ベイマックス 8 

チューリングテスト1

人工知能の話になると必ずででくるのが「チューリングテスト」である。

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チューリングテストについて調べてみようと思っている時に見つけた本が左の「ケンブリッジ・クインテット」である。

本のカバーには次のように書かれている。
「1949年イギリスのケンブリッジに、知の巨人たち五人が集まった。物理学者C・P・スノウ、哲学者ヴィトゲンシュタイン、遺伝学者ホールディン、ノーベル物理学賞のシュレディンガー、数学者チューリング。彼らはディナーを共にしながら、人工知能の可能性について、白熱する議論を戦わせた。小説の未来を切り開く話題作。」
1998年9月、新潮社から出版された本。

これは実際にあった話ではない。ジョン・L・キャスティのフィクションである。
ここで登場する五人とはどんな人物か、本から引用してみよう。

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 小説家、公務員、物理学者 西欧社会は理系文化と文系文化の二極に分かれるといったのは彼だが、彼自身の多分野での成功が、くしくもそれが必ずしも絶対的のものでないという反例になってしまった。スノウは1930年に、ケンブリッジ大学で物理の博士号を取得し、クライスト・コレッジのフェローとなった。第二次世界大戦中、科学的才能のある者を労働省に抜擢する責任者を務め、のちに国会議員そして官僚として任務を果たした。1959年、ケンブリッジで行ったリード記念講演「二つの文化と科学革命」で、理系文化と文系文化のコミュニケーションの欠如がもたらすものについて警告した。スノウは1964年、一代貴族となった。

 

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数学者。 ケンブリッジ大学の学部学生だった1936年に、あらかじめ決められた一連のルールに従ってある状態から別の状態へ移るという理念上の機械を論文に発表した。この「チューリングマシン」は、現代のアナログ計算機の前ぶれとなる構想であった。第二次世界大戦のさなか、敵国の暗号解読に主導的役割を果たした。のちに、最初の電子計算機の開発にあたり、人工知能論を展開し、生物学に数学を応用したりした。1952年、同性愛法違反で逮捕され、41歳で自殺した。ヒュー・ホワイトモアによる1987年の劇「暗号やぶり」は、チューリングの生涯をもとに書かれたものである。

 

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遺伝学者、科学啓蒙家、政治活動家
集団遺伝学を数学的に解析し、古くからの遺伝学と進化論との溝を埋めることに貢献した。
オックスフォード大学で学んだ後、ケンブリッジで10年を過ごし、1933年にロンドンのユニバシティー・コレッジの教授となる。科学研究以外にも、しんからのマルクス主義者で、英国共産党の機関紙「ディリー・ワーカー」の主筆を長年務めた。1948年のルイセンコ事件の後、共産主義に幻滅を感じるようになった。1957年インドに移住し、亡くなるまで統計と遺伝学の研究にいそしんだ。

 

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ノーベル物理学賞受賞者、量子力学の研究で著名。
1910年、ウィーン大学で博士号を取得し、1927年、ベルリン大学でマックス・プランクのあととつぎ理論物理学の教授となった。1933年、ポール・ディラックと共にノーベル物理学賞を受け、同年ナチスの脅威をのがれるためドイツを脱出した。1939年、新しく設置されたダブリンの高等研究所のスタッフに加わり、1944年、「生命とは何か」という一連の講義を行う。これは、現在の分子生物学の礎となった。晩年、物理学の基礎や、それと哲学や東洋の宗教思想との関係に興味を持ち続け研究した。

 

 

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 おそらく今世紀で最も影響力の絶大な哲学者
生涯に全く異なる二つの哲学を発展させ、2番目のものは最初のものを完全に否定するという、哲学史上、他に例を見ない哲学者でもある。1912年、ケンブリッジのバートランド・ラッセルのもとで数理哲学の研究を開始し、第一次世界大戦でオーストリア軍に従軍中に執筆した「論理哲学論考」は彼の傑作となる。巨大な相続財産を捨て、1920年代はオーストリアの小学校で教員生活を送った。1929年、再び哲学の研究に専念するためケンブリッジに舞い戻り、1939年、G・E・ムーアのあとをつぎ哲学教授の座につく。しかし残された年月を著作活動に専念しようと、1947年、この地位を退いた。言語学、数学基礎論、論理学、意味論における彼の研究は、懐疑主義や心の問題などに新しい光を投げかけた。

チューリングテストとは

この本は「機械は人間の思考を真似することができる」と言うチューリングと、「機械が考えるということはありえない」と言うヴィトゲンシュタインが対決する議論の様子を中心にして物語が書かれている。 
さて、「聡明な機械」かどうか判断する方法としてチューリングが提案しているのが、模倣ゲーム(Imitation Game)でチューリングテストとして知られているもの。その内容を本をもとに絵にかいて見た。本と絵によって説明してみよう。

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部屋が二つある。一つの部屋には人間が、もうひとつの部屋にはコンピュータが置かれている。
二つの部屋は判定者のいる部屋とディスプレイとキーボードでつながっている。二つの部屋で入力した文字は判定者のディスプレイに表示される。
判定者は自分のキーボードで二つの部屋のそれぞれと会話ができるようになっている。そして判定者はどちらの部屋に人間がいるかは知らされていない。
判定者はキーボードを使って質問をし、相手の人間/コンピュータはその質問にキーボードで答える(音声で判断できないようにしている)。

質問はどんな内容でもかまわない。
本ではこのように書かれている。

「さて、こうして隣室の誰か、または何かと話をするとしましょう」とチューリングは続けた。
「たとえば、1時間交信し、さらに何度もこの実験を行うとします。これら一連のやりとりの後で、もしスノウさんが確信を持って人と機械を区別することが出来ないなら、機械が聡明なのかそれとも人間であるスノウさんが聡明でないのか、どちらかということになります。人間については聡明であると躊躇なく言うのに、どうして機械が聡明であると言えないのか理解できません。
実際スノウさんが聡明かどうか、私は同じ方法で決定するのです。
様々な状況の中で私が言ったりしたりすることに、スノウさんがどう反応するかを観察して、私はスノウさんが私と同様に考える生物だと結論するのです。スノウさんに口ひげや二つの目があるからでも、他の身体的特徴によるのでもありません。単にそれぞれの状況の中で、聡明な人間ならこう反応するだろうというやりかたでスノウさんが反応するからです」

つまり一連の会話から、その対応ぶりを経験・観察することで、キーボードで会話している相手が人間かコンピュータであるかを判断しよう(判断できる)というのがチューリングテストなのだ。

この方法に対してヴィトゲンシュタインは「絵文字部屋」を持ちだして反論する。

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 中が見えない部屋に人間が座っている(本ではスノウさん)。
部屋にはキーボードとディスプレイがあり、絵文字問答集がある。この絵文字問答集には(本ではエジプトの絵文字・ヒエログラフのようなもの)各ページの左側には質問が、右側には解答が絵文字で書かれている。そして中の人はこの絵文字については全く知識がないとする。

判定者(本ではシュレディンガーさん)はある絵文字をキーボードで入力する。
中の人は、ディスプレイに表示された絵文字とおなじものを絵文字問答集の左側の質問からさがす。そしてその右にある解答の絵文字をキーボードに入力するという作業を繰り替えす。

本から引用してみよう。

「これらの絵文字を数回取り交わしていくと、シュレーディンガーさんはテレタイプの向こう側には熟練したエジプト学者がいると信じざるを得なくなります。というのは、シュレーディンガーさんは閉じられた部屋の中のスノウさんからの答えを見て、部屋の外側にいる自分がタイプした質問に対する適切な応答、とすぐにわかるからです。しかし実際は部屋の中にエジプト学者などいません。いるのはテレタイプからでてくるまったく無意味なシンボルに対して、同様に全く無意味なシンボルを応答として一心不乱にタイプしているスノウさんだけなのです」
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スノウがやおら尋ねた。
「要するに、私がこれら絵文字の意味を理解していないのと同様に、チューリングマシンもテープのシンボルを理解していないということですね。」
「まさにその通りです。」とヴィトゲンシュタインは答えた。
「理解の存在しないところに思考が存在するはずなどありません。スノウさんも機械も考えてなどいません。なぜなら両者は処理しているシンボルが何を表しているのか、理解できないからです。そこでみなさんにお尋ねしますが、意味はいったいどこに存在するのでしょう。その閉じられた部屋ですか。それとも機械の中ですか。意味なんてどこにも存在しないのです。いくらシンボルを混ぜ合わせて並べてみても、意味など生じません。チューリングさんが自分の機械を使って出来ることはシンボル操作にすぎないのですから。このような機械が考えるなどということはあり得ないのです」

 は〜っ、なんとも強烈で興味深い議論なんだ、と私は感心して思わず本を置いてしまった。

本の中で、司会役のスノウさんは次のようにまとめる。

「チューリングさんは人間と機械の知的活動を確認するための模倣テストをはじめに提案なさいました。
これは第三人称タイプのテストで、心理学における正統的な行動主義の考えに属するものです。
行動主義は感覚刺激に対してどう反応するかをもっぱら外から観察するのです。チューリングさんの方法は、機械に幅広い質問を浴びせて、われわれが機械の返答と人間の返答を区別できないならば、機械は考えているとするものです。」

「ヴィトゲンシュタインさんは少し奇抜ですが、非常に示唆に富んだ絵文字部屋を使い、第一人称的議論によりチューリングさんに反対しました。
ヴィトゲンシュタインさんは、プログラムに組み込んであるルールに従ってテープ上のシンボルをあちこちに動かすコンピュータを内側から見るべきといいました。この視点から見ると、機械がシンボルの意味を理解しているはずがない。だから考えているはずがない。(とヴィトゲンシュタインさんはおっしゃる)」

「さて、絵文字部屋に対する反論の番です。敵の敵は味方とすると、この反論はチューリングさんの模倣テストに味方するものになります。まずチューリングさんの主張です。絵文字部屋の中にいる私の脳だけでは意味内容を理解しないが、壁やテレタイプ、私、絵文字問答集といった部屋全体は意味を理解しているというものです。これをヴィドゲンシュタインへさんへのシステム回答と名付けてもよいでしょう。私の脳と問答集、その他全てがシステムとしては理解していると考えられるからです。」

シュレディンガーはスノウの要約の最後の部分に少し当惑し、自分の立場を明確にした。「シンボル系列を新しい系列に変換するだけの機械から意味が生じたとしても、何ら論理的矛盾がないということです。このような操作から本当に意味が生じるのかどうかは、実験の問題です。観察と実験によって解決するしかないのです。」

チューリングテストが人工知能の判定にふさわしいか否かは今も議論があるそうだ。
しかし現在のようなコンピュータが開発もされていない70年近く前に、「機械が考えることができるのか」「どのように判定するのか」を研究していたことには驚くばかりだ。
人間かどうか、人間性があるのかどうか、機械は考えることができるのかどうか、その判断を「人とのコミュニケーション」に見出そうとするチューリングの発想にも驚かされる。
人間とは何なのか、根本的な疑問が最先端のコンピュータ開発からつきつけられているような気がする。

 

 

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