「若きウェルテルの悩み」の街
ヴェツラー
シュタイナウからバスに乗り、北西へ2時間ほど。ヴェツラーに着いたのは午後1時をまわっていた。
まずは腹ごしらえ。ドイツといえば、ソーセージ。
前菜の野菜サラダからデザート、コーヒー(オプション)まで、ゆっくりと楽しめた。
ソーセージには三つのソースがあり、それぞれの味を試すことができた。ソーセージはおもったよりもあっさりとしていて、脂っこいという予想がはずれた。
この日はとても天気が良く、暑いくらいだった。ビールも飲みたかったがここはディナーのためにがまん。
日中の陽射しが眩しいくらい。 中高生ぐらいの半袖・半ズボンの子どもたちが、グループで歩いている。 ドイツの学校は9月始まりだから、新学期早々の社会見学?、フィールドワーク?
上の地図はヴェツラーの町のパンフレットから。
左の写真は地図の「イェルーザレムの家」。
イェルーザレムと言うのはゲーテ作「若きウェルテルの悩み」のモデルとなった人物の一人。
「若きウェルテルの悩み」について、松本侑子さんの資料を見てみよう。
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1772年の夏、大学を出たゲーテは法律家見習いとしてフランクフルト北のヴェツラーを訪れる。
そこでシャルロッテと出逢い、恋に落ちるが、彼女には許嫁(いいなずけ)がいた。相手は知的で誠実な紳士で、ゲーテは諦めようと苦しみ、ヴェツラーを去る。
その後、たまたま、ゲーテの親友が人妻に恋をして自殺する事件が起きる。この二つを素に25歳のゲーテは4週間で「若きウェルテルの悩み」を執筆、人気作家となった。
日本は鎖国中で紹介されなかったが、中国ではすぐに訳され、欧州各国と同様、知的な青年たちに「煩悩」旋風を巻き起こした。
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そのゲーテの親友、イェルーザレムの家がこの木組みの大きな家だったのだ。
そしてここが「若きウェルテルの悩み」の主人公の一人、ロッテのモデルとなったシャルロッテの家である。 ゲーテが働いていたという法律事務所から歩いて10分ぐらいのところだ。 ゲーテは毎日のように、シャルロッテの家を訪ねたと言う。
岩波文庫「若きウェルテルの悩み」の後書き・解説に紹介されていたロッテの家が左の絵。
そして下の写真は、私が撮ったロッテの家の入口付近の写真。
250年近い歴史があるのに、ほとんどそのままの姿で保存されていることにおどろく。
ロッテ(シャルロッテ)とウェルテル(ゲーテ)が初めて出会うところ。
岩波文庫からその場面を引用してみると、
「・・・すると、今まで見たことのないほどうっとりするような光景が目に映った。そこの控えの間に、上は11から下は2つまでの子供たちが6人、姿のうつくしい中背の娘のまわりに集まっていた。この娘は簡素な白い服をきて、腕と胸に淡い紅色の飾り紐をつけていた。そして、黒いパンをかかえて、まわりの小さな子供たちに、それぞれの年と食欲に応じて切って分けてやっていた。そのさまはいかにもやさしく、・・・(略)・・・、私は何気ない挨拶をしたが、心はすっかりその姿、その声音、その挙手に奪われてしまった。・・・・」
ヴェツラーの町のパンフレットからこの写真はとっている。ロッテハウスにこの写真のもととなった絵が飾られていたが、撮影禁止のため、室内の様子をカメラに収めることはできなかった。
この旅行をきっかけにもう一度「若きウェルテルの悩み」を読んだ。
岩波文庫の表紙にはロッテがピアノを弾いている挿絵がのっている。
実際のロッテハウスにもピアノが置かれていた。ここでロッテがウェルテルのためにピアノを弾いてやったのかと思いながらロッテの屋敷を歩くと、なんとなくロマンチックな気持ちになった。
私は学生時代にこの「若きウェルテルの悩み」を読んだ。読み直すと、やはり青年のときに、青春時代にこの本を読んでおいてよかったとあらためて思った。
ゲーテに関しては、最後の日に、ゲーテの生誕した家「ゲーテハウス」を訪れるので、そのときにもう少し書いてみることにしよう。
ヴェツラーの中心にあるドーム、大聖堂(写真中央)に向かうことになる。