妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

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写真は南海電車の難波駅のプラットホーム。
横長の掲示板いっぱいに4月文楽公演のポスターが貼ってある。

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久々に国立文楽劇場に来た。桜の花もまだ咲いていた。

「妹背」という言葉は高校の古文で習った。「仲睦まじき夫婦」と言う意味で覚えている。学生の時、同じ学年に「妹尾」さんという人がいた。何と呼んでいいのかわからなかったから聞くと、「せお」と教えてくれた。「妹」がどうして「せ」なの?と聞くと、「妹背(いもせ)という言葉からだよ」と教えてくれた。
古い言葉に由来する名前なのだ、とそれ以来「妹背」「妹尾」という言葉がインプットされている。そんなわけもあり「妹背山婦女庭訓」は以前から関心があった。
歌舞伎でも取り上げられることがある。今回は通し狂言なので、午前の部、午後の部を1日で鑑賞することにした。

「通し狂言」といっても、長い出しものなので、今回は「初段」「二段目」「三段目」「四段目」から構成したもの。第一部は初段と三段目を中心に久我之助と雛鳥の物語で構成し、第二部は蘇我入鹿打倒に動く人々を描いた二段目、四段目を取り上げてある。ただ最後の決戦の場はない。

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プログラムによって第一部を紹介すると、
「久我之助と雛鳥の悲恋を中心に構成されている。蘇我蝦夷子(そがのえみし)と藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の対立が主軸と見せかけて、実は蘇我入鹿(そがのいるか)の権力を手にいれようとする遠大な策謀があきらかになってくる。そして、権力を手にした蘇我入鹿の命により、わが子を差し出さねばならなくなった久我之助の父・大判事と、雛鳥の母・定高はそれぞれに苦悩し、妹山脊山の段の悲劇へとつながっていきます」

舞台は蘇我入鹿や藤原鎌足が出てきて、大化の改新の頃だが、これは文楽や歌舞伎によくある、時代の置き換え。過去の出来事のようにして、現代の世相を描いていく手法。
初段の「小松原の段」で、久我之助と雛鳥が初めて出会う場面。雛鳥のおつきの腰元が久我之助に「お前様の持ってござる遠眼鏡のような物、暫しが間お貸しなされてくださりませ」と問いかける。
遠眼鏡は望遠鏡のこと。大化の改新の時代にあったはずがない。江戸時代の出し物だからこんなセリフがでるのだと、一人微笑む。

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第二部は、
「蘇我入鹿政権に立ち向かう藤原鎌足、淡海親子を軸にして物語が展開。
蘇我入鹿の超人的な力は、蘇我入鹿の母が身ごもるに際し、白い牡鹿の生き血を与えられたために備わった。
天智天皇を逐って権力の座についた蘇我入鹿には、「爪黒の鹿の生き血」と「凝着の相(強い嫉妬に狂う有様)のある女の生き血」を混ぜて笛に注ぎかけてその笛を吹けば、その内なる鹿の性質に響いて正体をなくするという弱点がある。
藤原鎌足はその秘密を知っていた。
二種類の生き血を求める藤原鎌足とその臣下たち。そしてそれに巻き込まれていく人々ー久我之助・雛鳥・橘姫・お三輪ーの物語」

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うーん、こんなに簡単に人が死んでいっていいものか。
久我之助は父の大判事の介錯で切腹、雛鳥は母定高の手によって首を切られる。
芝六は実子の杉松を殺める、そしてお三輪は鱶七の刃によって命をおとす。
どれもこれも蘇我入鹿を倒し、天智天皇の御代をとりもどすため。
西暦2016年の日本では、なかなか理解し難い世界がそこにある。

この作品は明和8年(1771)に大坂竹本座で初演されたもので、近松半二が中心になって作られたものと言われている。明和という時代は10代将軍家治のころ。田沼意次が老中になった頃である。
江戸中期、世の中の矛盾も数多くあった頃だと思う。
義理人情で縛られる時代への無念さや、為政者の理不尽な政策に対する恨みやつらみもあったのではないだろうか。子どもの命、妻や夫の命が武士の時代故に道具として粗末に扱われることもあったのではないだろうか。
さてさて、そんな素人の文楽解説はさておいて、通し狂言で見る「妹背山婦女庭訓」のエネルギーはすさまじい。

文楽を構成する「太夫」「三味線」「人形遣い」、そのどれもが見事としかいいようのない内容だった。熱演、迫力、全身全霊を打ち込んで、どんな言葉を持ってしてもその感動は伝えられない。あの文楽劇場の空間にいるもののみが共有するエネルギーがあった。

IMG_20160414_0004舞台に大きな工夫があった。上はポスターからとった「山の段」の場面。右に久我之助、左に雛鳥。真ん中に吉野川が流れている。この川の流れは客席まで続いているイメージになっている。斬新な舞台配置に加えて、太夫、三味線の位置も左右にあるという珍しい物になっている。下の写真をみるとよくわかる。

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歌舞伎で言う、花道が二つと同じだと思う。
久我之助側の太夫・三味線と雛鳥側の太夫・三味線がかけあいながら、劇を盛り上げていく。普通は一人の太夫と三味線がするところを、二人の太夫と三味線が息を合わせて舞台進行を進めていく技がすばらしい。文字通りの相乗効果だ。
この作品が作られた時代は、歌舞伎と人形浄瑠璃が二つ人気だが、歌舞伎の方に人が集まるようになってきた時期という。人形浄瑠璃の人気復活に作家の近松半二たちは力をそそいだという。そのなかでできたのがこの「妹背山婦女庭訓」だそうだ。
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公演の最後に、おもわず 「ああ、お三輪がかわいそう」 と声が出る。
橘姫の気品のある動きと、下町の娘の一途さが舞台いっぱいにあふれているお三輪、二人の娘の動きが真に迫ってくる。人が動かしている人形に見えてこない、悲しげな顔の表情が観客の胸を打つ。

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第一部が午前11時から午後3時30分まで。

第二部が午後4時から午後9時4分まで。

一部、二部を通しで見る人も多かった。
さすが1日約10時間の文楽鑑賞はつかれた。
でもそれは現実世界から飛躍した別世界を体験したという心地良い疲れである。

それにしてもこんな波乱万丈な作品を作り上げた作者たちに賞賛の声を上げるとともに、人形たちに命を吹き込む人形遣い、太夫、三味線の技能員さんたちへの感動と感謝はことばではいいつくせない。
その長きにわたっての修練の賜物が、見ている私たちの心を動かす。

文楽人形こそが、大阪の町をほんとうの意味で活性化かさせる宝だと私は思う。

*参考にした本。「妹背山婦女庭訓」(ポプラ社 橋本治・文、岡田嘉夫・絵)
 「妹背山婦女庭訓ーまんがでわかるぶんらく(其の四)ー」(国立文楽劇場)

 

 

 

 

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