ドイツグリム紀行12(3日目の6)

ザバブルグ城 眠り姫の城

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img_5812カッセルの中心部からバスで移動。日本ではあまり見ることのない丘陵地帯を走る。
小高い丘の上に城の塔のような姿が見える。

img_5730きれいに手入れされた、緑の小道をのぼっていくと、
あれ?カラフルな衣装を着た若者たちと遭遇。赤い服の男性の頭に王冠?何かな?

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お城の庭に、壁にバラの花。 そう、ここがグリム童話「いばら姫のお城」。ディズニーの「眠れる森の美女」のモデルの一つとなったお城「ザバブルグ城」だ。
14世紀に建てられたという本当の古城。今は個人の所有だそうだ。

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松本侑子さんの資料を見てみよう。

「眠り姫」もまた、ドイツの物語ではないが、カッセルの北部のザバブルグに姫が百年眠って森に閉ざされたとされる古城がある。ここも眉唾ではないかと少々心配しながら出かけたところ、城が近づくにつれ、そんな小さな不安よりもドイツの森の偉大なる深さに畏怖の念すら抱くようになった。ここは確かに、百年の魔法の眠りの間に、木々が生い茂り、すっぽりと城を全て覆い隠し、深い深い森が幾重にも取り巻いたという童話の世界そのままの森林地帯である。
 日本で森というと、山を連想するが、ザバブルグの周辺には山らしい山はない。ほとんど平らな奥深い森また森、木々が葉を伸ばす薄暗いなか、林道のような一本道を走る。昼間なのに前にも後ろにも車は一台もない。大きな野生の鹿や狼(ドイツでは狼は絶滅したらしいが)でも、ふと姿を表しそうな幽寂な気配。やけに深閑として薄気味悪いほどで、つい逃げるように猛スピードで走り抜けた。知らないうちに魔法の力にからめて異界へ連れ去られそうな恐ろしさがあったのだ。」

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(左の写真は、このお城の喫茶室にあったパンフレットから。このパンフレットの赤ずきんは、シュパルムシュタットでみたものと同じだ。松本侑子さんは、このような道を車で走ったのかもしれない)

資料からの引用をもう少し続ける。

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「やがて城の在り処を告げる道路標識があらわれて、ほっと安堵。しばらくゆくと古城の廃墟にたどりついた。それにしても、村も集落もない野の木立のなかに、いきなり城が姿を見せる不思議さ。果てない静かな森に覆われた人里離れた城の佇まいは、本当に、百年に渡って地元の村人にも気づかれずに眠り続けた城のように思われる。こうした辺鄙な場所柄ゆえ、私たちのほかの訪問者はほとんどなかった。ここも観光地というよりは、土地の人々が、郷土愛ゆえに、「いかにも眠り姫のメルヘンの出てきそうなおらが村の城跡を、姫様のお眠りになった城としようか・・・」と仮定した遊び心の賜物に思える。古城はすでに天井は落ち、石を積んだ壁が残る。塔と一部の建物のみが現存する。小さなところにさりげない洒落がある。たとえば城の鉄門の柵をよく見ると、野ばらの彫刻がほどこされている。等の入り口には、野ばらが両脇に植えてある・・・。眠り姫枕に眠り姫クッキーの土産物もなく、このささやかな遊び心が楽しかった。城に隣接して小さなホテルが営業している。・・・・」

img_7181 img_7187松本侑子さんの資料のように、このお城の屋根もなくなり、壁だけが残っている。
入り口で見た学生風の人たちは、眠り姫の衣装を着てここで何をしていたのだろう。

img_5775この古城の庭。そこは静かな空間。

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古城のホテルの喫茶室でお茶を飲む。年配のドイツ女性の係の人が親しげに注文を聞いてくれた。この風景には紅茶がよく似合う。

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img_7182貴族の領地だったのだろう。古城から見えるのは手入れされたこの広い土地は庭?
喫茶ルームには猟銃と薪の暖炉。グリム兄弟の像が入口にあった。

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この古城ホテルは17室しかないという小さなホテル。私たち全員が泊まることはできない。そのためラプンツェルの塔がある古城、トレンデルブルクの古城で宿泊することになっている。

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狼はいないけれど馬がのんびりと草を喰んでいた。
時刻は夕方、ホテルチェックインは6時半の予定。ラプンツェルの塔のある城はどんなところだろう?

 

 

 

ドイツグリム紀行11(3日目の5)

カッセル その3

img_3522これが以前のグリム博物館。まるで絵葉書をコビーしたかのような写真だが、ちゃんと私がiPhone6で写した写真。
この博物館の収蔵物は、私たちが見学した「グリム博物館 Grimm Welt」に2015年9月に移転している。
松本侑子さんはこちらの古い方の博物館を見学したのだろうと思う。

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img_3525グリム兄弟が住んだ家。
1824年〜1826年

カッセルは機関車製造の工業地として栄え、第二次大戦中は連合軍の爆撃を受けて壊滅的な被害を受けている。すべては戦後の再建されて、ほとんどの建物が新しい。
グリム兄弟が住んでいた、というパネルが貼られているが、この建物も再建されたものだろうと思われる。ドイツでは、戦争で破壊された建物の多くは、戦前の姿で再建されているものが多いという。

ここでグリム兄弟のカッセルでの生活を、松本侑子さんの資料により紹介する。父を亡くし、二人がカッセルに来たのはヤコブ13歳、ヴィルヘルム12歳の時だった。

「故郷の田舎シュタイナウからでてきた二人には、さぞかし大都会に見えたことだろう。身分の差が歴然とあった階級社会において、二人は身分のない庶民だ。しかも後ろ盾となる父も財産もない。そんな少年たちには、つらい経験も多々あったのではないだろうか。彼らが持ちうるものは、自らの努力だけだったのだ。
 その知性を頼みにして大学へ進み、社会へ出て立身出世しようとしたことは容易に想像できる。兄弟は母と伯母に迷惑をかけないように、そして立派な人になって母を喜ばせたいと、ギリシャ語、ラテン語などの勉強に熱を入れる。
 実際、彼らは努力に努力を重ねて優秀な成績をおさめ、本来は8年で卒業する中学高校に当たる学校を、わずか4年で終える。さらに兄のヤーコブは校長の推薦を受けて、マールブルグ大学へ進むことを許された。1年後、弟のヴィルヘルムも同じ大学に入る。十代の彼らの奮闘ぶりが、頼もしくもあり、また妙にけなげで、いとおしい。・・・・」

マールブルグの町の様子は、前回のブログに書いたとおり。下の写真は、グリム兄弟が住んだという家にほど近い市庁舎のある広場付近。

img_3529マールブルグ大学を卒業した後のグリム兄弟の足跡を、松本侑子さんの資料をもとに紹介する。

「マーブルグ大学で学生生活を送った後、グリム兄弟は、中学高校時代をすごしたカッセルへ戻る。というのは、シュタイナウにいた母、弟たち、妹がそろってカッセルに移り住んできて、一緒に暮らすことになったからだ。
 兄ヤーコブは恩師とともにパリでしばらく研究したあと、大学を中退して、1805年にカッセルに戻った。弟のヴィルヘルムは学位を取り卒業した1806年にカッセルへ帰った。
 ヤーコブは、収入のない家族の生活を支えなければならない。4人の弟と妹を学校へ行かせなければならない。そこでヘッセン国の陸軍師団の書紀として務めることになった。当時のヘッセンはナポレオン軍と戦争中で、彼は司令部の事務方として働いたのだ。だが1806年、ヘッセン国はフランスに占領され支配を受けるようになる。
 フランス語に堪能だったヤーコブはフランス軍政府のもとで働くことになったが、異国のフランス人に仕えること、古代ゲルマンの研究ができないことを嫌って退職した。弟のヴィルヘルムは戦時の混乱中で、仕事が見つからない。ふたたび一家の収入はとだえ、食事も貧しくなっていく。そんな困窮のなか、兄弟の行末を楽しみにして励ましてくれていた最愛の母が亡くなる。功成り名遂ぐ前に父母を失ったことは、後々の兄弟にとって痛恨だったことだろう。
 続いてフランス占領下のヘッセンは、ナポレオンの弟ジェローム・ボナパルトが国王として君臨するようになる。ヤーコブは王の私設図書館に司書の職を得た。幸い職務は少なく、研究に没頭できるようになった。
 兄弟はカッセルに帰った1806年ごろから、ドイツの童話の収集を初めている。ドイツの領邦が、フランスに侵略された時代に、ゲルマンの昔話を集めて民族の文化的な統一意識を誇りを持とう、ゲルマン民族のアイデンティティを追求しよう、という意識が、彼らだけでなく社会全体にあったのだ。 ・・・」

グリム兄弟によるドイツ童話の収集のことについて、松本侑子さんの資料があるが次の機会に紹介することにしよう。

img_3531カッセルの中心部は、ヨーロッパの街によくある風景。
フォルクスワーゲン、メルセデス・ベンツが当たり前のように走っている。
私たちの乗っていた観光バスもベンツ製のバスだった。

img_3533おや? ジェラシックパークに紛れ込んだのかな?

img_3535自然科学博物館?のような建物だった。

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img_5725カッセルの町をあとにして、バスは農園地帯を横切っていく。
広い畑は刈り取られたあとのか、これから種まきがあるのか。働く人の姿もトラクターなどの車も見えない。
太陽光発電のパネルを屋根一面に取り付けた家が、畑地のあちこちに見える。
最近のドイツの家は、家自体の断熱効果を高めることによって、暖炉などの暖房器具やクーラーなどの空調設備がなくてもいいような建設方法が取り入れられているそうだ。
国を挙げて、自然エレルギー利用に取り組んでいるように見える。

さて、私たちが目指しているのは、グリム童話「眠り姫」のお城。
近代的なドイツから、過去にさかのぼったドイツに向かっている。

 

 

ドイツグリム紀行10(3日目の4)

カッセル その2 (グリム博物館)

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img_3491_2町の大きな通り沿いの公園に、グリム兄弟の像があった。
ここから歩いて数分のところに、グリム博物館がある。

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「カッセルにあるグリムの世界」、という意味らしい。
ここの展示方法は最新式と言われている。

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スマートフォンのような器具が用意されていて、いろんな言語に対応している。その中には日本語もあった。
展示物に近くに来ると日本語での説明がディスプレイ上に現れる。日本の美術館の音声案内が、ここでは文字で読めるようになっている。 ただ、時間に追われていると、小さな文字を読むのが辛くなる。これも加齢?
案内板には点字が表記されていた。そういえば、日本でも案内板などに、点字表記がつけられていることが多くなってきているなあ、と思う。

博物館の展示方法はどれも興味深かったけれど、私が一番興味をひいたのは、子どもたちの作ったノートが展示してあったところだ。

img_3506 img_3507 img_3508ドイツ語なので、なんて書いてあるかわからなかった。学校で勉強したノートなのだろうか、自由研究のノートなのだろうか、下のノートの絵は赤ずきんちゃんだろうか、と興味深かった。

img_20161018_0001 img_20161018_0002上の二枚の写真は、博物館でもらったパンフレットの一部。上の写真のような構造になっている。
下の写真はそのパンフレットの裏側にあった絵。グリム童話の主人公たちが、この博物館のレイアウトの中に配置されて描かれてているようだ。シンデレラのガラスの靴、ブレーメンの音楽隊、カエルの王様などなどがある。

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最新式の展示本法で少し疲れた。館内の喫茶店でコーヒーをいただく。
こういう時のコーヒーは美味しい。
できれば丸々1日かけて見学したいところだが、次の予定 ー グリム兄弟が住んでいたという、建物の見学がまっている。

 

 

 

 

ドイツグリム紀行9(3日目の3)

カッセル その1

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img_3491カッセルとシュパルムシュタットの位置関係は上の地図の通り。
ここでグリム兄弟は約30年くらい暮らしている。
20代に「グリム童話」を書いたのがこの町なのだ。
前回は「大学の町、マールブルグ」の様子を書いたが、グリムの時間軸を整理すると、
・「ハーナウ」で生まれた兄弟は、父の栄転により
・「シュタイナウ」に転居する。
そして父の死によって、生活が困った兄弟は、
・「カッセル」に住む伯母に引き取られる。
ここで勉学に励み、
・「マールブルグ」の大学で学ぶことになる。
大学を卒業した兄弟は、中学高校時代を過ごした「カッセル」に戻ってくる。
「カッセル」は「メルヘン街道」の中心となす町で、兄弟の弟たちが住んだ家、グリム博物館もある。上の写真はカッセルにあるグリム兄弟の像。

ヴィルヘルムスヘーエ(Wilhelmshohe)公園

カッセルの町に行く前に立ち寄ったところが二つ。
一つはこの写真の「ヴィルヘルムスヘーエ公園」にある「ヘラクレス像」。丁度修復工事中のようだった。

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松本侑子さんの資料より。 「・・・・この古城からさらに丘の天辺を見上げると、山を覆いつくす木立の果てに、またしても巨大な像が見えてくる。それを目指して頂上まで山道を車でのぼっていくと、またも目を疑うような建造物が現れた。ギリシャ神話の勇者ヘラクレスの馬鹿でかい石像を載せた城塞があったのだ。悪趣味というか古典趣味というか、、、、。さらには、この要塞から下っていく丘の斜面には、幅広の岩の階段が長々と造られているのだ。その石の段々を水が流れへは下へおり、また下の岩へおりて、数十段もの人工滝になっている。しかもこの滝は、カッセルの街中へ続く大通りと一直線につながるように設計されているのだ。山も城も街も一体化させた都市計画、宮廷造園である。かつてのヘッセン国カッセルが豊かに栄えていたことを実感させる。宮殿の城にある滝のある山を、ヤーコブとヴィルヘルムの二人も、春の新緑、夏の深い青葉、秋の紅葉のなかを歩いたことであろう。この山城公園は機会があれば訪ねられることを勧める、、、、。」

img_3417私たちが訪れた時は修理中のためか、水は流れていなかった。

img_3430説明にあった「カッセルの町中へ続く大通りと一直線につながる」ということがよくわかる。

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上の写真の真ん中奥にある建物が、ヴィルヘルムスヘーエ宮殿。この宮殿でグリム兄弟の兄、ヤーコブがこの宮殿の図書室に勤務していたという。残念ながら私たちはこの宮殿の見学はしていない。
左の冊子は、この公園の売店で見つけたもの。色んな国の言語で印刷されていたが、日本語はなかった。しかし英語のパンフがあったので買った。
「Water works in
      Wilhelmshohe Park」とある。(oはウムラウトがつくのだがフォントが表示されないのでご容赦を)

写真の説明には、「The treatment of water in the evolving garden art of the 18th century 」と書かれている。

18世紀のもので、水の芸術で有名ということらしい。パンフの中を見ると、

img_20161017_0002真ん中の建物の上の像が、私たちが見たヘラクレスの像。こんなふうに水が流れているのだろう。

img_3457これは工事フェンスの周りに張ってあったパネルの一部。修理がおわるとこのような噴水も見ることができるようだ。水の芸術の呼ばれるゆえんだろう。

img_3463 img_3466 img_3467続いてやってきた二つ目の場所。昼食のレストラン。
山の中腹にある静かなレストランだった。

img_3468 img_3473 img_3475前菜からデザートまで。ドイツの伝統料理を楽しんだ。

img_3483屋根には風見鶏があった。 今回の旅ではいろんな風見鶏を見た。
ドイツの建物と空には風見鶏が似合うようだ。

食事も終えて、私たちはカッセルの町へ移動する。
グリム博物館の見学だ。

 

 

 

ドイツグリム紀行8(3日目の2)

シュパルム地方(シュパルムシュタット)

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バスから見える風力発電の風車が多数。 家々には、太陽光発電のパネルが屋根に並んでいる。自然エネルギーの活用をすすめていることがわかる。

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私たちが向かっているのは、左の地図にある「シュパルムシュタット」。

「海外旅行準備室」というホームページに左の地図があった。
その記事からの引用。

シュバルムシュタット (Schwalmstadt)アルスフェルトの北20kmにある小さな町が点在する地域です。
この地域の頭巾のような伝統衣装と、フランスから伝わった話をグリム兄弟が童話化した「赤ずきん」の物語から「赤ずきんの故郷」となっています。
郷土博物館で伝統衣装や昔の生活用品などを見ることができます。

http://www.i-wanna-travel.com/r5-germany06.html

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 ここが郷土博物館あるいは民俗博物館とよんでいるところ。
MUSEUM DER SCHWALM
とかいてある。

中高生ぐらいの子どもたちが、グルーブでこの町のなかを歩いている。
手にはワークシートのようなものをもっていて、時々メモ書きをしている。社会見学かフィールドワークのようなものなのだろう。歴史のある地域の見学かもしれない。

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img_3346学生たちはこの博物館の中には入っては来なかった。外からの町の見学のようだ。

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博物館のガイドさんはすごく熱心な人。写真の白い髭の人で、私たち日本人に言葉が通じているかいないか関係なく細かに説明をしてくれた。それを日本語に翻訳してくれたツアーガイドさんに感謝。松本侑子さんの資料によると、

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「見つけた博物館は、展示品が充実していた。次々と大型パスでドイツ人の団体客が訪れ、小さな館は一杯になる。素朴で精密で美しい手工芸品、昔の靴職人の靴作り、当時のろくろの陶磁器づくり、古い時代の編物や刺繍の品々。手芸と陶芸が大好きな私はショーケースに顔をつけ、むさぼるように次から次へと見てまわった。庶民の心のこもった丁寧な手仕事、祖母から娘へ、またその娘へと受け継がれた編み方、刺繍の糸目の確かさに、ドイツの女たちの息づかいさえ感じられるようだった。民族衣装は手のこんだ仕事を施した貴重な品であり、親から子どもへ、孫へと、装束そのものが受け渡されることもある。これもまた慈愛に満ちた血脈の流れを思わせる。
赤ずきんにちなんだ軽薄な観光地であったらと不安だったが、杞憂であった。ドイツ農村の暮らしを丁寧に見せてくれる小さいながらも、うまく造られた古い館の博物館であり、こうした道具を使っていた昔々の農民たちが、メルヘンを語らい、民謡を歌い、踊ったのだと、ドイツ農民のくらしぶりをありありと想像し、何か温かいものさえ受けとった。窓口の人たちも誠に親切であった。」

img_7164これがこの地方に伝わる赤ずきんちゃんのモデル。松本侑子さんの解説は・・・

「このシュパルム地方では、独身の女性は、赤い帽子を見につける。帽子といっても、拳ほどの大きさの箱状の小さなものだ。上から見ると、楕円のかたち。下へ行くほどに楕円が小さくなって、楕円の円錐をさかさに伏せたような不思議な帽子だ。それを黒いリボンにつけて、頭の天辺にのせ、首の下でリボンをむすぶ。結婚した女性は、同じ形の、しかし黒い帽子を頭にのせる。未婚と既婚で色が違うのは、帽子だけではない。結婚していない娘さんは、肩に掛ける小さなスカーフも赤。夫のいる奥さんは、黒いスカーフ。
白いブラウスに黒い上着を羽織り、上衣の上から、華やかな色刺繍を施した飾りをあしらう。刺繍に赤い色が多いほど若い娘さんのようだ。そして黒いスカート。スカートの下には白いペチュコートを何枚も重ねてふくらみを出している。腕には白くて細い木綿糸を編んだレースの長い手袋。足にも同じく白い木綿糸をレース編みにした精巧な長い靴下。金のバックルのついた黒い革靴。なんとも愛らしくててのこんだ衣装である。
村の祭り、結婚のお祝いといった村人たちが集まる催しに、女たちはこの衣装を見につける。男も民族衣装である。まだ夫のいないぴちぴちした娘たちは、まぶしいほどの赤を、帽子に、スカーフに、飾りにと、ふんだんにまとい、ほっぺもますます紅く、若さがいよいよ花のように輝いたことだろう。とにかくこの娘さんの赤い帽子つき伝統衣装から、緑の牧場がどこまでも続く鄙びたシュパルム地方の田舎が、赤ずきんの里とされている。」

img_3381赤ずきんちゃんのモデルとなったこの地方の「赤ずきん」は、防空頭巾のような頭巾ではなかったのだ。
日本の多くの親や子どもは、赤ずきんちゃんといえば防空頭巾のような頭をすっぽりと覆うスカーフをかぶったような姿を想像しているに違いない。
ちなにみ「赤ずきんちゃん」の物語は、英語では「Little Red Riding Hood」。これをそのまま翻訳すると、「小さな赤い乗馬用の帽子」となる。どちらにしても防空頭巾のようなものではないことがわかる。

現地に来てみてわかる話がよくあるが、この赤ずきんちゃんもその例である。
思い込みや、勝手な想像も楽しいが、物語の出発点となったモデルを知ることもおもしろい。

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この町はかつては、城壁と堀に囲まれていた町らしい。
上の写真はこの博物館にあったジオラマ。堀に囲まれた街の様子がわかる。

そして村の中心付近の公園にあった、金属製の模型。町の様子が立体的にわかるようになっていて、さらに点字で説明がある。

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このように点字でかかれている。 私たちがこの町に来て、博物館を見学しているとき、ドイツ人の学生以外の団体客はみなかった。しかし、松本侑子さんの経験ではたくさんの見学客が訪れているらしい。その人達のために、点字の説明があるのかもしれない。
この町の人達の生き方がわかるような気がした。

さて、グリム童話の赤ずきんの村での勉強を終えて、グリム兄弟が暮らしたカッセルの町にむけて、バスは出発する。