に写っている姿で全体を想像するのみ。
ガイドブックには、

ボストンのほぼ中心地に堂々と建つトリニティ教会はヨーロッパのロマネスク様式を多々取り入れた建物で、19世紀にアメリカで最も賞賛されたと言っていいほどの建築家ヘンリー・ホブソン・リチャードソンの代表作でもあります。
後にこれは「リチャードソニアン・ロマネスク」と呼ばれ、彼の名からとった新しいアメリカンスタイル様式として多くのアメリカ建築家にも影響を与えたそうです。
また、1885年には建築家が選ぶアメリカ内で最も重要な10大建物の一つに選ばれたりして、なかなかの風格を持っています。

と書いてあった。残念ながら外側が囲いでよくわからない。中に入ろうとしたが、9時からのオープンだった。少し早く来すぎた。後の時間があるので開くのをまてないので、市内のマーケットのある場所に移動。

左の写真はウィキペディアより引用したトリニティ教会の全景。なるほど、風格のある姿だ。工事中で全容が見ることができなかったのが残念。
教会前の広場には、イソップ童話の「カメ」と「ウサギ」があった。ウサギが小さいのか、カメが大きいのか。オブジェとなるとこんなふうになるのかな。

ここは1773年12月16日の夜に起きた「ボストン茶会事件」の記念博物館。上の黄色い船が再現されたもの(エレノア号)。思いのほか小さい船なのでびっくり。こんな船で大西洋を横断したのかと思うと、大変だっただろうなあ。でもこの事件での損害額が、342箱の茶箱で100万ドルと推定されているから、危険に見合う仕事だったのだろう。ここに行きたかったが、距離と時間の問題であきらめる。上の写真はバスで通った時に撮したもの。だからちよっとピンぼけ。

エレノア号の姿がよくわからないので、インターネットで調べる。トリップアドバイザーというホームページより引用したのが上の写真。ボストン茶会事件に関係した船は何隻かあったようだが、このエレノア号が一番小さいのかもしれない。

左の写真は、ボストンの観光パンフレット。
茶会事件の体験を売り物にしているらしい。
エレノア号の上から、茶箱を海に投げ込むことを体験するというものらしい。
このパンフレットの写真で茶箱のイメージがつかめた。もっと重たい木箱のようなものを想像していたが、そうではないようだ。

ホテルからスーパーマーケットまでは、2階の渡り廊下の両側にお店がならぶショップストリート。カフェ、ブックショップ、ブテック、マイクロソフトのお店・・・ずらっと並んでいて、ウィンドウショッピングが楽しめる。

本屋さんで、アメリカの地図を見つけた。買おうかなと思ったが、ニューヨークで買えるだろうと思いやめた。でも・・・ニューヨークでは本屋さんを探す時間がなかった。やっぱり海外旅行では思った時に買っておかないと、とまた思う。

 これは靴磨き用の椅子のようだ。何回かこの前を通ったが、ここを利用している場面には出会わなかった。
靴磨きは8ドル。ブーツは10ドル以上。営業時間は月曜から金曜、朝9時から夕方5時までと表示があった。なるほど、営業日ではなかったのだ。

天気予報通りに雨になってきた。ホテルに戻ってランチ。 さあ午後はバスで今日の目的地、マーク・トウェインの家とハリエット・ビーチャー・ストウの家に向かう。