大国主神社 大国まつり
地下鉄御堂筋線「大国町」駅の2番出口から上がるとすぐに見えてくるのが「大国主神社」。ふだんは「大国神社」といっているが、正式には「大国主神社」。
今宮戎神社に行く前に寄ることにした。残り福の日なので、流石に人は多くはない。
お参りの後、種銭をもらい財布に入れる。この種銭がもとになって、財布に沢山のお金がたまりますようにと。
大国神社でのおみくじは「中吉」。
まあ、これぐらは満足できるクジの結果。
下の写真は境内にある「木津勘助の像」
「大阪再発見」というホームページには、以下の様な紹介がのっていた。
木津勘助は本名は、中村勘助といい、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者。木津川を開削し、勘助島(勘助町:現浪速区大国町)の開発に当たった。豊臣秀吉や、松平忠明にたいへん重用されたといわれる。
1641年(寛永18年)の危機の際、幕府の米蔵を無断で開け放ち、その米を飢饉に苦しむ人々に施した。その罪で島流し(一説には死罪とも伝わる)になったという波乱万丈な人生を歩んだ。
1586年(天正14年)生まれ、1660年(万治3年)75歳で没と伝わるが、不明な点が多い。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage911.htm
この大国神社の近くに市電が走っていて、そこに「勘助町」という駅があった。
今の大国町の交差点の西寄りにその駅があったことを覚えている。
この地域にとっては、土地の開発や飢饉の時の活躍で、大変ゆかりのある人。
今宮戎神社 十日えびす
残り福の11日なのに、さすがは今宮戎。午前中なのに結構な人出。
福娘さんに縁起物をつけてもらう。笹はただでも縁起物で4500円也。
今年は娘も行ったので、3人でおみくじを引く。
でました! 恒例の「凶」のおみくじ!
高島屋に向かって歩く。
あの「芭蕉せんべい」のおじさんと「泉州堺包丁」のおじさんのお店はあるかな?
お店はありました、ありました。お二人は健在でした。芭蕉せんべいの屋台がもう一つ出ていたので芭蕉せんべいは人気になってきたのかな。
歩いていると、いつものように元気な声が妻にかかる。
「ちょっと、ちょっと。会いたかったで。昨日けえへんかったから心配してたで。夜も寝られへんかった。」と。
娘には「きれいなあ。宝塚の男役かなと思たで」とうれしがらせる。
一枚300円の芭蕉せんべいを目の前で焼いてくれる。なんと娘にはサービス。
これが大道芸のイキなところ。映画の寅さんの口上の大阪版を聞いているようだ。
生田神社にあるえべっさん
ここは神戸三ノ宮にある
「生田神社」。
神戸市立博物館に行った時に、お参りによった神社。
なんとここにも「えべっさん」があることがわかって、驚いた。
それは「蛭子神社」。
昨年のブログに京都の八坂神社にある「蛭子神社」のことを書いた。
京都の八坂神社が今宮戎神社にとって、特別に縁のある神社であることはそこで紹介した。
ここ生田神社の「えべっさん」も「蛭子」と書いて「えびす」と読ませている。
「えびす」という意味は古くからある日本の信仰に関係があることもこのブログで紹介した。
もう少し調べてみると、「兵庫・柳原の蛭子神社」のホームページに具体的に書いたものが見つかった。「蛭子大神」と「事代主神(ことしろぬしのかみ)」のことがわかりやすく説明されている。
http://www.hyogo-ebisu.com/syokai/syokai.html
生田神社の「蛭子神社」には、左のような立て札があり、
伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の国生み伝説を紹介している。
京都八坂神社の「北蛭子神社」は「事代主神」を紹介していた。同じ「蛭子神社」なのに、由来の紹介が違っているのが私には興味深かった。
八百万の神々だから、そこはおおらかに考えたほうがいいかもしれない。
最近の写真はクリアに写っていますね。ホールディング(カメラの構え方)がしっかりされているようで、ブレが少ないです。
前回の天体写真には驚きました。バルブ撮影で何枚もの写真を合成されているのを拝見して、そのチャレンジャーぶりにびっくりです。当方ハルブ撮影や、多重露光撮影も未経験です。よい刺激を受けました。
風見鶏さんへ
おほめの言葉、ありがとうございます。
カメラの持ち方も大事ですね。
そうかもしれません。一眼レフが手に馴染んできたかも。
もうひとつあります。それはiPhoneを買い換えました。iPhone6+にしたのですよ。
レンズも良くなったのかもしれません。
写真の合成はソフトまかせですが、人間の目とカメラのレンズでは見え方が違うのがよくわかりました。人間の目は脳が活躍して、ハッキリと見させているのですね。
星も月も動いているので、動いているものをカメラにおさめるのは、まだまだ難しいです。またよろしくお願いします。