平和の礎(へいわのいしじ)
平和の礎ができた後に訪れているが、その時は並んだ黒い石と刻まれた沢山の人の名前にただただ圧倒されたことを覚えている。
ホームページによると、
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その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためです。
なお、「礎(いしじ)」とは、建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言で「いしじ」と発音することに由来するものです。平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられたものです。
(2)「平和の礎」のデザインコンセプトは、“平和の波永遠なれ(Everlasting waves of peace)”となっておりまして、屏風状に並んだ刻銘碑は世界に向けて平和の波が広がるようにとの願いをデザイン化したものです。
(3)平和祈念公園から平和の広場に通ずるメイン通路は、その中心線が6月23日の日の出の方位に合わせて設置されています。6月23日は沖縄での組織的戦闘の終結した日で、沖縄県では「慰霊の日」と定め、県民の休日となっております。慰霊の日には、平和祈念公園で全沖縄戦没者追悼式が開催されます。
(4)メイン通路の奥には平和の広場があり、中央には「平和の火」が設置されています。この「平和の火」は、世界の恒久平和を願い、沖縄戦で米軍が最初に上陸した沖縄県座間味村の阿嘉島で採取した火と、広島市の「平和の灯(ともしび)」、長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合わせ、平成7年1995年6月23日の「平和の礎」除幕式典において、ここに点したものです。
種火は、平和の広場の地下に大事に保存しております。
(5)「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなられた、一人ひとりのお名前が刻まれております。
ただし、沖縄県出身者については、昭和6年(1931年)の満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外で戦争が原因で亡くなられた方々が刻銘されております。
刻銘の方法は、それぞれの母国語で表記しており、国別、都道府県別となっております。
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刻銘版は1220面におよび、約25万名の刻銘が可能だという。
下の写真は「平和の礎」の前にある「平和の広場」。広場の中心には上記の(4)にある「平和の火」がある。この平和の火の向こう側から日の出の太陽がのぼる。
2016年6月23日現在、
日本 226,842人
アメリカ 14,009人
イギリス 82人
台湾 34人
朝鮮民主主義人民共和国 82人
大韓民国 365人
合計 241,414人
http://kouen.heiwa-irei-okinawa.jp/photo/20160622104017.jpg
24万人・・・・・。
一人の人間の命の重さは地球1個分と言われるが、戦争はそんな言葉をふっ飛ばしてしまう。
沖縄戦でなくなった人のことを考えながら、不謹慎かもしれないと思いながらもバスに乗る前に、冷たいものをと売店をさがす。
この平和祈念公園には売店は少ない。平和記念資料館のなかにも喫茶店やレストランはなかった。
バス乗り場付近にあるお店には長い列がならぶ。
ほしい時にほしいものが買える、今は幸せなんだなあと思いながらバスに乗る。
明日は辺野古だ。