英語で読む石川啄木

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左の本は、河出書房新社の「英語て読む啄木 自己の幻想」(著 ロジャー・パルバース)。
図書館の新刊本を検索していた時に見つけたもの。2015年4月20日初版と奥付にある。
和歌を英語で読む、どんなふうに英語に訳するのだろう? 単純な疑問からこの本を借りた。

あらためて考えてみると、石川啄木のことを全くと言っていいほど知らないことに気がついた。
啄木といえば、申し訳ないが学校で習ったいくつかの短歌が思い浮かぶ程度。
たとえば、

たわむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
じっと手を見る

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたわむる

何となく悲しみが背後に感じられるような句。そんな印象だった。
このような句を英訳するとどうなるのだろうと思いながら読んだ。

本を読んでみるとまず驚いたのは、
宮沢賢治(1896〜1933)と石川啄木(1886〜1912)は近くにいたのだ。
前書きに著者のロジャー・パルバースさんは書いている。

「日本の最も偉大な近代詩人の二人である石川啄木と宮沢賢治はおよそ五十キロしか離れていない場所で生まれました。その年齢差はわずか十歳で、同じ中学校に通いました。すべて偶然の一致かもしれません。二人とも若くして結核で死にました。啄木二十七歳、賢治三十七歳。・・・・」

へーっ、と驚くだけ。同じ中学校(旧制盛岡中学校)を卒業していたなんて、全く想像もしていなかった。

啄木の上の短歌をどのように英訳したのか、それはこの本の真髄なので引用は控えておこう。 ただ一つだけ紹介してみると、

BEFORE  WE  WERE  MARRIED

My  wife  once  longed
To  have  a  life  in  music.
Now  she  sings  no  longer.

*

わが妻のむかしの願い
音楽のことにかかりきり
今はうたわず

この歌は全然知らなかった歌。 そして脚注を読んで、驚いた。

節子はもう幸せでないようです、とくに啄木の時代の結婚生活は、女性から自分の時間を奪い去りました。起きている全ての時間は、夫、子供、身内の世話をするのに費やされたのです。2014年の晩秋、結婚直後の啄木と節子が入居した盛岡の小さな家を訪ねました。誰もいませんでした。家の床に座り、この短歌のことを思い出しながら、音楽が聞こえてこないかと耳を澄ませました。

この家に行ったことがある!

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P21

以前に宮沢賢治にゆかりのある史跡を訪れた事がある。その時に盛岡にある「石割桜」を見たかったので、盛岡市内を歩いていると、偶然にこの家を見つけ、見学していた。

盛岡観光情報のホームページに、その全景が載せられていた。
http://www.odette.or.jp/?page_id=448

35_sinkon1そこにはこんなふうに記載されている。「明治38年5月、処女詩集「あこがれ」を出版した石川啄木は、東京で新婚生活をもつという生活設計を変更して、市内の新山小路(現在の中央通3丁目)に帰り、年来の恋人堀合節子と結婚式を挙げました。しかし、父母と妹が同居する新婚生活は窮迫し、そこでの生活はわずか3週間。同7月に市内の加賀野磧町(現在の加賀野1丁目)に移り住みます。」

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啄木が新婚生活を送った部屋は四畳半一間。それは節子さんにとってはしんどいだろうなあ、と想像して写真を撮った。

左の写真が私の妻が撮ったその部屋。

この時に上の短歌を知っていたら、別の感慨があっただろうなと思う。

この本には約200首の啄木の和歌がおさめられ、そのそれぞれに英語訳が載せられている。啄木の生き方が時代を追って丁寧に記載されているのも特徴かと思う。

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これが石割り桜。
写真を撮った時は桜の季節でなかった。それが残念だった。巨大な石を真っ二つにして幹を太らせ枝を伸ばしている。盛岡地方裁判所の前にある。
東北の人のたくましい生き方に思いを馳せる桜の木だ。

著者のロジャー・パルバースさんはさらにこう書いている。
「20世紀において賢治よりも啄木のほうが名声を博しました。大昔から故郷の岩手で啄木の短歌は子供たちに勉強され、暗唱され続けたのです。一方賢治は、日本を「代表」することない、どことなくマイナーな人物とみなされてきました。だが今日では二人の詩人は日本中で同じように顕彰されています。
賢治は1933年に爆発した超新星でしたが、その光がわたしたちに届くまで半世紀以上もかかりました。一方、啄木は永遠の流星雨です。
 これからも長年にわたり、この二人の詩から放たれたまぶしい光が世界中の人々に届くことを切に願ってやみません。」*注1933年に賢治は亡くなっている。

 

 

 

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