スペイン「カルメン」紀行10

美しい花の小径

_MG_8020

メスキータを一歩出ると、世界中の人が来ているかのよう。
写真の右の壁がメスキータの外壁。

_MG_8040

_MG_8045

_MG_8051

人が一人通れるぐらいしかない細い道が迷路のように続く町並み。
ここは「旧ユダヤ人街」。ガイドブックには「10〜15世紀にかけてユダヤ人が居住していた。アンダルシアらしい白壁の家々が連なり、迷路のような石畳の小径が入り組んでいる」。
私達の通っているのは「花の小径」といわれているところ。「人が一人通れるほどの小径。鉢植えの花が咲き乱れる時が特に美しい。細い路地の両脇に白壁の建物が並び、花が咲く様子は、往時のユダヤ人街の町並みとして知られている」とガイドブックにあった。レコンキスタ終了後に、ユダヤ人追放令が出て、ユダヤ人のほとんどは他地域に移動したと言われている。
_MG_8031
IMG_5317

IMG_5316

パティオ(中庭)が公開されていて、美しい庭を見ることもできた。

パティオからお店を抜けて次の小径へ。 抜けたお店がここ。 _MG_8038

_MG_8035

そう、革細工のお店だった。
「古代のオリエントは皮革製造が発展して おり、革に彩色や空押おし、浮彫りが施され ていた。4~8世紀のエジプトにおいて も、特にコプト革(キリスト教徒のなかの コプト人が製造)は装飾革であり、袋物や 装丁に使用された。その技術が8世紀に ムーア人によってスペインにもたらされ、 その後ヨーロッパ中にもたらされた。スペ インのコルドバで製造されたコルドバ革は 世界にその名を広め、上質革のみならず上 質革製造者の代名詞にもなった。この革を 扱う靴屋をフランスではコルドンニェ、イ ギリスではコードヴァイナーと呼んでい た。ハンガリーでも特色のある革が製造さ れた。
(中世ヨーロッパの皮革4.製品革 元北海道大学農学研究科 竹之内一昭さんのホームページより)」

メリメの書いた「カルメン」の中の一節、「古来、皮革製品の産地としての名声を今日まで保っているなめし革工場から発散する異臭を嗅がされはするが、かわりにそこで、はなはだうれしい見世物が楽しめるのだった(堀口大学訳)」は、このことに由来するのだろう。メリメが「カルメン」を発表したのは1845年、19世紀中頃だ。

_MG_7870 _MG_8041

小径の中にある泉では、青年が「アルハンブラ宮殿の思い出」(1896年フランシスコ・タレガ作曲)をギター演奏していた。日本人が来ると演奏してくれるとガイドさんが言う。多くの日本人観光客がこの青年の食費代にとカンパしていた。
スペインの郵便ポストは黄色。びっくり、ポストは赤いというのは世界の常識ではなかった。メスキータの周りにはパトカーも常駐しているようだった。

_MG_8052

_MG_7867

メスキータの入り口のすぐそばにタクシー乗り場があった。そこに止まっているのはなんとトヨタのプリウス。最近スペインの観光地にはプリウスがたくさん導入されているそうだ。あまりにも静かな発進と走行なので、車が直ぐ側を走っても気が付かずに、かえってびっくりして事故の原因にならないかと、マスコミでも話題になっているという。そういえばカナダのシアトルでもタクシーのほとんどがプリウスだった。日本のハイブリッド車はこんなところで活躍している。(プリウスの後ろに見えているのが黄色い郵便ポスト)

_MG_8059

さて時間もお昼時。お昼時と言ってもスペインのお昼時のこと。時計は午後2時頃。スペインの昼食、そして夕食も日本よりもずっと遅い。
旧市街地にあるレストランでスペイン料理をいただく。
食事の後はバスでカルメンの舞台、セビーリアへ140km、約2時間半の旅。
そこではこの日のもう一つのメイン、フラメンコショーが待っている。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です