スペイン「カルメン」紀行11

フラメンコショー

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ここはフラメンコショーの舞台のある会場。わりと歴史の有りそうな会場だった。外国人へのショーがメインなのかもしれない。
この日の観客は、私達日本人と、中国人らしい団体、そしてヨーロッパからの団体だったからたぶんそうなのだろう。
ワンドリンク付き。
予約してあったので私たちは最前線の席でフラメンコを見ることができた。

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_MG_8072公演時間は1時間半。初めて見る本場のフラメンコは時間の忘れるほどの迫力だった。
素晴らしく早いカスタネットの指さばき、リズムを刻むステップの激しさ。その様子の一部をデジカメで取ったものをyoutubeにアップしておいた。
メインの舞台は撮影禁止だった。フィナーレのみ撮影が許されたので、ほとんどの観客がカメラをまわしていたと思う。

https://youtu.be/awDPMB2gTo0

さて、フラメンコの日本での人気は世界一らしい。
日本のフラメンコ人口はスペインのフラメンコ人口を上回るとガイドさんが言っていた。そのフラメンコの歴史はいつ頃にさかのぼるのだろう。
インターネットで調べてみると、18世紀末ごろに現在のフラメンコの原型が出来上がったらしい。
メリメは「カルメン」を完成させるまでに2回スペインの地を踏んでいるという。メリメ作「カルメン」は1845年の作品だから、現代のフラメンコとは違っているかもしれないが、フラメンコの元になる踊りを見ているに違いない。原作にも「カルメン」は踊りが上手だったらしいことが書かれている。
フラメンコについて調べていくと、奥が深い。
例えば、ウィキペディアには次のように書いてある。

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フラメンコ(Flamenco)は、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。
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「ヒターノ」「スペインジプシー」とよばれている人たちの歴史はどのようなものなのだろう。このことは日をあらためて、書いてみたい。

映画カルメン

 カルメンといえば左の写真のように真赤なバラをくわえた姿を思い起こすのがほとんどの人だと思う。(左の写真は2004年の映画「カルメン」のポスターより)

オペラや宝歌劇団でも上演される「カルメン」は、バラをドン・ホセに投げつけ、ドン・ホセはこっそりそのバラの花を胸に仕舞いこむ。

フラメンコショーの最後の方の出し物で、「カルメン」をフラメンコで演じていた。激しい踊りの中でカルメンが持っていたのは赤いバラ。

それではメリメ原作の「カルメン」でそのように描かれているのだろうか。

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杉捷夫訳の岩波文庫を見てみると、

「ーねぇ、大好きな兄さん、ショールにするんだから黒いレースを7オーヌほと編んでくださいな。ねぇ、私の大好きな編物屋さん!ーそれから口にくわえていたアカシアの花を手に移したと思うと、おやゆびではじいて、ちょうど私のみけんに投げつけたのです。鉄砲のたまがあたったようなぐあいでした。・・・・穴があればはいりたい気持ちとはこのことでしょうか。私は板のように堅くなって、じっと立っておりました。女が工場の中にはいってしまうと、アカシアの花が両足の間の地面に落ちているのに、気がつきました。魔がさしたとでもいうのでしょうか。仲間のものが気づかないうちに、それを拾い上げ、たいせつに上衣の中へしまいこんだのです。・・・」

メリメ作「カルメン」にはバラの花は出てこない。登場する花は、ジャスミンとアカシア。ではカルメンといえば赤いバラ、というイメージはどうしてできたのか?
それはオペラ「カルメン」の演出上で真赤なバラが登場してきたのではないかと想像される。

さて、カルメンにはメリメ作のものと、ビゼーが作曲した「カルメン」の二つがある。この二つについて松本侑子さんから詳しい解説があったので、それに触れながらこれからのブログに書いていこう。

フラメンコショーが終わった後は、タクシーに乗ってレストランへ。

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なんともステキなレストラン。
メインはイベリコ豚の肉料理だった。
さて明日は「カルメン」に登場する闘牛場などのセビーリアの市内見物。

 

 

 

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