1945保戸島の夏

IMG_20140808_0001

長崎「原爆の日」。 

二度と戦争をおこすな、と決意する日。

しかし地球上では今も爆弾が空から降りそそぐ。69年の時代は何だったのだろうと思うこの瞬間。

今回紹介するのは「1945保戸島の夏」。戦争が終わるわずか二十日ほど前の、昭和20年(1945年)7月25日、児童・教員あわせて127人が艦載機グラマンの爆弾投下と機銃掃射によって虐殺された事実をもとにして創作された本である。
2011年8月15日が初版第一刷になっている。

この本が出た時に、この本の編集者の綱さんに、編集に関わってのお話を聞いた。その時の私の記録をここに残しておこう。

保戸島(ほとじま)は、大分県津久見市四浦半島沖の豊後水道に浮かぶである。(wikipediaより)

IMG_20140808_0005

綱さんの話を聞いて

1.「1945保戸島の夏」が本になるまで

 この本は、作者の坂井ひろ子さんの出版社への原稿持ち込みがスタートだそうです。
坂井さんは犬を主人公にした児童文学で有名な人です。たとえば、「はしれ!くるまいすのいぬはなこ」、「車いすの犬花子とその仲間たち」、「ありがとう!山のガイド犬平治」、「盲導犬カンナ、わたしと走って」などの作品があります。
この保戸島の作品は、作者の後書きにもあるように「日本の空襲九州編」の「昭和20年7月25日大分県保戸島死者127名」という1行の記事が坂井さんの目にとまったことからが書くきっかけになったそうです。
 作品ができても、これまで本にしてくれていた出版社が作品の出版を渋ったそうです。テーマが反戦で高学年向けの文学は売れないと言うことです。
 どうしても本にしたい坂井さんは解放出版社に持ち込んできたというわけです。涙を浮かべながら作品を読んだ綱さんは何とか本にしたいと、会社の会議にこの原稿をあげます。解放出版社でも本の採算が成り立つのかが鍵になります。坂井さんにも無理を言いながらやりとりを進め、会議でも編集長の「この本はおもしろいのか?」という質問に綱さんは、「はい、おもしろいです」と答え、編集長が「おもしろいのなら本にしよう」ということになったそうです。
 本になっても採算が取れないと会社の損になります。そこで、営業部が頑張ったそうです。作品の舞台である大分県での営業に力を入れます。結果、うまくいったそうです。
いい本が作れるかどうかは、読者が本を買ってくれるかどうかにかかっている、と言う言葉があるそうです。図書館への希望リクエストも含みますが、この本を読みたいという声が出版界を動かし、売れることによって新しい良い作品が本になって世の中に出てくると言うことでしょう。
 この本が出版された後、坂井さんは青少年文化の向上と普及に貢献した人と団体へ送られる「久留島武彦文化賞」を受賞しています。また福岡県ではこの空襲をテーマにした演劇が子どもたちで上演もされています。
 私もネットでこの本の評判を調べてみると、とてもいいのです。みなさんもインターネットで調べてみてください。

IMG_20140808_0004

2.この作品の魅力
 私が感じたのは、テーマが反戦だけれども、拳をあげて、ことさらに「戦争反対」と大きな声でいっていないところです。
同じ保戸島を舞台にした児童文学作品もあり、私も読みましたが、「戦争反対」「平和への努力は君たちに」という演説が感じられ、子ども心にもため息がでそうな作品でした。
反戦・平和教育のための文学が果たす役割は十分に理解しているつもりですが、文学としてのおもしろさがないとその役割を果たさないと私は思います。お説教じみた文学作品は子どもたちに受け入れてもらえないと私は考えています。
ところがこの「1945保戸島の夏」はその説教臭さがありません。子どもたちへの愛情、学校の楽しさがまず感じられるのです。ここからさきは、皆さんが実際にこの本を読んで、確かめてほしいと思います。
 この作品の元になった、得丸正信さんの作った「子らを偲びて 保戸島空襲の記録」という小冊子があります。大分県平和教育研究会の発行です。この冊子は絶版になっていますが、わたしはネットで調べ、大分県の古本屋さんから手に入れました。とても貴重な本です。子どもたちの、保戸島の人たちの無念さが伝わってきます。
この冊子を読むと、得丸さんが丁寧に記録を残されていたから、坂井さんの手によって児童文学として世に登場できたと思います。そういう意味で、教育実践や教職員の記録は大切だと実感しました。そして作家の文章の力にも感動しました。文字が伝える力を実感したと言っていいでしょう。
 教育の魅力、学校の魅力、そして学校で働く教員の魅力が再確認できる本、というのが私の感想でした。(上の保戸島の地図も得丸さんの本よりコピーしています)

IMG_20140808_0002 IMG_20140808_0003

3.絵本と挿絵 
 この「1945保戸島の夏」の装画(そうが)は中川洋典(なかがわひろのり)さんです。中川さんは1961年京都生まれの絵本作家です。2002年に「第1回MOEイラス・絵本大賞」グランプリ受賞、2003年「第1回絵本コンペティション」ホワイトキューブギャラリー賞受賞の活躍中の作家です。
この本の表紙になっている学校を上から見た絵は、アメリカの戦闘機グラマンの操縦士の視線で描かれています。誤爆でも何でも無い、運動場にいるのは子どもと知っていながらグラマンの操縦士は学校に爆弾を投下し子どもめがけて機銃掃射をしているのです。
絵一枚からもメッセージが読み取れるのが絵本作家の力量なのかもしれません。
わたしは本の中にも挿絵がほしいと思いましたし、中川さんもそうだったようです。ただ保戸島の慰霊祭にこの本を間に合わせたいという坂井さんの願いで、急いで本にしたそうです。時間の余裕があれば、この本には挿絵があったのですね。
 絵本と絵は切っても切れない関係があります。文学作品は挿絵も含めて作家の作品となります。だれに挿絵を描いてもらうのかも、編集者の大きな仕事です。作家の希望もありますが、時代の変化と絵本作家の力量を編集者がしっかりとつかんでいることが大切だと分かりました。編集者の綱さんの場合は大学で絵画を専門にしていたことがこの仕事に役立っているそうです。

4.そのほかに
 児童文学だと、使う漢字の統一、ルビの打ち方も編集者の仕事です。主人公が5年生だったら、5年生までに習う漢字を中心に使い、その学年の学習漢字以上の漢字にルビを付ける、見開きの最初に出てくる漢字にルビを付けるなどの基準は編集段階で決まります。作者は作品を作るために使う漢字にこだわりがあったり、あるいはその時の気分で漢字の使い方が変わります。そこの交通整理が編集者の仕事なのでしょう。
 また、最近の作家はほとんどがワープロ、パソコンで仕事をしています。手書きで作成している人は限られてきているそうです。手書きの原稿もはじめの段階でテキスト文字にしなければ作業が進まない、ということになってきているそうです。
 少なくても二回、作者と編集者の間に原稿が行き来します。わからないことはどんな小さな事でも作家との確認が必要です。ここでは曖昧なことは許されません。挿絵をどこに入れるのかも挿絵家との相談が必要です。文章を読んだ挿絵家の考えや思いも大切にしなければなりません。その関係でページ数も変わってきます。こういったことを整理して進めていくのが編集の仕事なのだと思いました。 (2012年8月30日記)

 

☆この世界は様々な人の願いと努力でなりたっていることが実感できた時間だった。
 そういった場を提供してくれた綱さんにあらためて感謝したい。

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です