春信一番!写楽二番!

阿倍野ハルカス美術館の浮世絵展

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阿倍野ハルカス美術館で開かれている「春信一番! 写楽二番! 錦絵誕生250年 フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」を見に行った。

ハルカス美術館の企画として、事前の学習会付きのチケットがあったのでそれを購入しておいた。講師は同志社大学の岸文和さん。

岸文和さんのお話によると、見学にあたって考えておいたらいいのは、
①技法をチェックすること
②書き入れの文字を読むこと
③絵の背後にある古典(物語、説話、和歌、俳句)などを知ること
④浮世絵の流れを知ること
だそうだ。

そもそも浮世絵の元となった錦絵は、1765年(明和2年)頃にさかのぼるという。
江戸の趣味人たちの間で、「大小」とよばれた絵暦交換会が流行したそうだ。
絵暦とは、大の月(一月が30日ある月)と小の月(29日の月)が、文字を知らなくてもわかるように作られた絵の暦なのだが、そこに判じ絵の趣向を加えたものである。

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上の絵は鈴木春信の「若侍の身支度」といわれる作品(写真は購入したカタログより)。これが絵暦なのだがどこが暦かというと、

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武士の着物の右襟に「大二三五六八十」、左に「メイワ二」と書かれており、裃に「大」の紋、袖には白抜きの「乙酉」の干支が入っていて、明和2年の大の月をあらわした絵暦であることがわかる、というわけだ。なるほどね~。 こんなふうにして、技術が飛躍的に向上していったらしい。錦絵という名称は、これまでの顔料や紙とちがい、まるで錦織物のような美しを誇ったからだという。 それまでは墨磨絵(すみずりえ)に筆彩色したものであって、丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)と呼ばれていたそうだ。
絵に書かれている文字を読めるようになると、さらに内容がよく分かる、ということで、下のような変体仮名のリストもいただいた。(下の写真はその一部)

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浮世絵で出てくる文字は限られているので、丸をしてある文字を覚えておけば大丈夫、と言われたが、私にとっては無理。

展示されていた作品で、百人一首の一句(陸奥の忍ぶもぢずり・・・・)が書かれている絵があった。なるほど、読めると絵と合わさってなんとなくわかったような気がするのが不思議。

絵と文字とで内容を表していた時代は、古典の教養のある人たちだけの文化だった。それが次第に広がり、絵だけでその内容がわかるような浮世絵へと変化していった。
それは「雅(みやび)から俗」への流れ、と岸文和さんは説明された。
芸術・文化の一般化、大衆化の流れだと私は思った。

そのあと浮世絵の制作過程などの説明を聞いて実際に展示場に入ると、うなづくことが多い。絵の内容を知ろうと、読みにくい変体仮名にチャレンジしてみたりなどと以前よりも積極的に見る気持ちになった。

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この名作展には、ポスターにあるように、大首で有名な写楽の役者絵の本物が何枚も展示されている。 葛飾北斎の超有名な「赤富士」の現物がある。説明では初刷に近いものらしい。

絵の構図、彫りの技術、刷りの確かさ、素晴らしい技術が直ぐ目の前の浮世絵に凝縮されている。
会場の外の記念品売り場では、江戸の技術を再現しようと試みている人たちのレプリカが展示販売されていた。

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ハルカス美術館での「フィラデルフィア美術館浮世絵名作展」には、 小学校、中学校、高等学校の社会や美術や図工で習った浮世絵の数々が展示されている。 本物にふれる機会がここにはある。
ハルカス美術館を出て、ステーションビルで買い物をしたとき、若い店員さんが「ハルカスの美術館へ行かれたのですか?」と私達が持っているカタログを見て声をかけてきた。 「北斎の赤富士のホンモノがありますよ。写楽の役者絵の実物がありますよ」と言うと、 「私も行って、見たくなりました」と笑って答えてくれた。 ホンモノの力はすごい。