スペイン「カルメン」紀行5

アルハンブラ宮殿3

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アルハンブラ宮殿からグラナダの街を見ていると、万里の長城のような巨大な壁が見えた。少し拡大してみよう。
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ヴァレンシアの包囲戦

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私がこの写真を撮っていると、松本侑子さんが近寄ってきて、見えている城壁がイスラム軍とキリスト教軍が戦った時の城壁だと説明された。
そのとき、「赤毛のアンにこの場所ではないけれど、イスラム教軍とキリスト教軍の戦いを題材にとった詩が引用されている」とお話があった。後でツアー全体にその詳しい内容が紹介された。
その「赤毛のアン」の場面というのは、「赤毛のアン」第18章の「アン救援に行く」である。

■”I was awfully near giving up in despair,” explained Anne. “She got worse and worse until she was sicker than ever the Hammond twins were, even the last pair. I actually thought she was going to choke to death. I gave her every drop of ipecac in that bottle, and when the last dose went down I said to myself – not to Diana or Young Mary Joe, because I didn’t want to worry them any more than they were worried, but I had to say it to myself just to relieve my feelings – “This is the last lingering hope and I fear ‘tis a vain one.” But in about three minutes she coughed up the phlegm and began to get better right away……..■ 

松本侑子さんの翻訳した「赤毛のアン」によると、

「もうだめだと思って、諦めかけていたんです」アンは医者に説明した。「どんどん悪くなるばかりで、しまいにはハモンドさんところの双子の、その中でもいちばんひどかった三組の双子より、もっと悪くなったんです。ミニー・メイの息がつまって、死んでしまうんじゃないかと思いました。イビカックは、瓶にあるだけ一滴残らず飲ませたんですけど、最後の一滴を飲ませる時には、気を楽にするために、さすがに自分に言い聞かせずにはいられなかったんです。『だめかも知れないけど、これが残された最後の望みだ』って、ダイアナやメアリ・ジョーに言わなかったのは、これ以上、二人を心配させたくなかったんです。でも、三分もすると、咳をして、痰を吐き出して、みるみる良くなったんです……… 

「赤毛のアン」の巻末の注には、

・・・イギリスの女性詩人フェリシア・ドロシア・ヘマンズ(1793〜1835)の時『ヴァレンシアの包囲』第二幕の「そして私に残された最後の望み/それは汝(なんじ)が父を説得して息子の命を救わせること」より。こう語るのはエミリアという母親。彼女の二人の息子はヴァレンシアの町を守るために戦っていて、生還を教会で祈りながらこの一節を語る。アンがミニー・メイの命を失うのではないかと恐れながら、最後の望みは薬の一滴だ、とつぶやいたのは、このエミリアが子どもを失なうのではないかと恐れながら祈った言葉にちなんでいる。・・・・

ヴァレンシアは、マラガとバルセロナの中間ぐらいにある、スペイン3番めに大きな町。上の写真のような城壁があったのだろう。

松本侑子さんの「赤毛のアン電子図書館」に、「ヴァレンシアの包囲戦」のオリジナルが収録されている。

http://homepage3.nifty.com/office-matsumoto/mel07.htm

原詩は4000行近い長い詩。この部分だけを抜き出すと(1036行〜1053行)、

Elmina.
Look not upon me thus! – I have no power
To tell thee. Take thy keen disdainful eye
Off from my soul! – What! am I sunk to this?
I, whose blood sprang from heroes! – How my sons
Will scorn the mother that would bring disgrace
On their majestic line! – My sons! my sons!
– Now is all else forgotten! – I had once
A babe that in the early spring-time lay
Sickening upon my bosom, till at last,
When earth’s young flowers were opening to the sun,
Death sunk on his meek eyelid, and I deem’d
All sorrow light to mine! – But now the fate
Of all my children seems to brood above me
In the dark thunder-clouds! – Oh! I have power
And voice unfaltering now to speak my prayer,
And my last lingering hope that thou shouldst win
The father to relent, to save his sons!

そこにある松本侑子さんの解説を引用すると、

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ドロシア・フェリシア・ヘマンズ作  この物語詩の第2幕めにある一節が、『赤毛のアン』第18章「アン救援に行く」に引用されている。
 この詩は、アメリカの女性詩人ヘマンズが、中世スペインのレコンキスタ運動の闘いに題材をとって描いた物語詩。  広く知られている通り、スペインは、8世紀ごろから15世紀ごろまで、イスラム教徒(ムーア人、モーロ人)が支配していました(ちなみに、稲作、灌漑技術、建築技術、天文学、数学など、イスラム教徒がこの時代に、イベリア半島にもたらした文化には、目を見はるものがあります)。
 キリスト教徒たちは、スペインをキリスト教徒たちの手に奪い返そうと、国土回復運動(レコンキスタ)の闘いをつづけます。
 この詩は、イスラム教徒たちが支配しているバレンシアを、キリスト教徒たちが包囲して、戦闘をする悲劇的な物語詩で、バレンシア地方の長官ゴンザレス一家が、街を包囲して奪い返す戦いに加わって栄誉の戦死を遂げるまでが描かれています。
 長官の二人の息子は、戦闘に出ています。その生還を願って、息子の母親であり長官の妻であるエルミーナが、第2幕で、教会の僧侶に向かって言います。 「私に残された最後の望み、それは汝が父親を説得して、息子の命を助けさせること」。
 この一節が、『赤毛のアン』第18章に引用されています。
 この章では、アンの親友ダイアナの妹ミニー・メイが重病にかかる。しかし大人たちも医者も、カナダ首相(19世紀末に実在したカナダ保守党党首のマクドナルド首相がモデルとなっている)の演説を聞きに街へ出かけていて不在。アンが看病に当たります。  薬の最後の一滴をミニー・メイに飲ませるとき、アンは、「これが私に残された最後の望み」と自分に言い聞かせます。
 包囲戦で息子の生還を願う母親の言葉は、アンが幼い女の子の死からの回復を願う言葉として、引用されている。
 その結果、ミニー・メイは危篤の危機を脱し、一命をとりとめる。
 しかし、物語詩のゴンザレス一家は、二人の息子が死に、夫も名誉の戦死のために出陣して死に、そしてただ一人残った娘までもが、その恋人の青年の死によって世を去っていく。ただ母親のエルミーナだけが生き残る。
 この詩の背景には、国を守るための戦死、自己犠牲によるヒロイズムがある。  『赤毛のアン』には、戦争や戦いによって死んでいく若者を描いた詩がいくつも引用されているが、物語の背景となっている19世紀末には、こうした戦争詩の大流行があったようだ。  これは個人的な感慨だが、こうした名誉の戦死を讃える詩の大流行が、これから続く20世紀初頭の植民地戦争や第一次大戦の好戦的な文化を支えたのではないかと思う。
 なお、この詩「ヴァレンシアの包囲戦」の作者ヘマンズの詩は、日本でも、古くは広く愛誦された。彼女は、欧州各国の戦争を舞台に、勇気ある軍人の壮烈な爆死などを描いていて、こうした死による国防のヒロイズムが、日本でも愛読されたことは、軍国主義へと傾倒する時代を思わせて、興味深い。
 なお、この作者であるヘマンズの作品は、『赤毛のアン』全体で、三か所で引用されている。  一つめは、この詩「ヴァレンシアの包囲戦」から。  二つめは、詩「戦場の女」から、「健闘する喜び」という一節が、アンの猛勉強の場面で。  三つめは、詩「ジェノヴァの夜の一場面」から、「過去は忘却のマントで覆い隠そう」という一節が、同じく第18章、ダイアナの母親と仲直りする場面で、引用されている。

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上の写真はすべてグラナダの街に残っている城壁。
ヴァレンシアにも同じような城壁があり、このような城壁を挟んでイスラム教軍とキリスト教軍が戦ったのだろう。
レコンキスタという言い方はキリスト教側からの言い方だと思う。
松本侑子さんは解説の中で、文学と平和について、イスラム文化の果たした役割をきちっと書かれているのはさすがだ。イスラム文化の発展がなければ、ヨーロッパのルネサンスはなかったと言ってもいいと私は思う。

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「赤毛のアン」に出てくるアンの言葉の背景にある城壁を実際に見ることができ、しかも松本侑子さんからの解説が聞けるなんて、この旅でしか体験できないことだろう。
このスペイン「カルメン」の旅は、「観光というよりも勉強重視の文学ツアーだな」と私は一人笑いながらつぶやいた。

 

 

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