七月大歌舞 in 松竹座 1

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松竹座の七月大歌舞伎を見に行く。
今回は日は違うけれど、午前の部と午後の部の両方のチケットが手に入ったので、夏の暑い日を歌舞伎をたっぷり見て楽しむことができた。
人間国宝の坂田藤十郎さん、病気復帰の片岡仁左衛門さんが出演というのが見どころと思う。

さて、午前の部の演目は次の三つ。
1.天保遊侠録(てんぽうゆうきょうろく)
   中村橋之助、片岡孝太郎、中村児太郎など

2.吉野山雪の故事 女夫狐(めおとぎつね)
   中村翫雀(かんじゃく)、中村扇雀、尾上菊之助など

3.菅原伝授手習鑑 寺子屋
   片岡仁左衛門、中村時蔵、中村橋之助、尾上菊之助など

一つ目の「天保遊侠録」は、初めて見た演目。題材は勝海舟の父親・勝小吉(かつこきち)が主人公。江戸末期、小吉の反骨精神が小気味良く描かれている。小吉に橋之助さん、松坂庄之助役に子どもの国生(くにお)さんと親子共演もおもしろかった。江戸情緒とはこういうものか、江戸の世相はこうだったのかと,橋之助さんのしゃべり口や上役との関係から身分のちがいなど歌舞伎から知ることが多い。
私がびっくりしたのは、この作品の原作が昭和13年(1938年)ということ。作者は真山青果さん。新作の歌舞伎なのだ。歌舞伎は古典、と思いがちだが、どの作品も初演の時は新作だったのだ。
番付に「真山青果らしく、丁寧な史実の検証によって描かれる当時の・・・」とあった。私も勝海舟の父のことは全く知らなかったので調べてみようと、家にあった「勝海舟と明治維新」(板倉聖宣著 仮説社)を読んでみた。

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この本は巻末に勝海舟の年譜がついていて、大変わかり易くまとめられている。この本によると、勝麟太郎(勝海舟の幼名)は、1823年(文政6年)に「手取り41俵の幕府直参の御家人の家」に生まれている。江戸時代では1年間に一石の米を食べると計算され、米41俵というのは米1俵を0.35石とすると、米14石余となる。親子5人で食べるのに必要な米以外は商人に売って、主食以外のおかずや光熱費、衣料費、その他雑費をまかなって生活していたのだろう。

歌舞伎にあるように、親せきに江戸城大奥に勤めていた「阿茶の局(あちゃのつぼね)」がいて、彼女に連れられて江戸城に出かけた時、次の将軍になる徳川家慶(いえよし)の目に止まったのは事実である。そして家慶の五男・初之丞(はつのじょう)のご学友となった。麟太郎が数えで7歳の時である。歌舞伎はこの時期の小吉と麟太郎が描かれている。
さて史実では、徳川家慶が将軍になり、初之丞は一橋家の養子となりその後を継ぐことになった。15歳の麟太郎の出世のチャンスであったが、一橋初之丞は1年もたたないうちに急死してしまい、勝麟太郎の出世は夢と消えてしまうのである。
16歳の時に小吉が隠居、麟太郎が家督を継ぎ、幕府直参の御家人として俵41俵の俸給を受けるようになる。勝麟太郎は剣術に打ち込み、数え年21歳で免許皆伝。しかし幕府の役職につけてもらえず、父親小吉と同じく無役(むやく)であった。
無役であった小吉が、何とか役職を手に入れようとしているのが、この「天保遊侠録」の背景である。
麟太郎は剣術の代稽古などで生活を続けながら、オランダ語の勉強などをはじめるなどの先見性があった。勝麟太郎が33歳、1855年に長崎海軍伝習を命じられた時、小十人組(こじゅうにんぐみ)という地位と100俵の扶持が与えられた。俵41俵の身分から脱出できたのはこの時である。
あらためて、勝海舟のことを調べてみると、勝海舟の生き方から学ぶことは多いことに気づかされた。「欧米の侵略政策にたいしてともに団結すべき朝鮮(韓国)や中国と戦争するとはなにごとか」と日清戦争に反対したことや、西郷隆盛の名誉回復に力をつくしたこともしらなかった。
「天保遊侠録」を見たことから、思わず発展して新しい発見をしてしまう、これも歌舞伎や演劇の楽しみの一つでもある。

二つ目の演目、「吉野山雪の故事 女夫狐」は舞踊劇。 「義経千本桜」の「川連法眼館の場(かわつらほうげんやかたのば)」を素材にしている。佐藤忠信に化ける源九郎狐にかわり、弁内侍(べんのないし)と又五郎が夫婦狐で、楠木正行がもつ鼓の皮が母狐という設定。尾上菊之助さん演じる楠木正行の若武者ぶり、中村扇雀さんと中村翫雀さんの夫婦狐の踊りが楽しめた。
手をドラえもんの手にして、動物を表すなんて、歌舞伎を見て知ったこと。こういった約束事を知っているとまた楽しい。解釈をあれこれいうよりも、見て楽しむ劇。こういうのが間に入ると、少しホッとする。

IMG_0665 さて三つ目の「菅原伝授手習鑑 寺子屋(すがわらでんじゅてならいかがみ てらこや)」。
松王丸に片岡仁左衛門さん、女房千代に中村時蔵さん、武部源蔵に中村橋之助さん、女房戸波に尾上菊之助さんの面々。仁左衛門さんの熱演に思わず力が入る。おからだ大丈夫ですか?と思わず言いたくなるほど。座った姿勢がピシっときまっている。背骨がまっすぐに伸び、それだけでも体力がいるなあ、と我が身にうつして考えてしまう。
千代を演じる時蔵さんの表情の変化も名演、菊之介さんの戸波も新鮮だった。経験豊かな役者さんの中で若手が育つことがよくわかる。代々受け継いだ芸を次代につないで行く。継承と発展とよく言うが、なんとなくその苦労がわかるような気がする。

この「菅原伝授手習鑑 寺子屋」は私にとっては難しい。いろんな解釈があるが時代が変わると人の考え方、感じ方、行動様式も大きく変わることがある。
番付に「寺子屋に見る現代性」として水落潔さんの文があるのもそのためかもしれない。その文の最後にここ書かれている。

「忠義という言葉は今ではあまり使われなくなりました。しかし会社や組織を守るため、個人が犠牲になるケースは今もなくなっていません。上層部のトラブルが下の人間に転嫁される日本社会の構造は今も変わっていません。時平と道真の政争が、末端にいる松王丸夫婦や源蔵夫婦の悲劇として展開する寺子屋の一幕は実は現代のドラマでもあるのです。」

ウクライナ上空で民間機がミサイルで爆破されたようだ、というニュースがはいってきた。民間機とわかっていながらミサイル発射を命じた人がいて、日に何機も民間の旅客機が飛んでいるのに、何の疑問も持たずに発射ボタンを押した人がいるのだ。これも人間の悲劇だ。歌舞伎の世界は架空の世界のものではなく、現実に生きて続いていることを実感した瞬間である。

 

 

 

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