変わりピザ

懐かしの給食レシピ 38

大阪市で働く私の知り合いの栄養士さんから教えてもらった給食レシピ。 そのレシピを元にして懐かしの給食メニューをいただいてみようと挑戦。 レシピ通りの食材が手に入らなかったら、私独自のアレンジで創意工夫。

今回のレシピは「変わりピザ」。そのレシピを紹介する。

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材料は「餃子の皮」だけを買ってきた。
後の材料は冷蔵庫にあるもので間に合わせることにした。パプリカ2種(パブリカではなくてパプリカPaprika)ハム、シーチキン、ピザソース、とろけるチーズ

オーブントースターに餃子の皮を並べる。

何枚ならべるかはオーブントースターに 合わせる。
私の家の場合は6枚ならべることができた。
ならべた餃子の皮の上にピザソースを塗り、具材をならべていく。

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最後にとろけるチーズをのせる。
レシピとは全くちがう具材になってしまったけれど、ここは応用の範囲かな?と自分で納得する。

チーズがほどよく溶けるまで焼く。オーブントースターなので焼き上がりの状態がわかるのがありがたい。

 

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焼くこと5分〜6分。これで出来上がり。
お皿にとって、冷たいグリーンスムージーを横に置くと、おしゃれな軽食になりました。
具材は好みによって選べることがわかって応用レパートリーが増えそう。
これならちよっとしたおやつや親しい友人の来客にもだせそうだ。
給食レシピのレパートリーの多さに感謝。

 

 

 

 

3月21日は何の日?

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上の写真は2015年3月21日春分の日の日の出。 地平線の山に薄雲がかかり、山の端から顔をのぞかせる太陽を見ることができなかった。

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この写真は翌22日の日の出。この日も薄雲がかかりシャープな太陽の光は撮れなかったけれど、山から登ってきたばかりの様子は撮影出来た。

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この写真は3ヶ月前、12月31日の日の出。3ヶ月で太陽が大きく動いている。_MG_4201

この写真は半年前の9月23日、秋分の日の日の出。
春分の日の日の出とほぼ同じ場所から太陽が顔を出している。

こんなふうに見比べると、太陽の動き、実は地球の動きだが、一年間に動く巾が広いことがよく分かる。

さて、春分の日について調べてみた。1年前は昼と夜の時間の長さについて書いてみたが、今回はこの日は世界的にみてどんな日なのだろうかと興味がわいた。

1,国立天文台のホームページより

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「日本の祝日を定めている「国民の祝日に関する法律」によれば、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされています。「春分日」「秋分日」というのは天文学上の呼び名で、次のように定義されています。

太陽は星々の間を移動していて、その通り道を「黄道」といいます。また、地球の赤道を天にまで延長したものを「天の赤道」といいます。黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その交点のうちの一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことを、それぞれ「春分日」「秋分日」と呼ぶのです。

地球の運行状態などが現在と変わらないと仮定すると、将来の春分日・秋分日を計算で予想することができます。計算結果を下に載せておきます。ただし、地球の運行状態は常に変化しているために、将来観測した結果が必ずしもこの計算結果のとおりになるとは限りませんので、あくまで参考としてご覧になってください。」

*ということで2016年の春分の日は3月20日、秋分の日は9月22日。
「地球の運行状態で日が変わるかもしれない」というのはおもしろい。

2、国民の祝日に関する法律によると

春分の日 「自然とたたえ、生物をいつくしむ」
秋分の日 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」

3,イランでは(ウィキペディアより)

ノウルーズ(ペルシア語: نوروز、nowrūz‎)は、イラン暦の元日。太陽が春分点を通過する春分の日に当たり、農事暦上重要であることから、イランを中心に、かつてペルシア帝国の文化的影響下にあった中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。国際連合総会は、2010年2月23日にこの日を「ノウルーズ国際デー」として正式に承認している[2]。

*日本のように春分の日を祝日にしている国は少ないようだ。イラン暦ではこの日が一年の始まりになるそうだ。

 4,仏教では(岩波仏教辞典より)

彼岸(ひがん)
かなたの岸。
目指す理想の境地。
煩悩の激流ないし海の<此岸(しがん)>から,修行によってそれを渡り切った向こうの岸,つまり輪廻(りんね)を超えた涅槃(ねはん)の境地のこと。
わが国では,古くからの習俗と混交して,3月の春分と9月の秋分にそれぞれ7日間行われる彼岸会のことを指す。
なお,菩薩の修行徳目であるさまざまな修行の完成である波羅蜜(はらみつ)は,<到彼岸(とうひがん)>とか<度(渡)ど>と漢訳されることもある。

彼岸会(ひがんえ)
春分と秋分の日を中日(ちゅうにち)として前後3日,計7日の間に修される法会(ほうえ)。
この行事は日本にのみ見られるもので,聖徳太子の頃より始まったともいわれるが,平安時代初期から朝廷で行われ,江戸時代に年中行事化した。
また在家の信者はこの間,寺参りや墓参りを行うのがならわしとなっている。
彼岸は悟りの岸(悟りの世界)という意味で,此岸(しがん),すなわり迷いの岸(迷いの世界)に対する。
このため,彼岸会とは悟りの世界に向かう,仏道精進の行事とも解される。
また観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の日想観に由来し,春分と秋分に,西に沈む太陽を通して弥陀(みだ)の西方浄土(さいほうじょうど)を観じたことに由来するともいう。
それが日本の祖霊崇拝によって変容し,先祖供養の法要とか墓参りを意味するものとなり,日本独特の彼岸会となったとされる。

*お彼岸、とよく言っているがなんと日本の仏教界だけの行事とは知らなかった。

5,国連では「世界ダウン症の日」(ホームページより)

ほとんどのダウン症がある人たちには“21”番目の染色体が“3”本あることから「3月21日」が「世界ダウン症の日」として定められました。

2004年に世界ダウン症連合(DSI=DOWN SYNDROME INTERNATIONAL:本部はイギリスのロンドン)が制定し、2006年から「世界ダウン症の日」が始まりました。
2012年から国連が国際デーの一つとして、3月21日を「世界ダウン症の日」として制定しました。
ダウン症のある人たちとその家族、支援者への理解がより一層深まり、ダウン症のある人たちがその人らしく安心して暮らしていけるように、さまざまな啓発のイベントを通して世界中の人々に訴えていくための日です。
http://www.jdss.or.jp/321/

3月21日。
いろんな意味のある日のようだ。
日本では年度末をひかえて、1年間の総括をし、新年度への期待に胸ふくらませる時期でもある。
世界ダウン症の日、と知って考えさせられるものがある。
4月から新しい世界ー保育所、幼稚園、学校へ進んで学んでいこうとしている子どもたちに、日の出を見ながら幸おおかれと祈らずにはいられない。

 

 

 

円周率 関孝和の計算

3月14日は円周率の日

ホワイトデーとも言われているが、円周率の日だと言うことももおぼえておこう。

このブログで以前に村松茂清の計算方法を紹介した。 それは円に内接する多角形を考え、三平方の定理(和算では勾股弦の定理)を使って正多角形の周の長さを計算することによって、円周率に接近していく方法だった。
下に簡単に考え方と表計算ソフトによる結果を再掲しておく。

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 関孝和の方法 3.14159265359微弱

関孝和の計算を調べてみた。 ネットには多くの記事がアップされている。それらを読んだり、本で調べてみて私が理解できた範囲で紹介してみる。

ウィキペディアによると、

「暦の作成にあたって円周率近似値が必要になったため、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159265359微弱だったが、エイトケンのΔ2乗加速法を用いた途中計算では小数点以下第16位まで正確に求めている」とある。

関孝和も村松茂清と同じように計算をしている。ウィキペディアにあるように、正131072(2の17乗)角形を使っている。なんと小数点以下19桁までの数値がだされている。
(Excelなどの表計算ソフトは12桁以上の数字を表記することはできないので,記号として入力して表にしたものが下の表である。)
(表をクリックすると拡大像になる)

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(表にある強、弱について。 四捨五入により切り捨てた場合が強。切り上げた場合が弱。とくに末位が0を切り捨てた場合は微強。末位が9を切り上げた場合は微弱である。) 

  関孝和はこの円周の長さの変化に着目したようだ。

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さて、このような式はどうして導かれたのだろうか。

関孝和の素晴らしいと言われているのは、円周率を求める一般式を考え出そうとしたところだと思う。

村松茂清のような方法は、円周率を力づくで何桁でも計算できるだろう。しかし、この方法はあくまでも近似値を求めているのであって、最終的に円周率はどうなるの?という疑問には答えていない。

わたしの分かる範囲で説明を試みてみる。

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ここまでの説明は、関孝和は等比級数を使って円周率の計算をしたのだろうという推測のもとで、なされている。 本当に等比級数を使ったのかどうか?それは確証がないそうだ。 それ以外の方法で式を導いたという説もある。

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関孝和が実際には等比級数の考え方を使ったの、あるいは差分に注目して計算式を導き出したのか?それはわからない。

江戸時代の和算の本の多くは、結果のみが記されていて、その考え方や計算方法がのせられていないそうだ。
この式も弟子の建部賢弘や後世の数学者たちが研究し、資料として記されているので私たちが学ぶことができるのである。

いずれの方法にしても、関孝和の時代にこれほど精密に円周率を求めたものはいないと言われている。数字の向こうにある世界を探求しようとした熱意に敬服するしかない。
(2015年3月14日 円周率の日に記す)