城下町シュタイナウ
シュタイナウはハーナウの東北、約30キロのところにある城下町。 グリム兄弟は兄ヤーコブが6歳、弟ヴィルヘルムが5歳のときに父の栄転により転居している。
シュタイナウ城の見学をする。残念なことに写真撮影は禁止。
現地のガイドさんのドイツ語の説明を、日本人ガイドさんのわかりやすい日本語訳で説明を聞く。
松本侑子さんの資料を紹介する。
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グリム兄弟が少年時代を過ごしたシュタイナウには、のどかな町にそぐわない立派な城がある。ゆるやかな盆地の底に赤い屋根をのせた木組みの家々が集まり、その中心にうす茶色の石を積んだ城がたつ。広い城内の博物館には、グリム一家と童話にまつわる展示品がさまざまあり、なかなか面白いものだった。
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(松本侑子さんはこの城の塔を登っている。私たちは登っていないので、その部分を紹介すると)
私は狭くて長い石の螺旋階段をのぼっていった。・・・・・・
私がたどりついた塔の天辺の小部屋もまた暗かった。だが閉じられていた古びた雨戸を開けはなつと、ぱっとうす緑いろのもやが眼下にひろがった。草地の広がる牧歌的な田舎、赤い屋根瓦をならべた家々、遠くにはアウトバーン、豊かな森の丘陵、春の風景が淡くかすんでいる。
まさにおとぎ話に出てきそうなこの村で、グリム兄弟は恵まれた子ども時代を送るが、ヨーロッパは激動の時代を迎えていく。・・・・
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上の写真は、この町のパンフレットからとったもの。松本侑子さんの見た風景はこのようなものだったのだろう。
ここがグリム兄弟の住んでいた家。家というよりも屋敷。
残念なことに、ここも内部の写真撮影は禁止。
松本侑子さんの資料より、グリム兄弟の家の部分を読んでみる。
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1階は、父が裁判官として働いた裁判所と役場。二階は役人たちの部屋。
ほかの階にグリム一家が住まった。別棟には、大きな納屋、畜舎もある。
かたわらを小川がゆったりと流れ、キラキラと水しぶきを跳ねながら水車もまわっている。
この家で、グリム兄弟は幸せな子ども時代を送るが、父の死により、その幸福は長く続かなかった。
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1789年のフランス革命の後、プロイセン(ドイツの一部)やオーストリアなどの連合軍とフランスが戦争を始め、軍人や負傷兵たちが、シュタイナウの街道を通過し、滞在するようになったのだ。
代官だった父は、外国の兵隊や軍人たちの処理に追われ、激務から体をこわし、45歳の若さで肺炎をおこして世を去る。働き盛りの40代、仕事熱心なあまりの過労、また戦時のストレスから体の抵抗力を弱めて命を落とした真面目な父親には、過労死する現代の男性もふと思われて、なんだか胸が締め付けられる。
残された幼い6人の子どもたち、母、一緒に暮らしていた叔母は、広い代官屋敷を出る羽目になった。兄のヤーコブが11歳、弟のヴィルヘルムは僅か10歳だ。・・・
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町の中央に位置する「メルヘンの泉」。泉の真ん中にある柱には、グリム童話に関連するレリーフが彫られ、人魚姫などの彫刻もあった。
自由時間にその近くのカフェでアイスクリームとコーヒーを楽しむ。
お城のすぐ近くに学校があった。休み時間だろうか?子どもたちの姿が見える。グラウンドではサッカーを楽しむ男の子たちがいた。
左はグリム兄弟の家の庭にあった「カエルの王様」のモニュメント。
カエルが持っているのはお姫様が投げた金の鞠。
ドイツのカエルはこんなんだったんだなあ。日本のヒキガエルに似ているかな。
でもどうしてグリム兄弟の庭にこの「カエルとお姫様」のモニュメントを持ってきたのだろう。
父をなくしたグリム兄弟の行末は次回に。
私たちはグリム兄弟の生い立ちからしばしはなれて、ここからゲーテゆかりの地、ヴェツラーに向かう。