ポルトガル6日目 グルベンキアン美術館
リスボンは今日は雨だった。
ガイドさんに聞くと、タクシーのほうが便利だろうということなので、タクシーを探す。
私たちの行く方向が、市内方面と反対なので車の流れが少ない方になる。ぶらぶら歩いてタクシーを探しながら、結局は写真に写っている大きなビル、ホテルの入口付近でタクシーが止まっているのを見つけた。
目的地は、「グルベンキアン美術館」。グルベンキアンとうまく発音できないので、事前に書いておいた紙を運転手さんに見せる。
タクシーの運転手さんが案内してくれたのは、この建物。前の庭には雨なのに、置物のような鳥がいる。そのまま入っても、何かレセプション会場のような雰囲気で、美術館の入口という感じではない。一旦外に出て周りを見ると、妻がこっちと指差す。
タクシーから降りたところから、向かって左にあった建物が美術館だった。
受付前のロビーにはみごとな彫刻があった。私がわかったのは、ロダンの「カレーの市民」。手に触れるぐらいのところに置いてある。
高校生らしい子どもたちが、入口付近にいる。先生たちが受付で何か手続きをしている。社会見学なのだろう。歴史的建造物や美術館の見学など、行くたびに小学生や中学生、高校生のグループに合う。学校教育も実物にふれ、歴史的に自分たちの国を見ていくことがだいじにされているのだろう。ここはクロークがあり、コートや傘を預かってくれた。
最初に目に入ったのは、見事なエジプトのレリーフ。
12月に見た「クレオパトラとエジプトの王妃展」での「ティイのレリーフ』を思い出す。グルベキアン美術展には私のわかる説明がなかったので、このレリーフがどんな歴史的背景がわからなかったのが残念だった。(ティイのことを書いた私のブログは、このブログの一番トップにある「検索」の欄に「クレオパトラ」と書いて検索するとそこにつながるはず。)
日本の伝統工芸品もあった。
煙草盆などの螺鈿細工や印籠も。解説には「Inros 」と書いてあった。
ターナーの「輸送船の難破」(The Wreck of a Transport Ship by TURNER )
ターナーの「難破船」といえば右の絵が有名(写真はネットより引用)。1805年の作品として知られている。
私たちが見た上の絵は1810年の作品と紹介されていた。
難破船といえばルーブル美術館で見たジェリコーの「メデューズ号の筏」が有名だが、難破船というテーマは当時の画家にとっては魅力があったのかもしれない。
マネの「シャボン玉を吹く少年」(Boy Blowing Bubbles by MANET )
ルノアールの「クロード・モネ夫人の肖像」
(Portrait of Madame Claude Monet by RENOIR )
美術の教科書や画集では見たことがあったような作品の本物がここにはあった。
ここグルベンキアン美術館のグルベンキアンとは人の名前。
「地球の歩き方」にはこんな説明があった。
「グルベンキアンはイスタンブール生まれのアルメニア人で、石油王として財を成し、晩年はリスボンで暮らした。死後その膨大な美術品のコレクションはグルベンキアン財団としてポルトガルに寄付された。
美術館、オーケストラ、バレエ団などを所有するほか、さまざまな文化事業に貢献する。
グルベンキアン財団の敷地に1969年にこの美術館が建てられた。
西洋から東洋までの幅広い美術品を所有していることで有名。」
このガイドを読んで、フリーの時間には是非行きたいところと出発前から考えていた。
日本ではめったに見ることのできない物があるに違いないと思っていたが、そのとおりだった。
常設展以外に二つの特別展が開かれていた。 それぞれ別料金だったので、私たちはそのうちの馬の絵の展示されていた方だけを見た。
馬の絵だけではなく肖像画なども多く展示されていて、こちらでは学芸員らしい人が、年配の人達のグループに解説しながら絵を見ていた。
参観者のノートみたいなものがあったので、日本語で日付と名前を書いた。ページを繰ってみると漢字らしき文字はなかった。
常設展も特別展も静かで、美術品を楽しむという雰囲気が漂っていた。
地下には展示場の他に、アートショップや喫茶室があった。お昼に近づいていたので、地下の喫茶でコーヒーとパンとケーキを買って食べることにした。
中庭を見ると、まだ雨が降っている。小降りになっているが、止む気配はない。
さて、午後は地下鉄を使って市内見学をする予定。