沖縄の6月 その2

旧海軍司令部壕

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ここは旧海軍司令部壕。見学できるようになっている。

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このツアーでもらった資料によると、
「地下35m、総延長450mに及ぶ巨大な地下壕である。・・・沖縄に配備された海軍兵力は約1万人、・・・実戦能力のあるものは少数で、小銃も3分の1程度しか装備しておらず、槍を持たされるものもいたという。・・・・6月4日には、那覇を制圧した米軍が小禄飛行場(電子基準点のあった付近か?)一帯に進行してきた。しかし抵抗する戦力はわずかしかなく、13日に大田司令官が壕内で自決、海軍部隊の組織的戦闘は終了した。大田司令官は自決の前に、沖縄県民への特別な配慮を求めた「沖縄県民斯く戦ヘリ。県民に対し、後世特別のご高配を賜らんことを」との電文を海軍次官発信している。」

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付近は公園のように整備されている。展望台に登って見える那覇市の風景。

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青い海と青い空。この海が米軍の上陸用舟艇でうまり、青い空には砲火と戦闘機が舞ったのだろう。しかし今は、旅客機の白い機体が輝いて見える時代になったのだ。

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この旧海軍司令部壕の上には、「海軍戦歿者慰霊之塔」がたっていた。
付近を掃除している、体脂肪10数%ぐらいのしまった体つきをした若い男性の姿がある。私は思わず「ボランティアですか?」と聞いてみた。
少し苦笑いのような顔をして「ええ、まあ、そういうようなものですが」と返事が。
「交代で掃除をされているのですか」と重ねて聞くと
「そうです。曜日を決めて」と返答がかえってきた。
この時はこの人達は一体誰なのかまったくわからなかった。
帽子に「TIDA」とかかれていたので、大阪に帰ってからしらべてみると、
海上自衛隊の第5航空隊のコールサインであることがわかった。ティーダとは沖縄の言葉で「太陽」という意味だそうだ。
海上自衛隊のいろんな部隊が、順に旧海軍司令部壕付近を清掃しているのだろうと思う。沖縄を守るために戦い、戦死あるいは負傷をした人たちのことを思ってのことだろう。とにかくこの公園はチリひとつ落ちていなかった。

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公園の頂上にはドーム状の建物があった。ここからエレベーターで旧海軍司令部壕の見学受付に行くことができる。沖縄戦の写真や熊本支援のポスター等が展示されていた。人の命と復興、支えあい、などという言葉が頭のなかをぐるぐると巡っていた。

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もらった資料によると、

「・・・海軍には、ヤリを武器とした斬りこみと、急増爆雷を抱いて戦車への体当たり戦法しか残されていなかった。壕周辺には、将兵や戦闘に巻き込まれて犠牲となった住民の死体が累々と横たわっていた。米軍は一つひとつの壕を火炎放射やガス弾でシラミつぶしに潰していった。」
とある。そして大田司令官をはじめ幕僚たちが集団自決をする。
「戦後、帰村した小禄地区の人々がすぐに手をつけたのが、遺骨収集であった。原っぱで草が生い茂っている場所には必ず遺骨があり、いたるところに白骨がごろごろしていたという」
と書かれている。

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この旧海軍司令部壕に展示されているものの多くは海軍関係の遺品と資料になっている。軍人中心の展示品という批判もある。 軟弱かもしれないが、私はそれはしかたがないだろうなあと思う。
大阪ではピース大阪の展示やリバティ大阪の展示に、行政から横槍が入る時代になったのだから、戦争の悲惨さの現実を当時の武器や遺品で知らせる意味はあるだろう。

入口にあった千羽鶴。
沖縄の平和教育の取り組の一環かもしれない。

戦争と軍隊と平和、切っても切れない関係が沖縄にはある。