アメリカ東海岸 「若草物語」と「あしながおじさん」の旅 2

二日目 ボストン市内観光その1

朝食のレストラン。1階のロビー横、エレベーターからすぐのところにあり、レストランのそばにはスターバックスがあった。
日本のホテルのモーニングのようにバライティな食品が並んでいるのではなく、パンやシリアルなどの基本的なものが多かった。また野菜も少なく、コンチネンタルブレックファーストとでもいうものだろうか。

今日はこのツアーの中でも一番ハードな日。時差ボケの頭で、身体はついていっても、頭の働きがついていかない。

6時半ごろから朝食を食べ、8時にバスに乗る。バスに乗って市内観光をしながら、
ロングフェロー邸、ハーバード大学に行く。昼食の後、若草物語の舞台であるコンコードへの移動。そしてボストンに戻ってきてボストン美術館の見学ともりだくさん。

このビルが、1907年、モンゴメリーさんが32才の時、「赤毛のアン」の原稿を持ってきた「L・C・ペイジ社」。この会社が出版を引き受けたことにより、「赤毛のアン』は世界的に有名になった。バスの中から撮影する。ボストン・コモン(アメリカ最古の都市公園)のそば。

上の写真は旧州議事堂。1713年に完成したもの。ここのバルコニーで「独立宣言」が高々と読み上げられた。1776年7月18日のこと。今は高層ビルに囲まれているがその美しさは歴史を表している。

バスに乗ってやってきたのが、ロングフェロー邸。
この屋敷にロングフェローは、1837年から1882年まで住んだそうだ。
また、ロングフェローが住む前に、ジョージ・ワシントンが1775年から1776年のあいだの住まいにしていたという、歴史的な建物。国立史跡に指定されている。国立公園直属のバークレンジャーさんが案内してくれた。

 

上の写真の左端に写っているのが、バークレンジャーさん。お名前をわすれてしまった・・・。 レンジャーという名前のように、西部劇のテレビに出てくるような制服姿。笑顔の素敵な、アメリカ女性(だと思う)。
見学は正門からではなく、裏側にあるビジターセンターより入った。

屋敷の入り口の庭にある立て札には

House Built by Major John Vassall
        Headquartered of
             General
    George Washington
        1775 = 1776
—————————————-
             Home of 
    Henry Wadsworth
        Longgellow
  1837 – 1882

と書かれている。1759年にイングランド出身のヘンリー・ヴァッサルー(Major と書かれているので大佐、中佐、少佐?)が建てたもの
独立戦争中にジョージ・ワシントンが司令部として使い、ここに滞在している。
独立戦争後、この家の持ち主は、クレーギー家にうつった。
1830年、ロングフェローは、この家の2室を借りて下宿する。その部屋の一つがワシントンが司令部として使った部屋と言われている。その部屋が下の写真。

上の写真が正門。2階の右側の部屋が、ワシントン時代に司令部として使われ、ロングフェローの下宿部屋になったそうだ
上の右側の写真は、正門のドアを開けたところにある玄関口と二階に上る階段。
ワシントンはこの階段を心配そうな顔をして昇ったり、降りたりしていたと伝えられている。

ロングフェローと言う名前は聞いたことはあるがどんな作品を書いたのかというと、私は恥ずかしながら全く知らなかった。
左がロングフェローの胸像。イギリスのウェストミンスター寺院にアメリカの詩人としてはじめてその胸像が置かれているそうだ。それぐらい有名な詩人なのだ。

日本に帰ってから、図書館でロングフェローの代表作と言われている「エヴァンジェリン」を借りてきた。
ツアーのバスの中で、松本先生の解説があったが、アメリカ独立前の悲恋の話。1847年の作品である。この文庫本の解説には、
「エヴァンジェリンは、18世紀の半ばから末葉にかけて、イギリスとフランスが新大陸の植民地に、勢力を争った時代の物語である。アカディーAcadieの國と云うのは、今のノヴァ・スコシア Nova Scotia であった。フランス系の移民村の、日光と仰がれたエヴァンジェリンは、結婚の間際に、生き別れとなった其夫を跡を尋ねて、廣い今の合衆国のあちらこちらを漂(さす)らったのであった・・・」

エヴァンジェリンと恋人ギャプリエルが再会した時は、ギャブリエルは死をむかえる直前であった。
この悲恋の物語は大きな反響を起こし、全世界に知られるようになった。この作品によってロングフェローの名声が確立されたともいわれている。私はこの本のほとんどを声に出して読んだ。そのほうが実感できるとおもって。
イギリス軍が村を焼き払い、家族をバラバラにしたという歴史的実話をもとにしている。あらためてアメリカ独立の背景を考えさせれる、インパクトのある哀詩である。文学の世界は、文学の中に閉じこもるのではなく、外の世界に大きな影響力を発揮するという実例だと思った。

「赤毛のアン」とロングフェローとはどういう関係があるのだろう。 松本侑子さん訳の「赤毛のアン」の注にこうここれている。

第31章 (1)小川と河が出会うところ(P361) ‥‥アメリカの詩人、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩『乙女』の一節から引用したもの。小川と河の合流点とは、何なのか。そしてモンゴメリは、なぜこの一節を第31章のタイトルに引用したのか。  『乙女』の詩では、「小川と河が出会うところ」という一節の次には、「女らしさと少女らしさがかけ抜けていく!」と続いている。つまり合流点とは、少女と女性の合流点である。本章(8)参照。

これを読んであらためて31章を読むと、章の題名に「小川と河」と書かれているが、本文には「小川」も「河」も出てこない。何かを象徴していることが想像できるが、それに答えたのが松本先生の解釈だ。

松本侑子さんのホームページに、「モンゴメリーについてのデジタルライブラリー」がリンクされている。そこにはこの詩の全文がのっているが、上の注に関係のある部分を引用すると、

Where the brook and river meet,
 Womanhood an childhood fleet !

また、第7巻「虹の谷のアン」(1919年刊行)の題辞にロングフェローの詩「失われし青春」の一説が引用されている。

And the thoughts of youth are long, long thoughts
若き日の想いは、遠い遠い想い(松本侑子訳)

「赤毛のアン」の作者のモンゴメリーさんが、ロングフェローをはじめ沢山の詩や小説を読んでいたことが想像される。また、それほどロングフェローの作品がアメリカで読まれ、愛されていたことも想像できる。ロングフェローについての興味が湧いてきた。

*松本侑子さんの「モンゴメリー デシタルライブラリー」は以下にリンクされている。

http://office-matsumoto.world.coocan.jp/mel01.htm

 

 

 

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