アンドロイドが目指す人間らしさ

大変おもしろい講演会があった。
左のボスターにあるように、「アンドロイドが目指す人間らしさについて」と題して、大阪大学の先生のプレゼンテーションと、学生さんとの質疑応答があった。
参加者からの質疑も受け付けて、久しぶりにワクワクしながら話を聞くことができた。

この講演会は、以前に大阪府科学技術センターであったJAXAの宇宙開発の講演会に行ったときに見つけたポスターで知った。
最先端のアンドロイド開発の話を聞きたかった。

 

ここは京阪電車中之島線「なにわ橋駅」コンコースにある「アートエリアB1」というスペース。こんなところに、こんな場所が、というのが第一印象。定員30名、とポスターにあったが、集まってきた人は30人を越していたと思う。大学生はもちろんだが、中年以降の男性が多いのに驚いた。

私たちは言葉以外で何を伝えあっているのか?

左はポスターの裏にあった挿絵。「私たちは『言葉以外』で何を伝えあっているのか」というタイトルで、講演内容の紹介が書いてあった。
なんとも哲学的な呼びかけだが、お話をお聞きする中で、こういった哲学的な問いかけは今までは哲学者が中心になって考えてきたものだが、アンドロイド・ロボット研究が進む中で、すべての人が考えることのできる状況が生まれてきている、ということがわかった。

プレゼンテーションは大阪大学COデザインセンター助教、基礎工学研究助教の小川浩平(おがわこうへい)さん。

小川さんからの提案で、進行役の役割としてカフェマスターの大学生二人ですすめられた。

普通になってきたロボットのいる世界

最初にロボット・アンドロイドの現在の状況の話があった。
ソフトバンクのペッパーやお掃除ロボットのルンバなど、ロボットが身近にいる環境になってきた。そこで小川先生はいう、

◎ロボットは人にとって社会的な存在として認められる必要がある。
◎人は人に関係するモダリティを敏感に認識する能力を持つ。アンドロイドは人と社会的にかかわるロボットとして理想的な存在になるだろう。

人とロボットのコミニュケーションに関わる研究は、私の思っていたよりも以前からすすめられていたようだ。10年ぐらい前の、見るからに機械仕掛けというロボットと仲良く遊ぶ幼児の映像が流された。
最近ではショッピングモールで働くロボットの様子も紹介された。

不気味の谷

見かけを人間に近づけたロボット、それはアンドロイドと呼ばれるわけだが、どうすれば人間らしい動きになるのか、という研究が進んでいるそうだ。

左の図はウィキペディアからとったもの。その解説を引用すると。
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ロボット工学者の森政弘・東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。

外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットは、見る者の感情的反応に差がでるだろうと予想できる。この二つの感情的反応の差をグラフ化した際に現れる強い嫌悪感を表す谷を「不気味の谷」と呼ぶ。人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感を持ちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感を持てないことから名付けられた。

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小川先生の師匠に当たる石黒浩先生が、自分の子どもに似せてアンドロイドを作ったがその動きは不気味に見えたそうだ。石黒先生のお子さんは二度とみたくない!と言った伝えられていると言う。

そういったところから、人間の姿に似せたロボットだけでなく、極限にパーツを省いてかろうじて人間タイプのロボット、人形のようなテレノイドの研究(上の写真左)や、感触・触感を追求したHagvieロボット(上の写真右)の研究など多様な方向に進んでいることが紹介された。
*上の写真2枚は、大阪大学のホームページより。

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/snapshots/special_issue/kaeru/201309_special_issue1

アンドロイドはアイドルになれるかも・・・

人間はニュートラルの見かけのものに対して、想像力を最大限に発揮するそうだ。そしてそれはよりポジティブな方向で想像力が働く。
人は想像力で人と関わるらしい。たとえば昔の電話交換手さんの声で姿かたちを想像したり、ラジオのキャスターの声で恋愛感情を持つという話は聞いたことがあるが、そういったことだろうと思う。

アンドロイドの姿かたちを、アイドルに似せて作ればどうだろう。
そこから作られたのが、左の写真にある「アンドロイドルU」。
遠隔操作と自律制御で会話ができる。
人間と会話をすることによって、自律的に対話をする能力を高めていくことができると言う。現在は4000バターンの対話データを学習し、学習できたものへの対応と、答えられないものは無視するということで、完全自立対話ができるようになってきているそうだ。
プレゼンテーションのなかで、映像が紹介され、「ぐぬぬ」という言葉を学習すると、何回も「ぐぬぬ、ぐぬぬ、ぐぬぬ」と繰り返して言うなど、アンドロイド自身の中で何かがおきていることが想像できたりして、おもしろかった。

自立対話型アンドロイド ERICA

違和感のない自然な対話研究のためにつくられたのが、ERICA(エリカ)。

対話が自然にできるようになるためには、大量のデータが必要になってくる。
インターネットが一般的になった現代は、そのデータが多量にとれるようになった。チャットやツイッター、あるいはネットを通してアンドロイドと対話ができるなど、膨大な量の会話や対話のデータが利用できるそうだ。

私は難波の高島屋でアンドロイドが接客しているところを見たことがある。
服の販売で、お客さんの注文を聞いて商品を選んでいくというものだった。
プレゼンテーションでその結果が話された。店員さんのほぼ平均近くの売上をしたそうだ。買った人の多くは高齢者と男性だったそうだ。女性は商品の選択の段階で切り上げるというパターンが多かったという。
これも女性型アンドロイドの特徴かもしれない。
私の疑問の一つは、どうして女性型アンドロイドのほうがおおいのだろうかということだ。男性型アンドロイドといえば、石黒先生、桂米朝、夏目漱石というもので、デパートの販売には向かないだろう。
これはコミニュケーションの男女の差ではないかと、小川先生の話から思った。
社会がアンドロイドを受け入れるようにするためには、女性型アンドロイドが有効なのかもしれない。それはこの世界が男性優位社会の反映かも知れないが、、、。

*上のエリカの写真は京都大学のホームページから取った。

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/research_results/2015/150803_1.html

人間の定義は時代によってかわる

左の写真はアンドロイド同士が対話をしているところ。
外国でも様々な研究が進んでいるそうだ。

ロボットやアンドロイドが対話をしているのを聞いて、あるいはロボットやアンドロイドと会話をして、そこに「心がうごいている」ように判断できたとき、それはロボットやアンドロイドに「心がある」と考えられるのではないか、と小川先生は言う。私たちは観察でしか判断できない。機械の中でどんなことが起きているのかはわからない。判断をするのは人間の方なのだ。
それは「チューリングテスト」そのものではないか、と私は思った。

大学1年生の学生さんから「アンドロイドの技術が悪用されませんか」と言う内容の質問があった。それは誰もが予想することだろう。小川先生はどう答えるのだろう。
「1年生ですか? 今勉強していることをしっかりと勉強してください。専門課程になれば専門のことだけを深めていくようになります。リベラルアーツを学ぶことが大切なのです。そして正しい倫理観をもった人間になること、技術が悪用されないような高度で強固な倫理観を持つ人間になりましょう」と言う内容のことを答えられた。

また質疑応答の中で、「江戸時代には五体満足でない人は、人間として認められていませんでした」と小川先生がおっしゃった。体の不自由な人は人間扱いされなかったのだ。アメリカの奴隷制度で苦しんだアフリカから連れてこられた黒人の人達もそう。時代とともに、「人間」という定義は変わってきている、広がってきているといえるだろう。

私は講演の後、個人的に質問をした。それは「障害を持った人」への対応である。人間らしさとは健常者だけの価値観では測れない、と思ったからだ。
小川先生は「今は姥捨て山もありませんね。いい時代になりました」「自閉症の子どもたちが、アンドロイドには目を見て話をするんです。もちろんアンドロイドは先生が操作しているんですが。アンドロイドを使って、障害を持つ人とのコミニュケーション研究が進められています」。
まったく私の知らないことを教えてもらった。

アンドロイドの研究は、人間らしさの研究でもあるのだと思った。

 

 

 

 

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