タワー三兄弟 別府タワー

名前は知っていた別府タワー。いい機会だから昇ることにした。
別府タワーのエレベーターに次のような紹介が書かれていた。

「別府タワーは、高層建築の世界的権威 故内藤多仲博士の設計による。
名古屋テレビ塔、大阪通天閣に次いで1957年(昭和32年)5月10日,さっぽろテレビ塔や東京タワーより一足早く日本で3番目に完成し、”別府っ子”の自慢の一つとなった。
全長90m、
展望台55m」

設計者の内藤多仲(ないとうたちゅう)博士のことは、関東大震災でも倒れなかったビルを設計した人、と以前に本かなにかで知ったことがある。

展望台は360度別府の町、海を望むことができる。別府タワーの建設途中の写真も展示されていた。
パネルに「泉都の宝 別府タワーの軌跡」という紹介文があった。
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別府タワーの完成は昭和32年5月10日。昭和という時代が一番元気に輝きはじめる頃である。
「別府温泉観光産業大博覧会」の目玉施設として建設が構想され、当時の地元財界人らが設立した「別府観光協会」が2億8000万円を投じて建造した。
途中資金繰りの都合で糀が遅れ、完成は博覧会開幕に間に合わなかった。
また、実際はタワーが建てばお客が来るという安易なものではなく、別府タワーの宣伝隊を仕立て、北陸、関東、関西と派手でなおかつ地道な全国行脚を行った結果、修学旅行シーズンには1日4000食を出すなど、年間90万人の利用客でにぎわう一大観光スポットに上りつめた。
またタワー完成時の従業員募集では、数千人の希望者が当時の別府駅前通まで列を作った。
眼下に広がる街の様子こそ変化し続けるが、360度のこの視界だけはどこもなく、そしてこのタワーが生きている限り手に入れられるものである。
建設から50年を迎えた別府タワーは、国の「登録有形文化財」に指定され、これからも泉都のランドマークとして人々に愛され、時代を見続けて行く。

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ガラスの向こうに別府市内、海が広がっている。この展望台もなんとなくノスタルジックな雰囲気を感じさせる。
この展望台の売店で、もう少し詳しい資料やパンフレットがないかと探した。お店の人にもたずねたが、おいてある観光パンフレットしかないということだった。
もうちょっと宣伝用にも、子ども用にも、読みやすそうなパンフレットがほしいなあと思った。

内藤多仲(ないとうたちゅう)博士の構造設計による観光タワーは、6つあることが知られている。
上の写真の一覧表のように、
名古屋のテレビ塔、通天閣、そしてこの別府タワーが建設され、その後に
さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーと約10年間に6つのタワーがつくられている。別府タワーはタワー3兄弟の三男坊なのだ。
私は「さっぽろテレビ塔」と「博多ポートタワー」には行ったことはない。機会を見つけて、この6兄弟を制覇してみたいものだ。

「別府タワー」はもともと「観光センターテレビ塔」として完成しているので、建設当時にはテレビ放送用のアンテナがあったらしいが、今はない。

ビルの部分
1階 カフェ、イベントスペース
2階 タイホーレジャーグループ本社
4階 カラオケ店

タワーの部分
16階 展望ラウンジバー
17階 展望台

http://bepputower.co.jp/

1階からのエレベーターで展望台に上がったが、4階のカラオケ店で降りる人が多かった。
また、帰りのエレベーターでは展望ラウンジバーから乗ってくる人もいた。
市民に根付いていることがよくわかる。

上の写真は別府タワーのビルの部分。

別府タワーは、別府の町によく似合っていると思う。大阪の通天閣、名古屋のテレビ塔、それぞれ立地の環境が違っているが、その町には欠かせないものになっているのだろうと思う。

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