「子」のつく名前

「子」のつく名前

IMG_20160507_0002

最近、女の人の名前で「子」のついた人が減ってきているという感じがする人は多いと思う。
子どもの名前ベスト10などの報道を見ても、「子」のついた名前は見当たらない。
女性の芸能人の名前もそうだ。
思いつく「子」のつく人といえば「フーテンの寅さん」の「倍賞千恵子さん。でも少し古いかなあ。

最近話題になっているNHKの朝ドラにしても「あさが来た」の「波留さん」「宮崎あおいさん」、いま放送中の「とと姉ちゃん」では「高畑充希さん」、妹役の鞠ちゃんは「相楽樹さん」、美子ちゃんは「根岸姫奈さん」。

「子」のつく人はいない。

私が小中学校の時のクラスの女の子は、ほとんどが「子」のつく子だったと思う。(何%かと言われると自信がない、ただ女の子の名前には「子」がついているものだ、という印象が残っている)

さて、このことを調べた本がこれ。

「子」のつく名前の誕生 (仮説社)
(橋本淳治・井藤伸比古 著 /板倉聖宣 監修)

128ページの本だが、読み応えのある内容で、資料もバッチリ。

詳しい内容は読んで確かめてもらうことをおすすめすることにして、私が興味を引いたことを書いておこう。

1900年ごろからふえる「子」のつく名前

IMG_20160507_0003

このグラフは、「1877〜1988年の日本各地10校の小学校卒業者名簿4万人を調べた結果」から描かれたもの。
1900年(明治22年)頃から増え始め、1945年(昭和20年)頃をピークに、それ以後凸凹はあるが減ってきている、と読み取れそうだ。

私は以前に、「子」のつく名前は貴族や皇族に限られていたが、明治維新になってだれもが「子」のつく名前をつけることができるようになった、という説明を聞いたか、読んだかした記憶がある。

でもどうもそんなに単純ではないようだ。もしそうなら、明治維新以後に生まれた子どもにすぐに「子」のつく名前が出てくるはずだ。しかしそうではない。時間のずれがあるように思える。

さて、そこで現在では多くの人の記憶にも残っていない「子」の事実がある。

「子」の三つの使われ方

私たちは◯◯子と、人の名前の一部として、言い方を変えれば、セットとして「子」があると思っている。 しかし、明治時代はそうではなかった。
戦後の法律で生きている私たちとちがって、明治時代の感覚として、子」の表記には、

1.敬称である「子」をつけて表記している場合。
2.自分で「子」の字をつけて名乗っている場合。
3.本名に「子」の字がついている場合。
  つまり自分の娘に「子」の字をつけた場合。

の三つの場合が混同されていると、この本には書かれている。

IMG_20160508_0001 - バージョン 2

IMG_20160508_0001

上の資料は、作家の宇野千代さん(1897年生まれ、旧姓藤村)さんが1921年に懸賞小説で一等を受賞した時の、「時事新報」(1921年・大正10年1月21日)の新聞記事。
見出しには、「千代子女史」とあり、受賞者の一覧表には「千代」。インタビュー部分は「千代子氏」、写真には「千代子」となっている。
つまり、「子女史」「子氏」「子」は、敬称として使われている。
このように、「子」のつかない名前の女性に「子」を付けて呼ぶことが、少なからずあったのである。「子」は女性へ愛称・敬称といってもよい。
とこの本には書かれている。

他の例としては、「子」のつかない女性へ手紙を書く時には、宛名には「〇〇子」とことさらに「子」つけて書くのが礼儀だったそうだ。

ラフカディオ・ハーンはこう言った

あのラフカディオ・ハーン、小泉八雲が日本女性の名前について書いている。

****************************

日本女性の多くは、「まつ」とか「うめ」というように二音で呼ばれる。最近では、上流階級でさえ、それが流行である。(中略) 女性の名前には習慣的に敬称として「お」が前に、「さん」が後ろにつけられる。たとえば「お松さん/お梅さん」というように。ただし、名前が「きくえ(菊江)」のように三音の場合には、「お」をつけない。「きくえさん」と呼んで「おきくえさん」とは言わない。
 最近では、上流階級の婦人の呼び名には、昔とちがって「お」はつけない。その代わりに「子」がつけられる。つまり、農民の娘なら「お富さん」というところを、上流階級なら「富子」となるのである。そして、もし普通の女性が、自分自身の名前を「節子/貞子」などと書いたらみんなに笑われるだろう。というのも、「子」という接尾語はLadyに相当し、「節子/貞子」と名乗れば、自分で「節さま(the Lady Setsu)/貞さま(the Lady Sada)と言っていることになるからである。(後略)

(Japanese Female Names 1900年)

*****************************

1900年頃の外国人から見た日本人女性の名前についての受けとめ方がよくわかる。「子」という名前は、上流階級の名前であり、広く世間では使うのに抵抗がまだまだあったようだ。

「子」付けて良し

明治天皇の歌集を編集した、宮中につとめる歌人である大口鯛二(おおぐちたいじ)は、1899年『女学講義』と言う本に「婦人の名の下につくる子の字の説」という文章を載せている。
*******************************

自他共に、「子」の字を添えて苦しからず。されど、今日やんごとなき御辺りの女性の名には必ず「子」を添えさせるれば、尊称のごとく聞こゆるをもって、身分なき者が「何子」と名のるのは僭越のごとく思う人もあれど、決して然らず。男子の名に「彦/雄/麿」などいうと同じ意味で添えたるものなれば、上下貴賎を通じて何人が自己の名とし、またわが子の名に命ずとも、すこしも憚るところなしと知るべし。

********************************

つまり、自分の名前にも、子どもの名前にも「子」をつけて名乗って良いといっているのである。

そして現代のように「子」と付く名前が一般化してくると、「子」という言葉にあった「尊称」「敬称」「愛称」という意味合いは薄れていく。
そして現在はだれもそんなことを考えなくなっている。

女性の名前は多様化しているのである。

さて女性の名前の研究は、どんな意味があるのだろう。
著者の井藤さんもずっとそのことが気になっていたそうだ。
後押ししてくれたのが、監修された板倉聖宣さん。
「明治維新からの日本の近代は、明るかったのか、暗かったか、いろいろな議論がある。<人民が抑圧されていた暗い時代>だったのか、<新しい時代に人々が胸膨らませていた時代>だったのか。そういうことがこの研究で浮かび上がってくる。今までの近代史は、政治史とか経済史とか一部の人だけの歴史だった。この研究結果は、まさに日本人全員の近代史だ」

自分や子どもの名前にかける思いが、グラフにあらわれていると井藤さんはいいたいのだろう。

IMG_20160508_0002

巻末に付けられている37ベージにも及ぶ年表がおもしろい。
内容を紹介したいが、自分で読む人のために遠慮しておこう。

この本の面白いところは、資料の大切さを伝えているところである。

一次資料、二次資料、同時代資料ということも知ったし、その違いも説明されていてたいへん勉強になった。

これから研究活動をしようと考えている人や大学生にとっては一読の価値があると思う。

たとえば、

井藤さんはこの冊子を作る元になった研究会に、こんな資料を出された。

若松賤子(「小公子」の訳者)
与謝野晶子(歌人)
松井須磨子(俳優)
野上弥生子(小説家)
宮本百合子(小説家)

これら名前に「子」のつく人たちの活躍が、広く世間に自分や自分の子どもに「子」のつく名前をつけることを促進する働きをしたのではないか、と言う理由をつけて。

板倉さんは「これは全部ウソです」と言って、みんなびっくりした。

とこの本に書かれている。
このあとに一次資料の大切さの話があるのだが、これ以上書くと、これから読む人の興味が削がれると思うのでここまで。
資料から学ぶとはどういうことか、そんなことを私でも、少し知ることができる内容だった。また名前にはその時代背景と願いが込められているということが、データーとしてわかる本だったと思う。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です