スペイン「カルメン」紀行16

カテドラル(セビーリア大聖堂)

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スペインへ持っていった「るるぶ」には次のような説明がある。

「イスラム時代に建てられたモスクを基礎にして、15世紀初頭から約1世紀もの歳月をかけて建造された大聖堂。完成までに、ファン・ノルマンやペドロ・デ・トレドなど多くの建築家が携わった。奥行き116m、幅76mのゴシック様式とルネサンス様式が混合する建物は、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのレント・ポール寺院に次ぐ規模。聖杯の礼拝堂や主聖具納室などに展示された、スペインを代表する画家たちの宗教画は必見だ」。

そう、ここもモスクがあったところにキリスト教の大聖堂を立てたもの。あちこちにイスラムの雰囲気がただよっている。しかし内部はゴシック様式とルネサンス様式が混在している。100年ほどの時間をかけて建設されているので、その時々の様式が混ざるのはしかたがないことだろう。

内部は豪華絢爛。

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たくさんの宗教画もすばらしかったが、印象深かったのが、世界一美しいと言われているマリア様の像。カテドラル内部の写真はどれもピントがボケてしまっていたのはどうして?

私がここで見たかったのは、これ。

IMG_5390四人の王に担がれている「コロンブスの棺」。

四人の王というのは、当時のスペインにあった4つの王国、カスティーリャ王国・レオン王国・ナバラ王国・アルゴン王国のことで、スペインの発展にコロンブスの果たした役割に敬意を表していると意味らしい。
ここでも「るるぶ」の説明を引用してみると、

各地を流転したコロンブスの遺骸は、米西戦争が終結した1898年にキューバの首都ハバナから運ばれてきた。新大陸を発見後、コロンブスはセビ−リアに滞在していたという。

なんとなくわかるが、少し物足りない説明。
日本に帰ってから調べてみると、コロンブスは最後まで自分が行ったところはアジア(インド)だと思っていたらしいということは知られているがその後・・・・・・

・コロンブスは1506年にスペインのパリャドリッドで亡くなり、そこで葬られている。そしてそしてその遺骨はセビリーアの修道院に収められる。
・その後、コロンブスは遺言で自分の「発見」したサント・ドミンゴに埋葬してほしいと言い残していたので、サント・ドミンゴ(ドミニカ共和国の首都)大聖堂に移される。
・フランスとスペインの間に戦争が起こり(1635年〜1659年)フランスの勝利により、サント・ドミンゴ大聖堂が立つ場所がフランス領になる。コロンブスの遺骨はスペイン領であったキューバの大聖堂に移される。
・1898年のスペイン・アメリカ戦争がおき、スペインが敗北。アメリカがキューバの管理権を得たことにより、コロンブスの遺骨はスペインに移された。
・ところがドミニカ共和国は「キューバに渡った遺骨はコロンブスの息子のもの。本人の遺骨はずっとサント・ドミンゴにある」と主張し、1992年にドミニカ共和国は「コロンブス記念灯台」を建設し、その遺骨を移したとしている。

こうしてコロンブスの遺骨はスペインとサント・ドミンゴの二カ所にあることになった。
その後、2003年にDNA鑑定がおこなわれ、「セビリーア大聖堂にコロンブスのDNAと思われる骨があった」と言われているというのがガイドさんの話。なんでもこの棺には何人分もの骨があったようで、しかもコロンブスの長男の遺骨のDNAとくらべての調査なので私もなんとなく?という気持ちになった。
コロンブスの墓1

インターネットでドミニカ共和国のコロンブスの墓を調べてみた。

1492年から500年後の1992年に建設されたといもので、
全長200mというからなかなか立派なものだ。
ある意味ではセビリーア大聖堂に負けていない。

 

http://www.ab-road.net/south_america/dominican/santo_domingo/guide/00194.html

真偽の程はわからないが、どちらの国にとってもコロンブスは大事なものになっていることはよくわかる。

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こちはらコロンブスの息子の墓。

大聖堂の床に埋葬されている。彼は古文書を多くこの教会に寄付したそうだ。親子そろって墓があるのも興味深い。
さて続いてヒラルダの塔に登る。ヒラルダというのは風見鶏のこと。

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この塔は高さ約94mの鐘楼。 イスラム時代はミナレットだった。ミナレットというのは、イスラム教のモスクに付属した礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔のこと。そのミナレットは16世紀にルネサンス様式に改築され、今ではイスラム様式の特徴を持つ街のシンボルになっている。もともとは70数mの高さであったが、その上にバルコニーと鐘楼をのせたそうだ。

一番上に女性の姿をした風見鶏がのっている。
下に写真を拡大しておく。

それにしても巨大な工事だったろうと想像される。

_MG_8171風見鶏

右の写真は形がよく分かるようにと、インターネットで探したもの。

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_MG_8213塔のバルコニーからの眺めは抜群だった。 このバルコニーままでは階段ではなくて、スロープになっている。

イスラムの時代、一日に数回あるのアザーンのたびに、この高いミナレットを階段で上がるのはたいへんなために、スロープになったとガイドさんの説明。今だったらエレベータやエスカレータにしていたのかもしれない。

このあと飛行機に乗ってパルセロナに向かう。 バルセロナといえば1992年の夏のオリンピック。でも今回の旅の目的はガウディ。

この日の夕食はホテル到着が20時ごろになっていたので各自でとることになっていた。でました、用意していたカップラーメン。異国で食べる日本のカップラーメンの美味しいこと。

 

 

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