青島・蘇州の旅 18

蘇州大学 日本語学部

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IMG_1427さて、ここ「外国語学院」とかかれた建物の中で、日本語学科の学生たちの日本語カラオケの決勝戦が行われる。

建物の入口を入ると、傘が開いた状態でならんで置いてある。日本のように傘立てというものがない。閉じて壁に立てかけておくという習慣もないのかなあと思う。

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予選を勝ち抜いてきた学生たちが、日本語の歌唱力をアピールするわけだ。ここまでは大学関係者の審査だったが、最後は私たち日本から来たメンバーで構成する審査団。どんな歌を中国の学生は歌うのだろうと興味津々。
左の写真はその審査団。

パソコンを活用してのカラオケだった。

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中国はネット社会なので、多様な情報が、もちろん日本のアニメやテレビも、手軽に入手できる。
日本語の歌を、日本語で歌うわけだから相当に興味がないとできない、と思う一方、自分たちも英語の歌を意味もわからずに歌ってみたり、英語を知らないけれども耳で覚えた歌を口ずさんだりした経験があることを思い出すと、歌と文化と言語はつながるなあと思った。上の写真の女子大生は、ネットでセーラー服を買ったそうだ。

学生たちの歌はほとんどがアニメの歌で、残念ながら私にはなじみのない曲ばかりだった。最後に昨年度の優秀者が飛び入りで歌った歌が「なごり雪」で、さすがこの曲には日本人参加者は思わず声を出して歌った。

この日本語カラオケ大会にはスポンサーがついていて、日本企業が電子辞書や電気ポットなどを商品として提供していた。日本企業との交渉は、日本語学科の大学生がしたというから立派なものだ。

IMG_1430日本語カラオケの後は、日本語講師の研究室を訪れた。
入り口には、
「外国語学院 日文系 日本語学院」
「外国語学院 朝鮮語(韓国語)系」
という二つのパネルがあった。

IMG_1432研究室の入口にあった、大学生が書いたと思われる歓迎のホワイトボード。なんとなく微笑ましい。

IMG_1434今回の蘇州訪問の取り組みで、日本の小説が約3000冊集められてこの研究室に寄贈した。写真がその一部。

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源氏物語関係の本は、私が寄贈したもの。

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中国の琴を練習している日本語学科の大学生。このあと日本語劇で演奏するらしい。

IMG_1442 ここは茶室。畳の匂いもすがすがしい。 時間の関係で、全員が大学生のお点前をあじわうことはできなかったが、日本人講師の人たちのがんばりがつたわってくる。
文化や芸術によって、日中交流がなされていることがよくわかる。

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夕方のレセプション会場に向けて移動する。 大学は広いのでいくつも門があり、大学の横にも小さな運河がながれている。

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上の写真の大学の門のすぐ前にある喫茶店。
中国蘇州に来て、これまでみたこともない可愛いお店。
大学生が利用しているのだろう。
雨がやまないのが残念。レセプションも興味があるし、日本語劇も興味がある。
夕方を過ぎたが、まだ明るい。

 

 

青島・蘇州の旅 17

蘇州大学 海外教育学院

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ここが外国語を学ぶ学生たちのセンターのようだ。「海外教育学院」とパネルが貼ってある。
今日の予定は、蘇州大学主催の記念レセプション、日本語学科の大学生たちの「日本語カラオケ」「日本語劇」の鑑賞。
時間があるので、日本語学科の大学生に大学を案内してもらった。

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本当に広いキャンパスだ。花の手入れもしっかりとなされている。最後の写真は 卒業式を前にして、自分たちの卒業写真のためのパフォーマンスの練習をしていると、案内の大学生が説明してくれた。

IMG_20160721_00012012年のデータによると、蘇州大学は
大学生約6万人、
そのうち留学生が1143人
教員・職員数が4890人、
多数の外国の大学との交流を行っていて、日本の大学では
関西学院大学、信州大学、東京学芸大学、金沢大学、電気通信大学、京都産業大学、福井大学、京都工芸繊維大学、昭和大学医学部、奈良女子大学、国士舘大学、兵庫県立大学等がある。

学生の多くは大学の寮で生活している。大学の寮は6人部屋で、院生なると4人部屋になるという。家庭教師などのアルバイト以外は自分の勉強に費やしているそうだ。
科挙の伝統がしっかりと現在の大学生にも生きているなあと思った。
上の写真は大学の購買部で買った蘇州大学のロゴの入ったB5版のノート。大学生がこのノートを愛用しているのかどうかはわからないけれど、記念で買った。

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上の写真はそのノートを買った購買部の店。
この店でノートと絵葉書を買った。絵葉書の中にこの購買部の写真が入っていた。
この購買部の店までが遠かった。下に車が走っている大きな陸橋を渡り、隣のキャンパスまで歩くこと20分?はあったと思う。雨が降っているので、余計に遠く感じたのかもしれない。大学生が丁寧に案内してくれたのがうれしかった。

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お昼には、日本語学科を卒業した人たちがたくさん集まった。 この機会に、多くの卒業生に集まってもらおうと、3年、4年の学生たちが頑張ったらしい。 その大学生たちが用意してくれたお弁当を食べながらの交流会となった。

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久しぶりにあった日本人講師にあって、卒業生はうれしそうな顔をしている。卒業してからの近況をみんな笑顔で話している。やっぱり笑顔がいい。
日本企業関係に勤めている人、大学の日本語の先生になった人、ツーリスト関係に務めている人、どの卒業生も大学で学んだ日本語を生かそうと努力している姿が見える。結婚して生まれた子どもの写真を日本人講師に見せている人もいた。

卒業して10年以上たつ卒業生のスピーチが心に残った。
仕事の関係で何回も日本に訪れているという。卒業の時に初めて日本を訪れた時は、自分たちの国に比べて日本がとても進んでいるように思え、日本に学ぶことが多いと思った。しかし最近になって日本を訪れると、自分の国がとても発展してきていることを実感するという。そして、日本と中国の友好のためにこれからも自分は頑張りたい、と笑顔で、誇りを持ってスピーチする卒業生たちに私たちは拍手をおくった。
草の根の日中友好、ここに生きていると思った。

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ここにあった自動販売機。
2.5元だから1元=18円とすると45円。安いなあ。大学生だからかなあ。
自動販売機費は点字はついていなかった。

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大学にあった消火栓。

火事の場合は「119番」らしい。
ここは日本と一緒だなあ。
警察は「110番」なのかなあと思って、学生に聞こうかなと思いながら忘れてしまった。
こんなところが旅行の後によくある。
ああ、あの時に聞いておけば、ということが。

昼食の後、実際に日本人講師が活動している場、学生たちが勉強している場所に向かう。

 

 

 

青島・蘇州の旅 16

蘇州城壁博物館

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今日も雨。バスに乗って蘇州大学に到着。バスの中から大学の門を撮す。

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緑の旗には、「日中友好 蘇州大学と交流する大阪府教職員の会」とかいてある。真ん中のマークは蘇州大学のロゴマークらしい。真ん中に見える二人の女の子が案内役をしてくれた蘇州大学日本語学科の学生さん。笑顔がかわいい。

学生たちは学校内の見学などを予定していたようだが、大雨のために予定を変更し、城壁博物館の見学を先にすることになった。

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大学の門を出ると、文字通り川のような運河。先日見た蘇州の環濠巡りの運河よりさらに大きい。雨に霞んで見えるのが蘇州城壁博物館。城壁にあった門を再現し、博物館にしている。

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これが街の入口となった、城門と城壁かあ?!。
こんなに大きいものとは思っていなかった。

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環濠、運河で囲まれた蘇州の街のようすがよくわかる。

IMG_6812この部分は運河が二重になっていたところ。運河と城壁と城門で守られた蘇州の街が左側にあったのだろう。

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いつの時代かは記録をしなかったのでよくわからないが、 人々が行き交っていたようすが想像できる。

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ジオラマで蘇州の町中での生活が再現されている。

呉音と漢音

地図で見ると旧市街地を囲む運河の大きさは、おおよそ2.5Km✕6Kmはありそう。(地図を見て概算したので、全く正確な数字ではないことを強調しておく)
蘇州の歴史を簡単に振り返ってみよう。

蘇州は古い歴史を持つ都市で、紀元前500年にさかのぼる。周囲1.5kmの小さな都を呉王の闔閭(こうりょ?)が、周囲16kmに拡張したと言われている。2500年以上も前のことになる。日本の弥生時代頃の話だ。
蘇州はもととは「姑蘇」という名称があり、「蘇州」という名がついたのは隋の時代(589年)で、蘇州という名前も1500年の歴史がある。

蘇州は過去に10度、大乱で消滅したかもしれない歴史を持つ。
元の時代の金兵の侵攻では三日三晩燃えたと伝えられる。
最後は清の時代の太平天国の乱(1851年)の頃である。
1941年から45年の間は、日本軍が占領していた。

さて日本と蘇州は漢字というところで、関係の深い歴史がある。
漢字辞典、漢和辞典の勉強をした時に、漢字のよみには「呉音」と「漢音」があると習ったことは覚えている。

日本には話し言葉はあったが、それを書き表す文字はなかった。話し言葉を書き表す方法として、中国の漢字を使ったわけだが、中国の漢字といっても時代によってその発音はちがっている。そして日本と中国とは海を隔てているため、日本に伝わってくるのも断続的で、地理的に近い対馬や九州の国々が交易などで利用しはじめ、それが日本全体に広がってきたのだろうと想像される。

最初に日本に漢字が伝わってきたのは中国の南北朝時代の頃(439年〜589年)のもので、南朝で使われている漢字、呉の地方のものである。それが後の漢字の音と区別されるために「呉音」と呼ばれるようになった。

呉音は、古くから日本語に溶け込んだ物の名前、仏教に関わりのある言葉に多い。
たとえば、
男は呉音では「ナン」、漢音では「ダン」
女は呉音では「ニョ」、漢音では「ジョ」
人は呉音では「ニン」、漢音では「ジン」
米は呉音では「マイ」、漢音では「ベイ」
京は呉音では「キャウ」、漢音では「ケイ」
なるほど、日本語になじみのある音が呉音にあることがわかる。

奈良時代に遣唐使や留学僧によって、長安から伝わってきたのが漢民族の標準語として受けとめられ、それが「漢音」と呼ばれるようになった。
こうして、日本語の中に呉音と漢音が共存することになったわけだ。

漢字の読みというところからも、日本と蘇州が深い関係にあったことがわかる。

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この博物館の展示場の入り口付近の天井には、古星図がえがかれていた。説明がなかったので、詳しいことは全くわからないが、日本の高松塚の星の壁画を連想した。

中国の星座の歴史は古く、3000年前にさかのぼるといわれている。

北極星を「天帝」として、ひとつの国家体制を形作っているそうだ。
蘇州にある「蘇州・石刻天文図」には1440の星が刻まれているそうだ。
また星座の数も多く、3世紀に整理された頃は300ほどの星座があり、現在の88星座と比べてみるとその数の多さにびっくりする。

古くから蘇州にいる人にとっては、この城壁博物館は過去の遺跡を再現したものではなく、全くの現代の建築物だが、私たちにとっては蘇州の歴史を概観するのには役に立った。

大学と運河の間には大きな道路がある。車の多い道路で、日本とは反対の右車線を走る車に注意しながら蘇州大学に戻る。

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蘇州大学ってどんな感じの大学ですか? 
北海道大学みたいなところだよ。
なるほど。広い。